かつて、チューナーを敵のごとく睨みつけながら、二胡を弾いていたら、龍海先生がわたくしに言いました。
「あのね、たとえチューナーの針が真中に合うように弾けるようになったとしても、音楽的に綺麗に聴こえるかどうかは分からないよ」
今思うと、「目に頼りすぎないで耳で聴いて覚えなさいよ」という意味だったのかなと思うのですが、当時、音律のことを言っているのかなと思い、いろいろ調べてみました。
そして、世の中には実にたくさんの音律が存在していることを知りました。
また、実際にはXX音律と名のついていない、だけど実際、皆やっているというようなものも存在していました。
例えば、次の文章が参考になると思います。
二胡の演奏は主として十二平均律(訳注:1オクターブを12等分した音律)とピタゴラス音律(訳注:純正5度を積み重ねることだけを利用した音律。) を混合使用した音律を採用していると思います。一般的に、多くの場合、十二平均律を主として、演奏中に短二度に遭遇した時、通常、ピタゴラス音律の短半音を、場合によってはこれよりさらに狭い半音を使用することで、より気持ちよく聴こえると思います。オーケストラの合奏で弦楽パートが和音を演奏する際、純正律を使用することができ、長調の音階のホ音及びイ音を少し低めにし、響きを純正にすることで調和がとれます。そのほか、二胡で特色のある楽曲を演奏する際には、現行の音律以外の中立音を採用することもできます。4を高めに演奏し、♮ 4と♯4の間にする、又は7(訳注:オクターブ下の低い7です。フォントの都合で表示できません…)を演奏する際、少し低めにして♮ 7と♭ 7の間にします。いずれにしても、実際の演奏中、状況に応じて臨機応変に運用することで、音律の美しさが音楽の中に再現されるのだと思います。
「二胡音階練習 改訂版」王国潼 編著 人民音楽出版社 6頁。
ちなみに龍海先生は昔、地元で大きな楽器屋に勤めていた頃、商品としてのピアノが周囲にいっぱいあったので、暇があれば中を開けて調律の練習をしていたそうです(おいおい、いいのか?商品だぞ。)。
もちろん自分のピアノは自分で調律していらしたようです。
で、先生曰く「計器だけ見て数字を合わせりゃいいってもんではない」のだそうで、最後はやはり耳に頼るのだとかおっしゃっていました。
龍海先生はわたくしの4の音が少し低めだとたびたび指摘してくださいましたが、今思うと、4の音というのは微妙なので、わたくしにはよく分からなかったのかとも思います。
そもそも、人間はどれくらいの音の差を感じられるものなのでしょう?
次の文章が参考になります。
音律美観における音の高さの微妙な変化は、実はとても些細なものです。一般的に8から12セント(十二平均律の半音は100セントです)であり、多くても16セントを上回ることはありません。測定してみると、耳の良い人であればロングトーンの演奏において、7セント程度は識別することができるようですが、メロディになると10セントがやっと感じられる程度です。従って、音律の美観というものは演奏者の音の高さの正確性が非常に成熟した基礎の上に確立されるものです。
「一句話学二胡」趙寒陽編著 藍天出版社 61頁
ははは…やっぱりね。
通常人には微妙な差は分からないってことじゃん。
試しに、メモリがきっちり合っている音を出しながら眼を閉じて、微妙に指をずらしながら、明らかに感覚的に違うと感じるところで眼を開けてみて、何セントのずれがあるのか見てみると、どんなに集中しても、15から20セントが限界みたいです。
メロディになったらほとんど分からなくなってしまうのでしょうね。
どうやったら、出来る限り正確に音の高さを把握することができるのでしょうか?
一つの方法としては、やはり正確な音階をひたすら聴いて、ひたすら弾くことを10年くらい続けることなのか?
大人には限界があるのは分かっているものの、それでも出来る限り何とかしたい…
よい耳の訓練法があったら、是非、知りたいものです。
D調、G調、F調の音階を第三ポジションまでひたすら弾きました。
F調は先週、初めてやったばかりなので、やっぱり音は狂いまくるし、先生も「だいぶよくなったよ~」と褒めつつ、「でも他の調に比べるとまだまだだから、がんばろうね」と励まされました。
さて、宿題はD調の練習曲(第一ポジションの1から第二ポジションの4まで長い距離を迅速に何度も移動しなければならない)でした。
あはは~音狂いまくり。
「どうにもならないほどひどくはないけど、あまり練習してないの?」とお尋ねになったナナ先生に「いえ、ちゃんといっぱい練習したんですけど、相変わらずなんです。音が狂いすぎるので、それを一々矯正すると先に行けず、つまずくかんじになっちゃって、練習しても、練習にならなかったんです…」とわたくし。
「う~ん、それは…それは…大変ね。来週も引き続き、練習していらっしゃい」とニッコリ言われました。
次はD調とG調を交互に弾く練習曲。
まぁ、難しくないので、とりあえずさらっと弾けました。
と思っていたのに…
「一小節、シンコペーションが変だったよ。自分の弾きたいように弾いちゃった?作曲しちゃだめよ~楽譜見ようね~」と注意されました。
そのときは、そういえば、シンコペーションは得意な方ではないから、リズム狂ったのかなぐらいに思っていたのですが、家に帰ってから復習しているときに勘違いしてずっと弾いていたことに気付きました(^^;
たまたま、前の小節の最後の音の音程がとりにくくて、それにいつも気をとられていたため、すぐ後ろの小節に関しては、眼ではちゃんと見ていても実際、全然見ておらず、弾きたいように弾いて、身体が勝手に記憶してしまっていたらしく、その後は、違うリズムだと思い込んでいるので、楽譜見ても、そういうように見えていたみたいです。家で落ち着いてちゃんと楽譜だけ見たら、全然、違っていました(わはは)。でも、わたくしの曲の方がリズムの流れがいいんだけどなぁ。。。
(ちなみに、翻訳業務でもそういうことがよくおこります。翻訳者自身は、そうだと思い込んで読んでいるので意外なミスに気付きません。だからチェッカーが必要なわけですが、チェックする人間も、時間や人材に余裕があれば、文法的角度から中日文を対照する人間、最後に原文を読まずに日本語だけチェックする人間のように、任務分けしないと、結局、ミスを発見できないものだったりします。)
人間って一度思い込むと、自分の見たいようにしか見えなくなってしまうのですよね~こわ~。
さて、新しい課題は、A調の音階です。そういえば、A調って他の楽器でやったことなかったな。A調の曲には、例えば何があるんだろう、全然思いつかないや。
そして、今回のレッスンから追加された任務は、王国潼先生の音階練習をこの先、ずっとやり続けることです。
まずはD調、G調、F調の基本的な音階練習が指定されました。
ナナ先生曰く「ドレミとかって繰り返しているだけだから、簡単だと思ってみくびっちゃいけないわよ!これがちゃんとできているかどうかで、成長が全然、違うんだから」
こわいですね…
確かに、これ、習って一週間の人でも簡単に弾ける譜面ですが、ちゃんと弾けるかどうか、は別問題ということなのでしょう。
ナナ先生、おすすめの音階練習方法を教えてくれました。
「暗闇で練習するといいわよ」
「え~」というわたくしに対してナナ先生は
「ちなみに、大学のレッスン室で電気つけずに練習する学生、たまにいるよ。見えなくても耳だけをたよりに弾けるっていうのかな、10分くらいやってみるといいわよ」とおっしゃる。
つまり手元を見るのはかまわないけど、それに頼りっぱなしはダメだということらしいんですね。
更に続けて、
「うちの大学のレッスン室には幽霊伝説がつきないのよね~暗闇から音がいつも聞こえてくるからなんだけどね。たまに帰るのが面倒くさくなって、そのままそこで寝ちゃって、朝一でまたレッスン室を予約する人もいるわね」
音大生って大変ですね…
Posted in 二胡 by , 2010年8月30日 11:10 AM コメントは受け付けていません。
まずは準備運動の長弓。
そして、D調の音階を第一から第三ポジションまで、果てしなく弾いた後は、第一と第二ポジションを使うD調の練習曲を先生に聞いていただきました。
「すごいじゃん、ちゃんと音程が合うようになってきたよね」
と褒めていただき、特に注意することがないから、同じような練習曲はもう聞かなくても仕上がりが分かるから、パスと。。。パスされちゃいました(^^;
え?聞いてくれないのぉ???とずっこけましたが、まぁ時間の節約だわね。
で、もともとナナ先生のレッスンは龍海先生不在の間だけというつもりでお願いしていたのですが、龍海先生が帰ってこれないみたいなので、このままナナ先生について行ってもいいですか~?とお願いいしました。
大人のレッスンというのは、多分、それぞれ目的が違うので、先生も進め方に迷うところでもあり、この先、どうしたいかという話になりました。
ナナ先生曰く、「あなた、意外に覚えが早いのでどんどん進めちゃったけど、この先、新しいことを詰め込むと、今までの基礎が崩れないか心配なのよね」
ナナ先生が何度も、「あなたはすごく意外な生徒だ」とおっしゃるので、なんかビックリ。
もしも、わたくしの飲み込みが早いと感じるのであれば、多分、先生の教え方がいいんだと思う(^^;
う~ん、龍海先生も同じようなこと言ってたなぁ…
自分で言うのもなんだけど、真面目な方なので、やれと言われたことは素直にやるので、どんどん先に進んでいってしまうんだな。
で、普通は1年くらいかけてやることを数か月で突っ走るので、基礎が固まっていないうちに上に積み上げると、崩れるのが心配なんだろうね。
「今の音程の感覚があるならビブラート教えても別にかまわないのだろうし、趣味でテキトーに1曲弾ければいいやっていうなら、それでもいいんだろうけど、でもなぁ」と、なんか歯切れの悪いナナ先生。
最終的に、やっぱ、しっかり弾けるようになりたいから、ナナ先生のやり方でビシバシやってくださいということになりました。
今まで暫定の学生だと思って遠慮がちだったナナ先生、多分、次回からは厳しくなるかもしれません。。。(あいや~)
そんなわけで、ナナ先生の教え方というのは、とにかく第一ポジションだけで固まってしまうのはよくないので、D,G F C B♭調、それぞれ第一から第三ポジションまでは自然に音階が早く弾けるようにすることが第一関門であります。
今の課題は、D G F調の音階です(第一から第三ポジションまで含む)
柳琴やってたこと、二胡でも役に立ちますね。
龍海先生が、何も考えなくても、すぐに転調できるように身体に叩き込め~っていうの、役に立っていると思います。
絶対音感がなくてよかったとも思います。
だって、Dの音がドだったのに、急にソになったりするわけよ。
絶対音感があったら、絶対に気持ち悪くなるだろうなと思う。
さて、わたくしは日中をよく往復します。
でも、二胡は1把しか持っていないので、その都度、二胡を携帯の上、移動することになります。
で、税関でよく言われるのが、
「演奏家の方ですか?」
「職業用の二胡なんですか?」
いえ…単なる個人の趣味でございます(^^;
普通、趣味の人は一週間くらいの帰国なら二胡を持ち歩かないでしょうね。
単に普段の練習量が足りないので、何が何でも肌身離さず持ち歩き、暇があったら弾いている、それだけのことでございます。
売買するわけではなく、あくまで個人の所有物として手荷物で持ち歩く分には、日本の通産省でCITESを申請するとかいう面倒くさいことはせず、日本の税関で「外国製品持ち出し届」を出して出国し、帰国時にその届出を税関に見せてパスしております。
(もちろん、最初に北京から東京へ持ち出した際には、北京の林業局にCITESを申請しております。)
ところで、二胡のケースの長さって、多分、航空会社の規定によれば、本当は持ち込みアウトなのでしょうね。
実は北京から東京に行くときは、航空会社のお姉さんに何も言われないのですが、日本の国内線や東京から北京にも戻る際には、いつもサイズを測られ、「上に入らなかったらお預かりになるかもしれませんので、その点、ご了承ください」ときつく念を押されます。
(「いつも上にいれて問題ないんだけど…」と説明するんですけどね)
おっそらく、横に入れるしかないため、飛行機が満席状態のときは、他の人の荷物とかが入らなくなることを心配するのでしょうね。
今回は、ウェブ予約した際に指定した席ではなく、チェックイン時に「隣が空席になっている席を案内させていただきます」と言われました。
職業でもないし、上手くもないのに、楽器を持ち歩くって恥ずかしい。
でも、そうまでして持ち歩いていないと練習のしようがないから、しょうがないんだけどね。
でも、この方法は、日中の往復では通用しますが、中国から日本以外の国を経由して日本に戻るということはできないと思いますので、お気をつけてくださいませ。
いっそ、ワシントン条約にふれないように、人口皮を使用するというのも手でしょうね。
Posted in 二胡 by , 2010年8月19日 8:20 AM コメントは受け付けていません。
帰国中(来日中???と友人に言われてしまった)は、レッスンが受けられないので、ナナ先生に無理を言って、補講をしていただきました。
飛行機が予定時刻通りに北京首都国際空港に着けば、その足でレッスンに行くという約束。
あいかわらず、ポジション移動に関する練習曲を弾いております。
(この点は、別に書くことないので省略)
ところで、皆さんはどんな琴弓をお使いなのでしょうね。
最初に二胡のおまけでくっついてきた琴弓は「柳氏琴弓」というシールが貼ってあって、廉価品のようでした。
龍海先生は、「この琴弓は使いづらいなぁ、俺はもっと弾力性のある弓じゃないと弾けねぇや」とブツクサ言っていました。
次にお試しで買った弓は陳保田先生の琴弓の比較的、いいもの。
この弓が好きって人もいると思いますが、わたくしはちょっと…なんつか、ずしっとくる感じで、疲れるかなって感じ。
光舜堂さんにお邪魔したとき、「弓はいいのを使ってるよね、これいくらしたの?」と聞かれました。
ははは、確かに中国の普通の楽器屋にいけば、高いお値段のコーナーにある弓ですが、店主と顔見知りなので、ボーダーラインまでオマケしてもらったため、実はそんなに高いお値段ではありません(^^;
日本で買えば当然、1万円以上してしまいますが…(わたくしの買値は内緒)
そして、今回から使用している琴弓は、ナナ先生おススメの琴弓。
ちまたでは売っていません。
なぜなら、中央音楽院の先生とか生徒が注文で作ってもらう弓だから。
弓をお作りになっている先生のお名前を伺ったところ、ナナ先生ご自身も
「私の先生から紹介してもらっただけで、皆がいつも“李先生”と呼んでいるので、そう呼んでいるだけで、フルネームは知らないわぁ。この道何十年のすっごいお爺さんなの」というお返事。
あはは、アバウトだな。
でも、この弓は中国人の物価感覚からすると、ちょっと高いので、趣味でやっているという中国人だと、必要ないねと思う人もいると思う。
で、持ってみた感想は、「超軽い…ふわんふわんとした弾力性」。
イメージはふわふわイチゴショートケーキだ…持っているんだか、何だか分からないくらい重量感が感じられない(もしかすると、陳先生の弓の重量感になれていたせいかもしれない)。
ナナ先生いわく「あなたは、最初から普通に弾けちゃったけど、私の学生の中には、初めてこの弓に換えた時、全く弾けなくなる子がたまにいるわ」
「これは力を抜かないと弾けない弓だから、いい練習になると思うよ」ということです。
そんなわけで、1ヵ月しか使用してないない陳先生の弓は、早くも休職状態。
もったいないから、誰かほしい人が周囲に現れたら、お譲りすることになるでしょう。
光舜堂千斤(金の糸)
帰国中、前から行ってみたいと思っていた二胡屋さん、渋谷の光舜堂さんへ行ってきました。
一応、名目は二胡の琴軸をすべりにくくするための、講座受講ということで。
「入りにくそうな雰囲気だったら怖いなぁ」とか、「習い始めて数か月だから恥ずかしいなぁ」とか、いろいろ不安だったのですが、親切にいろいろ教えた頂き、楽しかったです。
ところで、噂の西野さんがおつくりになっている二胡を弾かせてもらいましたが、ほんと不思議な感じがいたしました。
わたくしが「不思議な感じ」としか言わないので、西野さんは「別の言葉で表現してよ」とおっしゃる。
(そら、そうですよね、美味しいとしか言わない食べ歩き番組のバカレポーターじゃあるまいし、ちゃんと言葉にしてほしいですよね(^^;)
この不思議な気持ちは何なのだろうと一生懸命考えた末に出てきた言葉は
「この二胡、アイスクリームみたいですね…」(おい、おい)
何と言いますか、アイスクリームがスッと口の中で自然に溶けるみたいな感じなんですよ。
まず、初心者に優しい。おそらく、習って数日のど素人が弾いてもいい音がすると思う。
音の立ち上がりが早い。
音の伸びがいい。
例えば、ビールとかだと子どもが飲んでも美味しくない。
何年も経って大人になって、あぁ美味しいと思う人もいる(わたくしは、未だに美味しいとは思えない)
例えば、せんべいとかだと、がしがし噛まないと飲み込めない。
歯がないと食べるのが辛いだろうな~
でも、アイスクリームは、口に入れるだけです~っと溶けて、しかも甘い。
誰でも弾けば、もれなく幸福な気分になれる。
そういう二胡だなぁと思いました。
見た目(形とか)は正直、あれ、中国の二胡とちょっと違うなぁと違和感を感じるかもしれません。
千斤とかはキラキラしていて可愛いですよ。
素材はポリエステル線だとか。
わたくしがよく使うのは、魚釣りに使うポリエステルの編み糸なので、素材的に自分がいつも使っているものと大差ないと思い、千斤を光舜堂さんの千斤に変えてみました。
かわいい~
ちなみに、二胡の軸の削り方は、まだ自分の二胡には試していません。
とりあえず、初代柳琴の琴軸2本で試してみました。
ちょっと、失敗したんで、あまり効果ないかも(つーか、もともと歪んできているので、もう、どうしようもないかもなぁ)
残りの2本で練習したら、自分の二胡にも試してみようかと思っています。
先週のレッスンの記録をなかなかアップできませんでした。
つーか、大して進歩していないので書きようがないのですが…
ポジション移動どうしようもなく音程狂いまくりますね。
びくびく弾いているわたくしにナナ先生「怖がらなくてもいいのよ、皆、最初はそんなものなんだから」と励まされ。。。
「あたしなんて、子どもの頃練習してた時は、ぎーぎーという音を出してたし、音程も狂っていたけど、本人はそれに気付いていないほど、ひどかったものよ、近所の人がうるせ~ってよくドアを叩いたものよ」
とナナ先生はおっしゃるのですが、ホントかなぁと思います(^^;
「あなた、きっと何か別の楽器をやったことがあるので、音程の狂いに敏感なのね」と言われましたが、そうでもないのですよ。
絶対音感まるでゼロ。
初見で歌わせたら、全然、違ってるし。
正確には「音程が狂っている」と他人から厳しい指摘を受けることが怖いのだと思います。
コンプレックスってやつですかね。
子どもの頃、皆がエレクトーンで合奏しているところへ、「じゃ、游鲤ちゃんは、トライアングルお願ね」となってしまい、自分が下手くそなことが超悲しかったものです。
でも、今になって考えてみると、数人のエレクトーンは一人が間違っても、お客さんは気付かないけど、一人のトライアングルがリズム外したら、相当、聴き辛いので、箸にも棒にも引っかからないほど、ダメな子という程でもなかったのだろうけど。
なお、以下の引用部分は、孟憲洪先生と孟醒先生の許諾を得て、徐州孟宪洪柳琴制作中心ウェブサイト(www.mengxianhong.com)の掲示板より翻訳、転載したものであり、孟憲洪先生と孟醒先生及び翻訳者である萩原有里(游鯉)の書面 による同意なく、著作権法の定める適正な利用を超えるその他の利用はできないことをご理解ください。
先生、回答ありがとうございました。
わたくしが言った意味は、「琴の位置を上げると琴頭の高度が耳のあたりに近くなる」という意味で、本当に琴が耳にくっつきそうとの意味ではありませんので、心配しないでください。
そのほか、現在の支架は先生が何年も思考錯誤して完成したものだと伺っておりますが、残念ながらわたくしには本当に合わないみたいです。原因は多分、わたくしは背が高いだけではなく、腕も長いからかもしれません。そのほか、先生のように子どものころから琴を習ってきた人とわたくしのように大人になってからゼロから始めた人とは違います(先生のような子どものころから習っていらっしゃる人は、琴のバランスのとりかたを知っていて、成長とともに自然に微妙に調整していると思います。)ですから、ご迷惑をおかけいたしますが、今後ともよろしくご指導のほどお願いいたします。
わたくしは土曜日に出国します。北京に戻り、時間を見つけて徐州に行き先生にお会いしたいと思います。
その時はどうかよろしくお願いいたします。
【孟先生の回答】
こんにちは。
あなたは背が高いので、支架を長くするといいですね。
長身の人のために、私たちはよく長い支架を特別に作ります。徐州にいらしてください。
土日は私は学生に講義をしているので、都合があまりよくありません。その他の時間は大丈夫です。
来るときは事前にご連絡ください。
なお、以下の引用部分は、孟憲洪先生と孟醒先生の許諾を得て、徐州孟宪洪柳琴制作中心ウェブサイト(www.mengxianhong.com)の掲示板より翻訳、転載したものであり、孟憲洪先生と孟醒先生及び翻訳者である萩原有里(游鯉)の書面 による同意なく、著作権法の定める適正な利用を超えるその他の利用はできないことをご理解ください。
游鯉より
No.205に対するご回答ありがとうございました。
琴の位置を上に引き上げたら、左手親指の負担はだいぶ軽くなりました。また、支架がとても低いと右手の腕の重量が足りなくて、右手がバランスの一部を形成できないと感じました。琴の位置を高く引き上げると、右手の重量を十分に利用できるかなという気がします。わたくしの感じですと、脚から支架の穴まで10センチ以上いるような気がします。(第2弦の琴軸の位置がわたくしの耳の位置と同じくらい)。これって、美観的に如何なものかとも思うのですけどね…
でも、美観がどうであれ、わたくしはちゃんと琴を弾きたいと思っておりますので、どうぞご指導のほどよろしくお願い申し上げます。
それから、「あなたが本を手に取るとします。あなたが手にとった本が左右に傾斜することを心配するでしょうか? 原因の一つは、親指とその他の4本の指の対抗する力のバランスがとれていないのでしょう。他には右手の重量を利用することです。」というアドバイスはとても参考になりました。でも、開放弦を弾いた後にポジション移動しようとすると、左手親指が後ろに滑ってしまい、琴は必然的に左下に傾いてしまうのですが、どうしたらいいのでしょう?
【孟憲洪先生の回答】
やっと出張から帰ってきました、ごめんなさいね。一、左手を下へポジション移動する際、左手親指を下に移動させるときは、内側あるいは中側に異動してはいけませんよ。琴の縁に沿ってください。そうしないと琴を持っていられません。試してみれば分かります。二、琴の台座を高くした後、琴頭は耳の傍へ近づくようではいけません。琴頭を前に出して、琴頭と肩の距離はげんこつ一つ分くらいです。こうすれば弾きやすいと思います。試してみたら、またご連絡ください。柳琴の支架は私が数年間模索して、1977年に今の形に落ち着き、右手、左手の問題を解決しました。遠慮なく意見を出してください。たくさん意見交流しましょう。
Posted in 柳琴 by , 2010年8月5日 10:00 AM コメントは受け付けていません。
なお、以下の引用部分は、孟憲洪先生と孟醒先生の許諾を得て、徐州孟宪洪柳琴制作中心ウェブサイト(www.mengxianhong.com)の掲示板より翻訳、転載したものであり、孟憲洪先生と孟醒先生及び翻訳者である萩原有里(游鯉)の書面 による同意なく、著作権法の定める適正な利用を超えるその他の利用はできないことをご理解ください。
孟先生 回答ありがとうございます。
左手の親指ですが、わたくしも左手の親指のフォームが間違っているということを知りながら、どうしても矯正できませんでした(訳注:本を持つときのように丸くあるところを反対側に反ってしまっている形)。もともと左手はとにかく負担がかかりすぎていて、琴が下に落ちないために、仕方なくこのように無理をして琴を支えざるをえなかったのです。
わたくしの先生もかつて、わたくしの右手はテイルピースの上に単に触れているだけで宙に浮いているのではないかと指摘してくださいました。そのようなわけで、うまく把握できていないのです。以前の先生は腕の重力を利用しろとアドバイスしてくださらなかったので、今回、試してみようと思います。
支架の高度ですが、脚を組んだ姿勢で、琴を抱えても琴はまだ安定しません。ですから、バスタオルを畳んで右脚に乗せてみたところ、少しはましになりました。
琴と身体の接触点ですが、これは以前、誰もわたくしに言ってくださらなかったので、気にしたことがありませんでした。支架が低いと確かに琴と身体はどこも接触しません。支架を高くすると、琴と身体の接触点は、だいたい胸の位置になります。支架の高さにかかわらず、腹部は琴とは接触しませんね。でも、これは大部分の女性学習者はそうなのではないかと思うのですが、どうなのでしょうか?
今のところ、支架の位置を上げることで、左手は正確なフォームを保つことができますが、長く距離を移動しなければならないポジション移動になると琴はやはり動きます。場合によっては前に落ちてしまいます。これは時間とともに解決される問題なのでしょうか?
それから、支架がなかった昔は、皆、どうやって琴を持っていたのですか?どうやってバランスをとっていたのでしょうか(訳注:テイルピースも支架も近年の改良の結果です)。昔の柳琴と今の柳琴とでは大きさは同じですか?昔の柳琴の演奏には、大幅なポジション移動は伴わなかったのでしょうか?
孟憲洪先生の返事
柳琴の改革は近代の出来事で、柳琴の発展と作品の創作も近代の出来事です。柳琴曲がだいたい出そろった頃、支架も加えられました(^_^)。初期、私が子どもの頃に柳琴を習ったときも、支架はありませんでした。でも楽器の改革と発展に伴い、あっというまに支架が付け加えられました。初期の柳琴曲にもポジション移動はあります。考えても見てください。あなたが本を手に取るとします。あなたが手にとった本が左右に傾斜することを心配するでしょうか? 原因の一つは、親指とその他の4本の指の対抗する力のバランスがとれていないのでしょう。他には右手の重量を利用することです。(^_^)試してみてください。琴と身体の接触点はあまり重要ではありません。偶然、触れるに過ぎません(^_^)。あなたの質問は女性への質問なので、この部分について私はうまく答えようがないですね、ご理解のほどを(^_^)。
Posted in 柳琴 by , 2010年8月4日 10:00 AM コメントは受け付けていません。