中国の大学は夏休みに入ると、レッスン室が借りられない(日本の音大はどうなんだろう?)。
実際のところ、建物自体は閉鎖するわけでもないのに、管理上、人を締め出したいらしく、午後から閉鎖するから出てけとか言うんだよね。
(本当はまだ仕事をしている先生もいたりするし、宿直のおばちゃんは、交代制で出ているので、ずっと開いていたりする)
まぁ、確かに、学生の中にはちゃんと練習したり、リハしたりするわけじゃなく、そこで寝たり、雑談したり、食べ散らかしたりする子もいるから、利用させたくないのも分かるけど、勉強熱心な学生を応援してくれたっていいじゃん…
何とかならないかと留学生事務室などを通じてお願してみたけど、正面から聞いても無駄なんだよね~
中国人はよく嘘をつくというけど、皆、自分のポジションの都合で可愛いウソをつく(笑)
で、ついに練習する場所を失くした私は、外で弾いている。
この際、人前で弾く練習を兼ねてやろうと前向き。
分かったことがいろいろありました。
いろいろな人がこれまで私に「人は他人のことなんて何とも思ってないんだから、気にするな」と言っていたことは本当だったんだな~
ただ、私は田舎育ちで、ちょっと外でアホなことやらかすと、近所で噂になって、いろいろ悪口言われちゃうという、そういう環境で育ち、加えて両親がすごく世間体を気にする人たちだったんで、そういう感覚分からなかったんですよ。
祖母の家の近くの公園(もちろん、実家とは別の都市なので、私のことを知る人がいるはずもの無い土地)で、笛吹いて練習してた時もあとで母に散々
「そんなみっともないことして」と叱られました。
「私の顔に、私はあんたの娘ですって書いてあるわけでもなし、あんたと私は違う人間なんだから、私の勝手じゃんか」と思ったものです。
上手く弾けないから、練習するんでしょうが。
しかも日本社会の音に対する過剰反応や住宅事情からすると家で練習できないから外へ行ってるわけだし。
このみっともないというのは、日本人特有の考え方なのか、それとも単に私の両親が変なだけなんでしょうか。
でも、現実に都市の人と言うのは他人に無関心なんですね。
で、話を元に戻すと、誰も聴いてくれないのなら、こうなったら、立ち止まらせてやろうじゃんか、みたいに燃えてきたりして(笑)。
やっぱね、津軽三味線弾くと、人は立ち止ります。
これはおそらく、日本の楽器と曲が珍しいということでしょう。
それから、そもそも津軽三味線は、津軽の芸人さん達がいかに他人の気をひいて、その日のご飯にありつこうかっていうことからスタートしている音楽だから、貴族趣味の音楽と違って魅力的なんでしょうね。
中国人が知るはずもない曲なのに(私だってこの間まで知らなかった曲だ)、いいね~と言ってくれるんですよ。
三弦はというと、哀しいかな~
「それ、何ていう楽器?」と中国人に聞かれる始末…
これが琵琶や二胡なら、誰も聞かないよね…
そして、私が弾ける楽しい曲がほとんどなく、得意なのは物悲しい民間の曲なのでウケが悪い(わ~ん)
子どもはわりと何らかの興味を示すけど、なにせ、アニメソングくらい弾けないと、注意ひけないよな~
喜羊羊のテーマとか、練習しとくんだった(おいおい)
モーツァルトのトルコ行進曲とか弾けたら、多分、子どもを立ち止まらせられるんだろうけど、これ、めちゃ速くて両手の合わせ方の訓練をするような上級曲だから、私なんてあと5年は修行しないと無理だわな。
路上演奏して、分かったことは、
日本人はどうか知りませんが、
「他人は基本的に自分の演奏なんてどうでもいい」
「他人は私の演奏ミスなんて気にしない」
「他人はむしろ、私の演奏のよい部分に魅かれて近寄ってくる」
そういうことなんですね。
もちろん、入試とかコンクールとかの審査とは演奏を評価する基準が違うんでしょうけど、
他人は私の演奏にさほど悪意を持つわけではないということが分かっただけでも、気が楽になりました。
要は聴衆と言うのは、無関心 OR 好意もしくは好奇心 のどれかでしょう。
私はこれまでずいぶん、自分のミスや音程の狂いに嫌悪感を抱いてきて、それがもろ顔に出てました。
先生方も、「どうして、そこまで気にするの」と私に言うので、
「芸術系の教育だけ受けてきた人との差なのか、日本社会との文化の差なのかは分かりませんが、いずれにせよ、私はこれまで、100%出来て当たり前、120%出来た時にやっと褒めてもらえて、99%なら足りなかった1%を責められ、1%足りないだけで99%の努力はゼロに等しくなるという世界で生きてきました。100字のレポート書いたとして、1つ誤字があっただけで、内容に影響がなくたって、その不注意によってダメなやつという烙印押されます。だから、誰かが99%の中の良い部分を見てくれるとは思えないんですよ」と言ったら、「そんなものかねぇ、芸術なんてあまりにも抽象的だから、百かゼロかなんてありえない」と言われたものです。
でも、私の気持ち、日本で仕事の経験がある方なら、多分、分かっていただけるのではないでしょうか。
プロとしてお金取ってるわけでもなく、たんに自分の演奏をアップしてるだけなのに、「こんなんで、よく公開できるよね」って結構、みんな言ったりするわけでしょ。
正直に言えば、私も口には出さないけど、素人の演奏のいいところ、これまであまり聞いてませんでした。
ミスばっかり気になるんですよね。
別に私はその人からお金取られてるわけでもないし、その人の先生でもないんだから、嫌なら聞かなきゃいいわけだし、聴く以上、よいところ聴いてあげるべきなんでしょうね。
受けてきた教育と環境の悪い習慣なんでしょうか。
発表会などであがってしまうとか、恐怖だという人は、一度、異文化社会の公園で演奏してみたらどうだろう?
おそらく、な~んだ、こんなもんか、と思うんじゃないかな。
Posted in 音楽あれこれ by , 2012年7月16日 8:30 AM コメントは受け付けていません。
よく、芸術などをつかさどるのは右脳みたいな話をききますが、どこまで根拠があるんでしょうかね…
こういうサイトで、http://www.nimaigai.com/pc/usausa/shindan/index.php
診断してみると、私なんてまさに右脳駆使してる人間らしいんですよ。
インプットもアウトプットも全部右脳のうう女。
私が出会った器楽の先生方の手の組み方も、左手の親指が上になる人ばかり。
この理屈からすると、インプットは右脳の人が多いわけで、理屈よりイメージで覚えちゃうんでしょうか。
統計とったことないから分かりませんが、実際、どっちが多いのでしょう。
言語に関して言えば、
確かに私は中国語とりあえず、日常生活に困らない程度に話せて、大学院で困らない程度に論文が書けますが、実を言うと文法が大の苦手で…
いわゆる語学の成績がいい人に言わせると、文法なんて単にお勉強すればできるものらしく、リスニング等は単にまじめに本読めばできるってもんでもないから、やっかいだっていう。
私は日本人には珍しく、文法スコアが悪く、リスニングのスコアがいいタイプ。
海外旅行に行っても、実は文法的に相手が何言ってるのか分かってなくても、シチュエーションで、こう言ってるんじゃねーか?と想像力だけで聴きとる(笑)
うさうさ漫画http://www.nimaigai.com/pc/usausa/shinso/index.php
見ると、ほんと、結構自分に当てはまってて、こわいかも(^^;
Posted in 音楽あれこれ by , 2012年7月6日 6:46 AM コメントは受け付けていません。
今回は、テンポって、あるようでないような、そういう話です。
昔は、譜面には四分音符=120とか、書いてあるのが普通だと思っていました。
まぁ、具体的なメトロノームの数字が書いてなくても、アレグロとか、アンダンテとか、言葉で遅めなのか速めなのか判断がついて、曲を知らなくても大体そういう範囲内で弾くものだと思ってました。
しかし…世の中にはもっと自由に解釈してもいい場合がある???
例えば、私の三味線の譜面、まったくテンポに関する記述なし。
知らない曲だとどれくらいのテンポか分かりゃしない。
もっともCDがついているので、それを手掛かりにすればいいのだけど、それはあくまで一例であって、実際にはいろいろなテンポで演奏されているらしい。
私が今、二胡で弾いている曲は「燭影揺紅」だけど、出だしはかなり自由なので、人によってほんといろいろ。
どーすりゃ、いいんだい、と素人は思う(^^;
ま、最初は自分の好きな演奏家の真似でもしてみろや、ってことでしょうね。
私の三弦の課題曲、全体を某大御所は3分30秒で弾き、某大先生は4分30秒でお弾きになる。
大先生の間でも1分の開きがある…
で、私が弾くと5分もかかる。
もちろん、もともと超絶技巧を必要とするような曲じゃないので、素人でもいくらでも速く弾けるのだけど、私の先生が私にこれをかなりスローに弾かせているのには訳があって、
「お前は技術で勝負できないから、せめて表現で人をひきつけられるように、間を伸ばして弾かせている」
ということだったりします。
ううむ、確かに、大御所先生は速く弾いても余韻が残っているし、その短い時間内でも内面が出てきているのでしょう。
私が3分30秒で弾いたら「平凡すぎてお話にならない」そうです(^^;
そういえば、のだめでも、ショパンのピアノコンチェルト1番を「遅っ…」とビックリされるような弾き方してますけど、ちゃんとオケと調和がとれれば、お客さん感動しちゃうんですよね…
テンポ~
っていったい、何なのでしょうね~
Posted in 音楽あれこれ by , 2012年7月1日 5:55 AM コメントは受け付けていません。
日本語で「感染」といえば、
「何らかの原因で微生物の一部または新たに外界からの微生物が、宿主(しゅくしゅ)となる生物にその対象となる微生物が本来はいないはずの部位に侵入・定着した状態をいう。生態学的には寄生の形のひとつである。」
(参考:ウィキペディアhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9F%E6%9F%93)
中国語の「感染」には、日本語と同じ意味も当然あるのですが、もうひとつ、意味があります。
「影響力」とでも「感化」とでも訳せばいいのでしょうか。
以前、于紅梅先生の二胡コンサートを聴きに行って、
「甘い匂いが漂ってたような気がする」とナナ先生に言ったら
「感染しちゃったのね」と言われました。
耳で聴くはずの音楽に匂いが漂うという経験をしたのは、この時が初めてでした。
曲の内容が美少女だったからなのか…お年頃の女の子の甘ったるい匂いを感じちゃったんですよね。
(別に会場で誰かがお菓子食べてたわけじゃないよ(^^;)
そして、器楽のレッスン中にもたまに言われます。
例えば、先日、三弦のレッスン中に、本来、ず~っと余韻が続かなければならない音なのに、私の弾きが弱かったせいで音が途中で消えてなくなっちゃったんですよね。
そしたら、先生一言、
「実際には音が消えてなくなっていても、弾き手の心に音が流れていれば、聴衆も感染されて聴こえるものだ」
ひょえ~~~
それはずごいですね(^^;
聴こえない筈の音が聴こえるって、怪奇現象???
そもそも、「音楽を感じる」ってどういうことなんでしょうね。
もちろん作曲家や弾き手のイメージがそのまま聴衆に伝わるはずもなく、何の先入観も与えずに単純に音楽だけ聴いてもらった場合、
受けて手は多種多様なイメージを持つ筈です。
文化的な背景の違いからイメージが異なることもあるでしょうね。
楽しそうな、とか、哀しそうな、とかいうのは世界各国、割と共通点が多いのかもしれませんが、例えば低音男性の声を聴いて、欧州人は「神々しい」とか感じるところで、中国人は「悪人が出てきたか」とかいうイメージになると聞いたことがあります。
結局、音楽って音になった瞬間から、好き勝手に独り歩きしちゃうわけだけど、
ある種の才能を持った人が音楽を奏でると、聴衆に寄生しちゃう…
本来、ない筈の音が聴こえて、本来ない筈のものが見えたりする。
音楽ってほんと、抽象的で難しいですね。
Posted in 音楽あれこれ by , 2012年6月25日 10:01 PM コメントは受け付けていません。
二胡のテンペンは弓を動かすことで皮がすれてしまわないように保護しているわけで、すり減ってくれば自分で、あるいはお店で取り換えたりするものなのですよね、多分。
しかしながら、こういう皮に接触しているものを取り換えると、あれぇ、何か音変わったかも、ということがあるらしく(私は経験ないから分かんないけど)、ナナ先生はそこに絆創膏みたいなもの(あまりべとべとしないものがよい)を貼っておられます。
で、擦り切れてきたらそれを貼り替えるだけで、テンペンそのものはいじらないのだそうです。
いい音出す二胡というものは、様々な部品の集まりで、それで全体のバランスがとれているのだから、何かしらの部品だけいじるのは、したくない、そういうことらしいです。
私にもそうしときなさいと薦められたので、私は医療用のテープ(?)を貼っていましたが、どうも擦り切れてくるとべたべたしたものが弓の竹にくっついてきて、運弓に支障が…
そこで、思いついたのが、津軽三味線の撥皮シール(撥が皮に当たる部分を保護するシールで、定期的に張り替えますが、自分で簡単に貼れます)を細く切って貼ったらどうだろうと…
おっ、いけるじゃん!
うふふ、別に弓が変にひっかかかるとか、すべるとか、そういう感じがない。
よい発見したかも。
ところで、朝から晩までいろんな楽器を弾き続けると、指が痛い。
特に左手人差し指の爪が割れる…三味線弾きなら当然経験あると思う…
そういえば、姉弟子のSちゃんは副科で琵琶をとっているけど、何か指の皮がむけちゃった~と見せてくれたっけな。
私らの指の皮は相当厚いけれど、それでも練習しすぎると、爪の方まで裂けてしまうこともあったりして、そんなときは
瞬間接着剤、だったりする…
これは日本でも中国でも皆使った経験があるみたい。
わはは…でも液状の瞬間接着剤はうまく乾かすのが難しいし、垂れてくるし、関係ない皮膚にまでくっついて、そこがつるつるして、演奏に支障をきたすので、私はゼリー状の瞬間接着剤が好き(^^;
ちょっと乾くのに時間かかるけど、それで、弦で削り取られてしまった爪の穴埋めをしたりする。
じゃあ、つけ爪でもしたらいいじゃん、っていう案もあるかもしれないけど、それだと棹の方が削れてしまって、修理で余計に高くつくと思う(^^;
適度に爪が削れて、適度に糸が切れた方が楽器のためにはいいってわけなんだけど。
さて、本来今日、二胡のレッスンだったのだけど、ナナ先生からメールが入ってきて
「ごめん、今、北京にいないの、明日の同じ時間にレッスンするので、どう?」
ということになりました。
つくづく、不思議なのは、中国ではスケジュールが急に変更になったりすること。
ナナ先生自身もコントロールできないんでどうしようもないんだけど(ナナ先生の雇主あるいは大先生が突然、午後からリハするから、今から来いとか言うのだから、下っ端はどうしようもない)
私の大学のレッスンでも、「お前の講義時間帯に急に会議入ったから、その日レッスンできないけど、今だったら何とかなるから、今からおいで」とか先生急に言うからなぁ。
もちろん、こっちは何が何でも必死で行くから、その日の予定をキャンセルするわけだけど(笑)
どうして行き当たりばったりで、みんな動くのかなぁ。
まぁ、私はこの現象にもう慣れているけど、日本では普通あり得ない…
中国に来て間もない人たちは、神経すり減るかもなぁ…
人は見た目が九割とよく言われている…
確かに、目が悪くない限り、最初は言語より非言語的な情報からいわゆる「そういう感じ」を受け取るものね。
ところで、たまに聞かれる質問。
「あなたは少数民族なの?」
これは見た目(洋服の好み)と喋り方(外国語喋ってんだから変な癖があって当たり前)からくる素朴な疑問なんだろうな。
ところで、二胡を楽器ケースに入れて持って歩いていると
「バイオリン弾くの?」とよく聞かれる。
「二胡です」と答えると「へぇ~今はそんな大層なケースに入れて持ち歩くんだ~オレがガキの頃は太鼓の部分だけビニール袋かけてただけだよ」と言われることもしばしば。
可笑しかったのは三味線ケース持って日本の商店街を歩いてたら
「射撃やってんの?」とお爺さんに呼び止められた。
「いえ、これは三味線です」とニッコリ。
着物とか着てたら三味線ケースに見えたのかな?ジーンズだから、到底三味線には見えなかった?
でも、私の先生は普段、ジーンズでお稽古してくださいますよ。
一番、ぎょっとされるのが大三弦を持って歩いているとき。
そもそも、大きいので通行の邪魔だし、これが何なのか、他人にはなかなか想像できない…
同級生いわく
「これ持ってると、他人が振り返る確立がぐっと上がるのよね(^^;」
ちなみに、私の先生は、これ持って地下鉄に乗ろうとしたとき、改札でセキュリティチェック通過してきたのに、何度も中身見せろと言われたとか。
「先生、見た目が怪しいんですよ」と私達学生にからかわれる始末
話はそれるが、先日、大学の美術学部の子たちの授業で、どうやらちょっと昔の人物像を描くということをやっていたらしく、
廊下には時代劇から抜け出てきたようなおじさま、おばさま(彼らはモデルさん)がウロウロしていた。
美術室の前が音楽科の防音室なので、そこを三弦持って歩いていたらモデルさんに
「あなたもモデルさん?」と呼び止められてしまった。
私、別に民族服を着てたわけでもなんでもなく、フツ―の恰好してたつもりなんですけど…
「いえ、違います」と言ったら
「あら、じゃあ学生さん?京劇おやりになるの?」と聞かれてまいってしまった。
京劇用の三弦はもっと小さいです…(-_-:
まぁ、日本だって、三味線習ったことがない人からしたら、、長唄三味線も地唄三味線も義太夫三味線も津軽三味線も、同じように見えちゃうかもしれないし、三味線には違いないからなぁ~
先日、テレビを見ていたら、中国音楽学院の張維良先生(笛子、洞蕭演奏家)と王中山先生(古筝演奏家)、二胡の周先生が出演されていました。
演奏よりも、司会者や出演者の方々となさっている漫才的な話が面白くて、ほんと笑い転げてしまった…
皆、自分がやってる楽器が最終的にはいちばん~だと思っているものね。
歴史の古さはやっぱり、笛なんですよね。
そして、どの国にもあるだろ~という普遍性。
張先生曰く、欧米の学生にも人気があるとか。
筝はアジアだったらどの国にもあるだろ~というポピュラーな楽器。
日本のお琴、韓国のカヤグム、ベトナムの琴(何ていうんだっけ?)などなど。
王中山先生はほんと、楽しい性格のお方で(専門の学生相手のレッスン中はどうか知りませんよ)、筝を弾いていなかったらお笑いタレントさんみたいで…
「誰でもできる簡単な楽器だろ」と突っ込まれると
「そうなんだよね、誰でも5分で弾けるようになるんだよね~」と笑傲江湖の一部分をご披露。
確かに、上から下へ一弦ずつ弾き下ろしてあるいは上げていくだけで、メロディーになっている(笑)
王先生曰く、楽器初心者にとって簡単な三大楽器は
「ピアノ、フルス、次に古筝」ということらしい。
押せば鳴るじゃん、のピアノ、吹けば鳴るじゃんのフルス、弾けば鳴るじゃんの古筝…
もっとも、逆にそこまで大衆的な分、秀でるにはとても大変だろうな~
弦楽器は、全くの初心者だと、弓引けば鳴るじゃんとはいかない(まれに、私もそうだったけど始めから簡単に鳴る人もいる)。
横笛や尺八系の楽器は、コツをつかむまでは音そのものが全く鳴らない(稀に、穴のあいたものなら何でも簡単に鳴らせる人もいるけど…)
「楽器が大きいから持ち運びに不便じゃん」と突っ込まれると
横から周先生が
「そうなんだよ、だからコイツ(王先生)は、何処へ行っても筝を借してくれ~って乞食みたいな生活してんだよな~」とからかう。
「そういえば、ヨーロッパ行ったときだっけ?機内に持ち込めなくて、無理やり手放されて、機内で泣いてたよな」とも言われ…
うん…その気持ちはよく分かる。日本の琵琶や中国の大三弦とかの楽器も、古筝ほどは大きくないけど、バイオリンみたいに完全に手荷物程度という大きさではない楽器は、無理を言って持ちこめる場合もあるけど、普通断られるので、「首が折れたらどうすんだよ、うわ~ん」と泣いた経験のある人も少なくはないんじゃないだろうか。
ちなみに大三弦の場合、うちの先生はアメリカへ行くときに一番後ろの席の後ろにそのまま置いてもらえたそうだ。
シンガポールのコンクールに行った姉弟子は、荷物として放り込まれて、出てきた時には首が折れていたそーな(可哀そうに…)。
何で「古筝選んだんだよ」との質問に王先生は
「一番上の兄が二弦、二番目の兄が三弦やってたから、僕は一弦で行こうと思ったら、当時、楽器が手に入らなくて諦めて、そうしたら親父が多弦やってみろと古筝をもってきた」からなのだそうな。
「でもさ、古筝っていうと、女の子の楽器って言うイメージでしょう、君のイメージとは程遠いじゃん」とからかわれると
「周瑜(中国後漢末期の武将)は古筝が上手かった~」と反撃。
確かにウィキで調べてみると周瑜は「若い頃より音楽に精通しており、演奏を聴いていると、たとえ宴会中酒盃が三度回った後でも僅かな間違いに気付いた。そのため当時の人々は「曲に誤りあれば周郎が振り向く」という歌を作って囃したという。」ということらしい。
私が疑問に思うのは、中国の酔っぱらいには音楽の上手い人が多いのはなぜなんだろう?
そして、とどめに王先生はこうお答えになった。
「ちまたで古筝弾いてる女の子は、男の先生(つまり僕)が教えてんだよ~」
確かに、古筝(お琴)というと中国も日本も女子っぽいイメージ。しかも綺麗な女子ね。
三弦は日本だとどうだろ、遊里の女性(やっぱり綺麗なお姉さん?)、それとも、歌舞伎の三味線方のお兄様、おじ様って感じ?
中国の三弦はね、やっぱ芸人のお爺さんがイメージされちゃうんだよね…
はっきり言って「土」(ダサいとでも訳しておけばいいのかな)
からかわれるたびに、反撃に出る王先生に司会者が
「先生、その熊みたいな手(爪をつけているから)で近寄らないでくださいよ~」と言われていました。
そういえば、王先生って、クマのぷーさんみたいだと思うのは私だけ?
でも、そういう可愛らしい実物像とはかけ離れた演奏中の王先生は、すっごくかっこよくて、私は大好きです(はあと)。
なんで、あんな熊みたいな手であんなに速く弾けるのかなぁ…
Posted in 音楽あれこれ by , 2012年3月19日 8:30 AM コメントは受け付けていません。
「古琴」というのは琴柱がなくて7本の弦が張ってある琴のことです。
日本語の「お琴」はいわゆる琴柱があって、本体が大きめの「筝」も含んだ概念として使用されてますよね。
ちなみに中国語の「琴」は、日本語でいうところの「お琴」以外にもありとあらゆる楽器を指す言葉になってしまっています。
例:鋼琴(ピアノ)
胡琴(二胡や板胡等の楽類)
口琴(ハーモニカ)
小提琴(バイオリン)
そのようなわけで、七弦琴のことを昔は単に「琴」と言っていたけど、今や他の楽器と区別がつかないために「古」を前に付け加えて「古琴」と呼んでいるわけであります。
12月3日、国家大劇院
古琴芸術講座に行ってきました。
講師は中央音大の趙家珍先生。
先生、講座の広告用の写真が可愛らしく笑っている写真だったので、いったいお幾つなのかなと思っていたのですが、教学30年とかって言ってましたからね…
しかし、舞台に立つ人は本当にあまり歳を感じさせないんですよね。
「会場から自分の演奏を披露してくださる人いますか」との問いかけに、ある女の子が挙手したので、さっそく先生は「じゃあ、小朋友こっちへどうぞ」と。
「小朋友」というのは小学生くらいの子どもに対する呼びかけです。
しかし、そのお嬢さん、見た目、あまりにも落ち着いていて、年増っぽいので、私の後ろに座っている男性2人がひそひそと「ありゃ、子どもじゃないだろ?」とつぶやいていました。
しかし、現実は本当に子どもで中央音大附属の中学一年生だそうです(^^;
古琴といえば、孔子が愛していただけあって、学問的には難しくって、音色的にも子供が楽しむような類の楽器じゃないからか、お嬢さんは12歳で20歳以上に見えてしまうぐらい精神的に成長してしまったのでしょうなぁ…
先生が最後に演奏してくださったのは、いわゆる現代曲で「春風」という新疆テイストの曲でした。
新疆手鼓との合奏であります。
私は弦をはじく類の楽器と打楽器、特に新疆の手鼓等はとてもよくあっている組み合わせだと思っています。
琵琶の呉玉霞先生もよく打楽器と合わせていますね。
(ちなみに、わたくしも新疆手鼓を所有してます。わたくしのはニシキヘビ皮じゃなくて羊皮なので安いけど~)
この春風という曲は、本当にこれ「古琴」?と思う程、音色的にもリズム的にも古琴のイメージをぶち壊してくれます。
まぁ、日本人的には中国の古き良き時代の「古琴」のイメージを壊さないでくれた方が受けるのかもしれませんが、中国人的にはきっと「西洋楽器にもまけないくらい表現力あるんだからね、これでもか、これでもか~」というのを見せつけたいのかもしれません(^^;
先生の「琴韻水墨」というDVDに収録されているし、あちこちでよく披露されるようなので、一度、聴いてみてぐぁらぐぁらと古琴のイメージを壊されてみるのも面白いかもしれません。
日本人が知っている古琴らしいかどうかという問題を別にすれば、新疆情緒あふれるとても感じのいい曲です。
Posted in 音楽あれこれ by , 2011年12月5日 7:15 PM コメントは受け付けていません。
袁莎古箏藝術欣賞
2011年11月26日 國家大劇院 藝術普及 經典藝術講堂
国家大劇院では、週末になると芸術の普及活動として、いろいろな講演が行われていたりします。
今回は中央音大の袁莎先生とそのお弟子さん達。
今年、附属小学校に優秀な成績で入学したという9歳の女の子の演奏がありましたが、その指の動きの速さに「すげ~」と感心しました。まぁ、趣味で弾いているのと専門的な教育は全然違うので、その女の子が「すげ~」のは当たり前なんですけど、演奏技術がすげ~ばかりでなく、ほんと「自信」に満ちているんですよね。
音楽を専門にしている人は早ければ小中学生ぐらいから故郷を離れて大都市の音大の付属学校に入ってしまうので、精神的に大人になるのが早いのでしょうね。
袁先生も「臨安遺恨」を弾くたびに家のことを思い出したとかお話されていました。
余談ですが…わたくしの三弦の先生は12歳から音大附属に進学したため、一人で上京すれば、誰もうるさく管理しないので、煙草とか、いわゆる悪いことは全部、12歳で覚えたとかって言ってましたねぇ…
次に印象的だったのは、すべてスチール弦を使用したという筝が登場したこと。
手、痛くないのかなぁなんて、余計な心配ですよね。
多分、手にタコが当たっているだろうから、スチール弦がぴしっと張られていてもどうということもないのでしょう。
柳琴のスチール弦もかなりきつく張ってあるけど、私は痛くないものね(^^;
二胡を始めたばかりの人の中には、弦を押さえると痛いって言う人もいるけど、ニ胡って全然、緩いと思うけどなぁ。
わたくしの左手人差し指の先は三弦を弾いているため、かなり硬いです。時々皮がめくれたりしますが、それでもその下の皮膚は全然軟らかくないので、どんな強力な弦を押さえても別に痛くありません。
ちなみに二胡は宙に浮いた弦を触って音程をとっているだけなので関係ありませんが、三弦のように弦を指板に押さえつける楽器ですと(バイオリンとかもそうですよね)、同じところばかり押さえることになるので、かなり硬い木を使っているにもかかわらず、石の上にも十年じゃありませんが、そこが凹んでくるらしいですよね。ほんと、指の力って恐ろしい~
優雅によよよと弾いているように見えるけど、実は彼女らはとっても力があるわけで…
デコピンなんてされたら死んじゃいそう(^^;
Posted in 音楽あれこれ by , 2011年12月3日 9:50 PM コメントは受け付けていません。
先日、国家大劇院で箜篌の演奏家、教育者の崔君芝の講演を聴いてきました。
箜篌という楽器を間近で見たのは初めてだったのですが、すごくいい音しますね。
崔先生は、西洋のハープとの違いなどを説明しながら、三台の箜篌を使って、いろいろな曲を弾いてくださいました。
楽器自体は大昔からあるのですが、楽器や演奏方法の改革はまだまだなのだそうです。
ハープと違って、右と左の両面に弦がはってあります。
共鳴板は、ちょうど琵琶を真横にした感じで、筝のように琴柱があったりします。
そのせいか、演奏方法も、琵琶や筝の先生からいろいろ教えていただいて応用しているそうな。
弦はハープより軟らかいらしい。
そして、両面に弦がはってあるので、反対側の弦を波打つように押さえれば、筝と同じようにビブラートがかかるわけですが、張力がちがうので、筝のようには大きなビブラートはかけられないそうです。
古代はほとんど男性が弾いていたらしいですが、現代ではハープみたいにやっぱり女性っぽいイメージがあって、弾くのは女性がほとんだそう。
「ちなみに、箜篌一台いくら?」という質問が会場からありました。
わたくしもききたかったので、よくぞ聞いてくれましたって感じ。
演奏用に使用する楽器だと最低1万7千から2万元くらいとのこと。
あぁ、欲しいかも(^^;でも誰が弾くんだ?あたしゃ弾けない。今から勉強しようにも、先生がいないし、なにより、あれは見た目の華やかさとは裏腹に、体力と指の力がいるんだよねぇ…
Posted in 音楽あれこれ by , 2011年11月13日 1:26 PM コメントは受け付けていません。