相変わらずの「燭影揺紅」
進歩なし・・・
「弾いている方も嫌だろうけど、聴く方も嫌になってきたというか、この何回かのレッスン無駄かも」
と、先生も私も認識したのでありました。
先生が指導している小学生の例を挙げて、もしかしてあなたもこう言う感じ?
みたいな、話になりました。
その子はナナ先生が指導する前、別の先生に師事しており、両親は中央音大のグレード4級を受けさせたいので一生懸命「良宵」を弾いておりました。
しかも、2年も・・・・2年も弾いてるにもかかわらず、はぁ?って演奏だったらしいです。
この程度の楽曲を2年もずっと、そればっかりっていうのはキツイですよね。
その子も多分、だんだん嫌になってきたのか、もともとこの曲が好きじゃないのか「反抗的」に弾いているという感じで、そんなんで進歩するわけねーだろう。
だから、ナナ先生はもうそれ置いといて、こっちやろうかと別の楽曲をやらせて、最終的に6級受けて合格させ、本人も両親も大喜びでめでたし、めでたし。
私にも、夏休み中、とりあえず「燭影揺紅」をおさらいして、休み明けは別の曲も並行してやろうかとおっしゃりました。
私が、いつまでたっても、「燭影揺紅」がきちんと弾けないのは(もちろん、音符そのものは、一応、それなりに暗譜もして弾いてますよ)、確かにもう、嫌になっているというか、下手くそだから気持が入らないんですよね。
本来は下手くそだから練習すべきなのに、いつまでたっても下手だから、もうやりたくないっちゅーか、でもやらなきゃいけないから、やってるだけって感じ。
この調子だと、他の曲やってもダメかもなぁ。
それこそ、「良宵」にもどってみるかなぁ…
そもそも二胡大好きの人なら、練習が楽しくて楽しくて仕方がないから、いつの間にか上達しちゃうんだろうな。
それに比べたら、私の場合、二胡が死ぬほど好きッて訳じゃないのでいつまでたっても、練習量の割には下手くそなのかも。
あえて不謹慎なたとえをすると、私は恋多き男性で、二胡ちゃんはガールフレンドの一人。君の場合、僕がいなくても別の人から、ちやほやされるから、ま、いいんじゃない、と心の片隅では思ってます。
趣味のお稽古程度の練習量で、私程度なら弾ける人いっぱいいるよね、嫌になるなぁ…
(それはきっと、私より二胡を愛してるからなんだろうな…)
ゴメン、二胡さん…
ところで、弾いてる途中で、先生が「高い」というと、思わず手を下に持っていってしまうワタクシ。
「音が高過ぎと言ってるんだから、手は上に上げるべきでしょう。手の位置が高いって言ってるんじゃないんだから…」と呆れられました。
年寄りだから、すぐに反応できないんだよう(;_;)
と心の中で毒づく私は、やっぱ、もう、学ぶ姿勢でわなくて、単に先生に反抗してるんでしょうか…
もちろん、先生のこと大好きなんですが…
二胡を自分の中でどう位置付けるか、選択の時がきているのかもしれません。
一生、人前で弾かないなら、もう、ここで、誰かに習うのはきっぱりやめてもいいのかも。
この程度でいいなら、簡単な曲なら、自分で楽譜見りゃテキトーになら弾けるので、一人で部屋でこっそり弾けばいい。
人前で弾きたいなら、行くとこまで行く気でやらないとなぁ。9級くらい取って帰ってくるつもりでやらないと。
実際、音楽やってる人から言わせれば、9級なんてスタート地点だし(^^;
ちょうど、リアルの世界での自分の方向性も分かんなくなってきているので、このブログもここでひとまず打ち切って、いちど整理しようかと思ってます。
現実にデータベースもぐっちゃぐっちゃだし、整理しないと管理できない(^^;
サブドメイン増やして、過去ログは倉庫にぶち込んで、新しいブログ立ち上げて綺麗に整理したいなぁ
Posted in 二胡 by , 2012年7月30日 6:33 AM コメントは受け付けていません。
してまずは、音階練習ですが、
何度も繰り返し弾くたびに、音程が狂う。
「指の位置が微妙に違って、そのたびに耳で聞いて直すのはいいけど、今回は高めだったから次回は少し低めにしようとかいう風に、どうして学習しながら繰り返さないの?」とナナ先生に注意されるものの…
もちろん、本人は当てずっぽうで何度も指を運んでいる訳じゃないんですよね…
いちおう、今回、高めだから次回は低めに、あ、そうしたら低すぎたから、次回は少し高めに、そうやって繰り返すうちにだんだん正しい位置が落ち着くというのが理想ですが、そういうつもりでやってても、そうならないんです(泣)
あまり、口答えすると、ナナ先生も困るでしょうから、言わなかったけど…
運動能力の問題なんでしょうかね…
所詮、二胡の場合、棹がかなり短いから(私は他の楽器をやっている関係から、これは超短いと思っている…)、距離にして何厘かの違いしかないわけで、そんな距離、身体は覚えてくれない(号泣)
【楽曲】
う~ん、とにかく、先生の前でも「燭影揺紅」が弾けるようになりましたが、弾いている内容は音符をそのまま音に換えただけの「やけくそ」です。
たまに音程とリズムが狂うのは本人も知っているから置いといて、おおまかに音符は弾けているとのことです。
じゃあ、表情付けましょう、ってことで、これは八分の12拍子ですが、三拍子の集まりみたいなものだから、そういう感じで弾きましょう、となりました。
最初の一弓は速く弓を長めに使って、次の二つは軽く、いわゆる「ズンチャッチャッ」ってことなんでしょうか。
それが出来ないんですよ…
左手使わずに、右手だけそうやってみるのは簡単ですが、左手が入ると、右手も緊張して(肩にまで力が入って)、あげくは弓使い、速さまで狂う始末。
「基本練習が何の問題もなくできてても、いざ、曲の中でその技術を使おうとすると、同じようにできないというのは、学習のはじめの頃、誰にでもある問題だけど、結局のところ、基本練習が身にしみついていないということなのよね…」
ということらしいです。
別の楽器でも、いわゆる基礎練だけやってみると、綺麗な音で、正確なリズムで出来ても、曲の中では全然、思うように手が動いてないんです…
つまり、技術が「自動化」されてないんですよね。
プロは技術そのものが自動化されちゃってるので、頭の中は表現したい「音楽」しかない。
私は、技術で頭がいっぱいで、音楽が入り込む余地がない。
表現したい音楽のことを考えれば、イメージと現実の差に落ち込み、ますます弾けなくなるか、イメージが膨らみすぎて暴走して、本当にでたらめ弾くかどっちか。
そうナナ先生に言ってみたら、
「でも、音楽を奏でるということを全く無視してこjの先、弾き続けたら、いつか技術がかなりのレベル達したときに、いくら正確に弾けても無味乾燥な音しか人に聴かせられないから、それじゃまずいわけで、バランスをとりなさいよ」とたしなめられました。
頭が旋律や音程など、別のことに気を取られると、もう、全くのド素人が初めて楽器を手にした時の音と変わらない有様。
哀しい…
失礼ながら、ナナ先生にしても、三弦の先生にしても、彼らは十代前半で技術が完成しちゃってるわけで、人生経験がないうちに技術が完成しちゃってるから、
こういう状態、分からないんじゃなかろうか…
私は子どものころから美術の成績はとてもよかったんだけど、それは目が捉えたものを頭がなんとなくイメージに換えることが出来て、そして何の苦労もなく、紙に写すことができたから(しかも造形芸術の場合、書き間違っても修正できる)、理想と現実のギャップは少ない。
音楽は、どうしても運動能力と、その一瞬がモノを言う…
まぁ、音楽も一瞬の不適切な演奏を修正することは可能だけど、一瞬で直す技自体、習得が難しいじゃん。
ある三味線の先生からテレビに出るから見てねと言われ、拝見したら、最初の出だしが妙に不自然で「?」と思い、正直に後日そうご本人に言ってしまったら、
「そうなんですよ、あれ、リハでは入る出だしの合図してくれるはずだったのに、生本番で、誰も合図してくれないから、焦ったなぁ~」とおっしゃって、焦っているようには見えなかったのがすごいなと思いました(^^;
私は体育の成績はめちゃ悪かったな…
音楽って、私に向いてない芸術なのだろうか…
子どもの頃、才能と環境とお金に恵まれて、音楽を勉強できた人が実に羨ましい。
少なくとも子どもの時の方が体力も瞬発力も記憶力もいいし、ある種の楽器を操作する上での運動方法を身体が記憶する(脳と神経伝達系統)上で有利には違いない。
羨ましく思っても仕方ないんだけど…私は子どものころには戻れないわけで。
【余談】
子どもの頃、才能と環境とお金に恵まれて、音楽を勉強できた人が実に羨ましいと言ったけど、そういう人たちがプロになって食べていけるかというとそうでもないから、それはそれで気の毒だとも思う(^^;
私がこんなに努力してもこの程度なわけで、彼らは私の百倍は努力してきたに違いないけど、その財力と労力を回収できる人は稀で、音楽への投資って絶対に割にあわない。
まぁ、無理やりやらされてきたのでなければ、財力と労力が回収できなくても、いいのかもしれないんだけど。
Posted in 二胡 by , 2012年7月14日 4:40 PM コメントは受け付けていません。
ははは…
もう、書きようがない。
なぜなら、技術の問題ではなく心の問題だから。
レッスン受けるより、カウンセリング受けた方がいいのかもしれない…
ナナ先生も、「音程とか指摘すべき点はいろいろあるけど、本人も分かっているわけだし、それ言っちゃったら、あなたの場合、ますますダメになるだろうし…」
というコメント。
とりあえず、
次回は、
音程狂おうが、多少、リズムが狂おうが、「もう嫌だ」という顔をして聴衆(別にステージに立っている訳ではないので、ナナ先生以外に聴いている人はいないけど)に
嫌な思いをさせることなく、ちゃんと弾くが課題です。
人には分かってもらえないとは思いますが、いちおう説明すると、
私の中には、私が描いている理想の音色や理想のテンポがあって、その理想像と現実が乖離しているのです。
それが、ものすごく腹立たしいし、もどかしいし、かなしいし、「もうお前、ええかげんにせい、そんなひどい音出しやがって」と訴えかけてくるんですよ。
人が「本人が気にするほど、ひどい演奏でもないよ」とか「他人とそんなに差があるわけでもないよ、ちょっとの差じゃん」言ってくれたとしても、そんなの慰めにならんのです。
なぜなら、他人に私の理想の世界は聴こえる筈もないのだから・・・
ちょっとの差どころじゃないんです。
勝手に拡がり続けるイメージの世界は押さえつけようがなく、でも技術はそれに追いつかず(いや、もしかすると、大先生と言われている人でも実現不可能かもしれない…だってこれは私のイメージで、誰かの演奏を基準にしているイメージではないわけだから。)。
自己表現ができないわけだから、もう弾いてる意味ないのかも。
でも、やめられない…
本当にお稽古やめて、カウンセリング行った方がいいのかもしれない。
Posted in 二胡 by , 2012年7月8日 9:03 PM コメントは受け付けていません。
快弓ですが…
まぁ、なんとなく様になってきたそうで、このままがんばりましょ~ということです。
やはり内弦は外弦よりも音質悪いので、出来る限り外弦を弾く時みたいにリラックス~ということです。
で、快弓しながら、換弦する場合、
なんだかんだ、弓を換える瞬間、タイムロスするわけで、そのタイムロスを目立たなくするように、できるだけ音符の長さが均一になるように、がんばりましょ~ということです。
はぁ…先は長いなぁ…
課題曲「燭影揺紅」
前より良くなってるよ、と褒めていただきました。
が、相変わらず、尾声の手前の慢板の部分(123532123…という遅いメロディが続く部分)ですが、突然、リズムが乱れてしまうのです。
いつもいつもナナ先生に指摘されて、そのたび、直すのだけど、最初から最後まで通しで弾く場合、そこに来ると八分の12拍子だったはずなのに、八分の16拍子に近くなってるんですよね(^^;をい
「注意すればちゃんと直るのだから、これはもう単なる自己暗示みたいなもので、ここに来るとそうなる~みたいにすり込まれちゃってるのかな~」とナナ先生。
一小節前から弾いて、ちゃんと弾けたら、二小節前から弾いて、できたら、三小節前から~とつなげていって、最後に最初から弾いてみて、リズム狂わないかチェックするという方法を試してみるようにすすめられました。
はぁ…来週もまた、この曲です(^^;
この曲、卒業したいよう~
【余談】
ところで、大学は今、試験期間です。
先週、器楽関係のほとんどの試験は終わったみたいですが、今週も一部の専攻の試験が少しだけ残っています。
だいたい、皆、どこのレッスン室借りて練習するのか、好きなレッスン室っていうのはだいたい決まっているので、周囲はだいたい同じ顔ぶれということになる。
そうすると、他人が毎日弾いている曲を覚えちゃうんですよね~
「XXちゃん、いつもそこで間違える」とか知ってたりする。
自分の曲はすぐ空白になるくせにねぇ…
うちにはピアノ科なんていう専攻はないので、ピアノは作曲あるいは音楽教育専攻の子が弾いているらしいのですが、
いつもショパンのエチュードを弾いている女の子、いつも「エリーゼのために」を弾いてる男の子、いつも久石譲を弾いている男の子、多分、学科の試験には関係ないんだろうけど、すごく好きなんだろうね、それが。
そういえば、久石さん、好きな子本当に多いよなぁ…
ちなみに、私もたまに二胡で「君をのせて」とか遊び弾くけど(^^;
Posted in 二胡 by , 2012年7月1日 10:23 PM コメントは受け付けていません。
快弓の練習ですが、やっぱり内弦で外弦と同じような速度、音色でつっぱしるのは難しいですねぇ…つーか出来てない。
手首、前腕、後腕、肩の力を抜く。
「機械に例えるとそれぞれの関節にちゃんと潤滑油がめぐっているように」というのがナナ先生のアドバイス。
ちなみに、私の快弓の評価は下記の通り。
「う~ん、音自体はそれなりに速く安定してきてるから、これがもし商品だったら、店に出して売りに出しても構わないでしょ、っていうだけで、高い値は絶対につけられない、ま、試しに置いておこっか、みたいな???」
ちなみに、ナナ先生の生徒さんや、ナナ先生がこれまで見てきた人たちの快弓はほんと多種多様だそうで、中にはもっと不自由そうなフォームで弾く人もプロでもいるらしい。もちろん、そんなんでも速ければ、曲の中でそれなりに使い物になるけど、持久力が多分ないでしょうね、とのこと。
だから、習い始めの頃にできるだけ負担がかからないようなフォームでちゃんと習慣にしておけば、後が楽と言うことらしい。
ナナ先生の経験によると、音大附属中学に入ったばかりの頃、とある演奏会で速度200くらいの速弓が出てくる曲だったのだけど、ナナ先生以外、誰もその速度で出来なかったのだそうな。
ナナ先生が言うには、運動神経の問題じゃなくて、ナナ先生の先生がわりと教授方法を熱心に研究されている人で、5歳から大学入学までずっとその先生に教わってきたから、よい練習方法が習慣になっているのでしょうとのこと。
他の同級生はきっと、方法論をちゃんと教えてもらわなかったか、あるいは教えてもらってたとしても、実践してこなかったのだろうということらしいです。
それが、中年女子でも可能なのかどうかわかりませんが、先生に言われたことは気にして練習に励みたいと思います。
今の私の状態では、快弓だけやって見せることは出来ても、実際に曲の中で使いこなせないでしょうって言われました。
確かに…
左手と一緒だと、先ほどまであれほどスムーズに速く動いた弓も見事に崩壊…
課題曲「燭影揺紅」は相変わらず、クリアできず。
「ま、いろいろ問題点はあるんだけど、今これ言っちゃうと、あなた、また撃沈しちゃうから、もう少し経ったら言う」とのこと。
ははは~気になるなぁ…
いっぱいダメなところあるんだろうな。本人が気づいているだけでも結構あるんだから。
一番まずいのは、これは三弦の師匠にも言われていることなのだけど
「音程とかリズムとか狂っても、ビックリして「やば」という顔をしないの、何食わぬ顔して誤魔化しましょうね。誤魔化し方、もっと勉強しようね~」
でも、誤魔化すだけの力量がないんですぅと言ったら
「あなたの技術レベルでも十分に誤魔化せると思う、やってみようとしてないだけ」
とたしなめられました。
へへへ、特に音程狂うと、びくぅって出ちゃうんですよ、もろ。
つまり、そのまま、しらっばっくれ誤魔化していれば、音程の狂いに気付かなかったであろう聴衆にも、「あ、もしかして、今何か間違えたの?」っていうことがもろ分かりになるというやつです。
音程のずれ自体は大したズレではないのに、そういうアクションが出てしまうと、そもそも大したことないミスが大ミスになってしまう、そういうことですね。
要はやっぱり自分に自信持ってないと弾けないんですよねぇ…
そもそも音楽というものはかなり抽象的なものなので、絶対的な正解や間違いがあるはずもなく(根本的なミスは除くけど)、
Aさんの演奏が好きな人が100人いる、Bさんの演奏が好きな人が10人いる、Cさんの演奏がいいって言う人が一人いる、それだけの差。
少なくとも自分のファンは一人は絶対にいる(自分ね)。
私にはそれすらない…(^^;
もう、この際、多重人格を自分で作り出してみようかなと思っています。
二胡弾きの游鯉1号は、ものすごく臆病で、理屈っぽいわけですが、それとは別の評論家である游鯉2号をでっちあげて、下手くそな游鯉1号は自分とは関係ない人だと思いたい。
でもそれだと、二胡弾き游鯉1号は游鯉2号にいつも苛められて可哀そうだから、もう一つ、二胡弾き游鯉1号の熱狂的なファン游鯉3号も必要だな。
何やってんだか…
Posted in 二胡 by , 2012年6月24日 11:09 PM コメントは受け付けていません。
やっと、ナナ先生の前で「燭影揺紅」を弾ききることができました。
もちろん、まったくあがらないということはなく、多少、テンション上がって、結構、音程とリズム狂いました…
多少、アガリを克服できたのは、「こんなんじゃ、レッスン代、どんどん無駄になる」という貧乏学生根性のおかげか???
ナナ先生いわく
「これが、5年目の生徒だったら、音程やリズムやらを逐一あげて注意するところだけど、あなたの学習年数考慮したら、まぁまぁなんじゃないのぉ、次はもっとこなれた演奏になるように努力してきてね」
はい…ほんと、人には聴かせられませんわ(^^;
って、毎日、大学の人たちには廊下で聴こえてるんだろうけど…
「それから、自分で音程狂ってるって自覚出来ている場所があるなら、急いで手を動かして直す癖つけなさい~私達や大先生だってそうしてるんだから、これは二胡弾きにとって絶対マスターすべき小技!」
とも言われました。
でも…そんなに早く直せないですぅ、直す間もなく次の音符がもう来ちゃう。
そして、帰り際、もう一言
「思うに、あなた、だんだん、音程が高くなりがちってことは、もしかして千斤の位置、低すぎなんじゃない?もしかしてあなたにとって二胡の棹は短すぎるのかしらね~(笑)」
ええ、確かにおっしゃる通り、私の手の大きさと腕の長さからしたら、二胡の棹は短いです。
普段、大三弦弾いてますから、その他の楽器の長さや重さはおもちゃみたいな感じです(^^;
千斤の位置は、よく腕を立てて小指の第二関節の位置くらいがいいとか言いますが、それより低めに設定してあります。
本当にちまたで言われているようにあわせると、私の千斤の位置はとぉっても高くなるので、テンションがかかりすぎて皮に悪くないかなと思い、ワザと下にしていました(それでも、普通の女子より高い位置にあります…)
ううむ、この際、もっと上げてみよっか。
Posted in 二胡 by , 2012年6月17日 9:33 PM コメントは受け付けていません。
今日は、はっきりって、レッスン代をどぶに捨ててしまったような気がする…
やはり、ちゃんとした楽曲(今の課題曲は燭影揺紅)になると、あがりまくって人前(先生を含む)で弾けないの…
しかも、曲が進行するにつれ、自分の音に嫌気がさすというか、もう胸がむかむかしてきて、眉間にしわが寄ってきて、「あ~もうイヤっ」っていう気分がもろ表面化して、そんなもん聞かされる方はたまらんよな…ごめんなさい、ナナ先生。
一人で練習しているときは、練習そのものに集中しているから、音程狂おうが、音色が自分の思い通りになって無かろうが、それはそれで、次に直そうと前向きになれるので、そこまで胸はむかむかしませんが…
それでも自分の音が好きになれないというか、これはもう、はっきり言っちゃって自分が嫌い、肯定できないという、演奏以前の心理学の問題ですね。
子どものころ人に肯定してもらえなかったからって、大人の今の自分が自分を肯定してあげなきゃどうすんのってことですが、難しいですね。
そもそも、普段聞いている先生方のCDは、演奏者のレベルが自分とは違いすぎるので同じ土俵で比べようとしちゃいけない(当たり前なのにね~)。
ぶっちゃけ、CDの場合はいろいろ修正が入ってたりもするから、先生方がライブで一度もミスしたことがないということは本来あり得ないのですが…
そんなわけで、帰って来てから「ステージであがらない方法」というものを検索してしまいました。
「練習不足」っていう回答もありますが…
本来、90%できるところを、人前では10%しかできなくなっちゃうんです。
汗かいて、左手滑らなくなってくるし…
もっとも、本番は上がって当たり前だから、普段から120%にしておいて、本番では100%出すっていうのが、本来のあり方なのかもしれませんが。
検索してみたら、こういう対処方法もありました。
「スポーツ選手のように、毎回同じ動作をすることによって集中力を高めたり、ほどの良い緊張感に高めるなど、音楽の演奏家でも同じようにルーティンを行ってから弾き始める人もいますので、これらをうまく取り入れてみるのもいいでしょう。」
確かに、癖で毎回、同じ動作してから舞台に立つ先生というのはいらっしゃいますね…
ステージで必ず左足から一歩前に出て、また下がって立ち位置を決めて、笛を構える某先生。。。
別に調弦狂ってないのに、糸巻きに触れるフリをする某先生。。。
着物の袖の端をちょっと引っ張る某先生。。。
う~む、何かいい手はないものか???
ナナ先生には、「いくら自分の音が嫌いでも、『ひどい音』って自分で言うのはやめなさいね」、「どんなに思い通りにならなかろうと、弾いているのは自分以外の何物でもないんだから、それはそれで素直に受け入れるしかないんだよ」とたしなめられました。
前にも言ったような気がしますが、これが演劇だと全然、どうってことないんです。
多少、あがりますけど、だからってセリフが飛ぶとか、例え、セリフが飛ぼうが忘れようが、とっさに誤魔化すことはできちゃったりします。
自己分析するに、演劇は舞台上で別の誰かを演じているわけですから、あまり好い表現ができてなくても、なんとなく、舞台上の私が演じている誰かが恥をかいただけで、舞台下の私の人格が疑われるという恐怖感がないのかな。
これも変な話だなぁ。下手な演技すれば、それは本来的に自分の練習不足とか、研究不足なのになぁ…
人前で弾く時だけ、自分でない誰かになりきってしまおうか?
誰に?
作曲者ですか、やっぱり?
明日から、劉天華を演じますか?
いいかもしんない。
Posted in 二胡 by , 2012年6月11日 10:18 PM コメントは受け付けていません。
お互いの都合が合わずに、2週間ぶりのレッスンとなりました。
長弓は退化したと言われました(;_;)
なんでぇ?
毎日練習してるのになぁ。前より練習時間長いのになぁ。
多分、練習時間の問題ではなく、自分のなかの基準の問題で、自分に対して甘くなっているのか、練習時間が長くとれるようになった分、ぼ~っと弾いていてそのうちに感覚がマヒしちゃってんでしょうね、ということらしいです。
課題曲、劉天華の「蝋影揺紅」
ちゃんと、練習したんだよ~なのに、なのに、どうしてここまで緊張しちゃうのっていうくらい恐怖で舞い上がってボロボロ。
大昔のピアノの試験思い出しました。
教室のオトモダチは皆楽勝で合格しているし、先生も私に大丈夫って言っていたにもかかわらず、二回も落ちたんだっけ(以降、二度と試験は受けなかったし発表会にも出たことない)
まずいよな~
このアガリ症。
二回目は先生が一緒に弾いてくれたため、さほどひどくはなかったけど、先生の音と自分の音が合っているかどうか気にしているんだよね。
先生いわく「十分、音程合ってるから音程気にしなくていいよ…って私、普通は生徒に絶対にこんなこと言わないけど、あなたは特別気にし過ぎるからなぁ(笑)」
ははは…
今度は暗譜してきてねと言われましたが、実際、もう何百回も弾いてるんで、本当に暗譜してるんですってば…
二胡を弾かない状態でなら、ちゃんと歌えるんですよ~
でも実際に弾くと忘れるんです…つーか、劉天華は似たような旋律が多くて、実際に弾いているうちに途中でぶっ飛びやすいので、楽譜見ざるを得ない。
歳のせいなんでしょうかね?と悪態ついてみたら、
ナナ先生曰く「あちこちのコンクールで、いまだに劉天華が絶対に課題曲に入ってるっていうのも、実際、暗譜しずらいからなんだよね。だんだん、どこ弾いてるのか、何弾いてるのか分かんなくなるから、ちゃんと弾けるってこと自体、すごいわけで(笑)」
え?ナナ先生みたいに若くても、緊張すれば、劉天華は忘れやすいのか???
ところで、出だしのオクターブ飛ぶミミ~ですが、あれ、緊張しますよね。
私はどうも低めになる傾向がある(十回弾けば、五回はBフラットに限りなく近い音になっている)ので、ナナ先生のアドバイスは、もう、人差し指を離すのを送らせて、薬指もそのまますべらせちゃって、多少、滑音がかった音で入ったら楽だよということです。
確かに、低い音から、音が合っていると思う定位置まで芸術的にちょっとだけ滑ってしまうのであれば、変じゃないですわな(ビブラートの範疇と言えなくもない)
余談…
レッスンが終わって二胡をしまおうと横を見たら、さっきまで騒いでいたワンちゃんが寝てて胸を「ぴくぴく」させているではありませんか。
ビックリしてナナ先生の方を見たら
「ああ、この子病気なの、でも、もう治ってるんだけど、神経的な後遺症で、そうなってるだけだそうだから心配ないよ」とのこと。
私はてっきり、私のひどい音に刺激を受けて、苦しんでいるのかと…(^^;
だって、ワンちゃんの耳ってよく聴こえるんでしょ?
Posted in 二胡 by , 2012年6月4日 11:13 PM コメントは受け付けていません。
さて、先週から始まった快弓の練習であります。
長弓の基礎を踏まえた上で、はや~く弓を動かす!
のですが…やっぱ、速くなればなるほど、推す時と引く時の差が出ちゃいますね。
これは、三弦の「弾」と「挑」にも言えることなんですが、片方だけが強く(あるいは速く)なるわけですよ。
あるいはリズムそのものが不規則って人もいるでしょう…
ナナ先生曰く、どうして均等に弓が運べないかというと、大部分の人が引く時は慣性でわ~っと引けるけど、推す時にはそういかなくて、コントロールしてないそうです。
推すときにかなり意識して推すとだいぶ違うみたいです。
で、どんな曲でもそうですが、普通、弓を引くことからすべての動作が始まるので、皆、引くはよくできるけど、推すに慣れていない。
で、単純な練習をするとき(例えば長弓など)、わざと推弓から入るようにするという練習方法もあるみたいです。
これ、琵琶や三弦系の楽器の「弾」と「挑」の順番をひっくり返して練習するのとよく似てるなぁ。
次回からは、「自分の好きな曲、なんか捜してらっしゃい、それやろう」と言われました。
難易度は問わないそうで、興味を優先させるとのことです。
なんか私、最近、受身で練習してるから、ナナ先生、私のやる気を引き出そうってことなんでしょうか。
確かに、人間、「あれが弾きたい」という憧れみたいなもんがあると、わ~っと上達しますものね。
原動力ってやつですかね。
私が何弾いても綺麗に聴こえるわけないんで、何かを弾きたいっていう欲求がないというか…
漠然と上手くなりたいとは思うけど、それって、人に聴かれても恥ずかしくないように、っていう現実的な理由にすぎないし。
周りは先生か音楽科の学生しかいない(つまり下手な人の演奏を聴いたことがない)というのも、楽曲弾きたくねぇなぁっていう気持ちにさせているのかもしれないけど。
う~む。
次は何弾こう???
四月半ばから五月初めまで日本に一時帰国しておりました。
それに加えて、三弦が忙しいので二胡は二週間に一回レッスン受けるぐらいのペースダウンにしておりました。
練習時間が短いので当然、進歩なし。
一日に一時間程度じゃ短すぎだわな(っていうか、上手くなりたかったらこんなんじゃ短すぎだよね)
練習時間が短いわりにレベルが落ちてはいないこと(現状維持)は褒めてあげると言ってはもらえました(^^;
今回から「快弓」練習しましょうかということになりました。
いろんな人の話やブログ見ていると結構、皆、はやいうちから、弓を速く動かす練習をしているみたいですが、私は今になってやっとOKが出たって感じです。
先生の方針によるのでしょうけど、ナナ先生は長弓できちんと形が出来てない段階でいくら速く弾こうと思っても、いつか限界が来るから意味ないっていうことで、なかなかスピードアップ要求してこなかったらしいです。
実際、ゆっくり弓をうごかしているときは、腕も手首もきちんと使えていても、左手を加えた途端、音程や運指に気を取られて右手がめちゃくちゃになる生徒さんは多いようです。
それから、左手のポジション移動も注意されました。
とにかく私のポジション移動は硬すぎる(^^;
まぁ、音程があってるように、あってるようにって、そればっかり考えながら動かしてますしね…
実際、ナナ先生に言わせると中央音大受けにくるような子でも、特に地方の田舎の子に多いらしいですが、ちゃんと音程合ってて、曲が弾けていても、本当によくそれで弾けるなという見た目の悪さが目立つ移動がぎこちない人がいるということらしいです。
そうならないでね、と言われました。
とりあえず、それを解決するための練習方法として、右手は全く動かさない状態で左手だけで練習するように言われました。
そうすれば、あまり音は出ないから(弦を叩けばかすかに何らかの音はしちゃいますけど)、音程に気を取られることなく、あくまで力を抜く練習になるだろうということです。
来週からは、やっぱ週一でおいでよとナナ先生に薦められました。
う~ん、こんなレベルで停滞しているわけにいかないんで、やっぱりがんばって練習時間増やして週一を維持しないとなぁ。
ちなみに、私、三弦でも「お前のポジション移動は硬すぎ」と言われてます。
「まぁ、弾き始めてから十年も経っている訳じゃないから、そうなっちゃうのは仕方ないんだけどね」ということらしいですが…
これも、音を出さずにする場合は、見た目も美しく、力も抜いて移動できるんですけどね(^^;
音がビミョ―にずれると、「ひぃ」と慌てて次の音のリズム等も狂いがちになるので、としみね先生には「人前で弾く時は、やべ、と思っても何食わぬ顔で弾き続けるのが我々の心得」と注意されました。
確かに、先生だってズレることあるもんね…心臓に毛を生やさねば。
ところで、最近思うのは、中国人の先生は、説明が細かくて、結構論理的で、たとえ話も上手いですよね。
(それとも、私の先生がそうなだけなのかな)
それに比べると邦楽の先生は、「なんとなく、こう」としか言わないような気がする(^^;
かなり非論理的で、「芸は盗めよ」的な感じを受けますね。
西洋楽器の先生はどうだったかと言えば、私が子どもだったからなのか、曲が弾けたらそれでOKだったなぁ。
つーか、こっちも質問なんて全然なかったし、先生の真似して終わり(私、ヘ音記号の楽譜読むの苦手だから、先生の左手を見て丸覚え。ははは)。
申し訳ないけど、最初に習ったピアノの先生はどんな曲をやったのか、先生の名前も思い出せない(^^;
それ以降はちゃんと思い出せんるンだけどなぁ。
Posted in 二胡 by , 2012年5月13日 12:44 AM コメントは受け付けていません。