ブログお引っ越し

かねてより、時間があったら、ぐっちゃぐっちゃになっているデータベースなどを整理しようと思っていました。

私はドメインを2つ所持しているのですが(一つは公益目的、一つは個人使用目的)、何だかリアルの世界での環境の変化も大きく、長いこといろんなコンテンツの整理をほっぽらかしていました。

明日からのメインブログのURLは

arts.legalio.com です。

よろしくお願いいたします。

やはり犬は津軽三味線が好きなのか?

学内の野良犬である白犬さんが以前、私にくっついてきて、
三味線弾く私の傍でしばらく眠っていた話をしました。

今日は、なんと茶犬さんまで、私にくっついてきて、傍で寝てはりました…
昨夜、ソーセージをあげたので、何かもらえるかもと思って後をついてくるのは分かりますが、
いつもだと、何ももらえないなぁと分かり、さらに、私が三弦を弾き始めると、もうこれは希望がないと思い、立ち去るのです。

でも、今日は三弦じゃなくて、三味線だったんですよね。

何処へも行かず、

気持良さそーに、その場で寝るんです(^^;
私ががんがん弾いても、すやすや寝てる(すごい神経だな)

あのぉ~やっぱ、私の「打ち」が甘いから、うるさくないのでしょうか?
それとも、日本の楽器特有のさわりの響きがいいのでしょうか?
それとも、本当に、三味線お好きなのでしょうか?
私の腕が大三弦より三味線の方が上なのでしょうか?

人間をひきつけなきゃいけないのに、犬をメロメロにしてど~する>自分。
そういえば、ある作曲家が犬のためのコンサートっていうのを開いたことがあるっていうエッセイ読んだことあるなぁ。
私はもしかすると、ワンちゃんのためのコンサートで三味線弾いたら、癒し系アイドルになれるんだろうか?(をい)

私が使っていたのは人口皮ですが、本当は津軽って犬皮なんだけど…
長唄三味線とか弾くと猫が寄ってきたりすることはあるのだろうか?
ぎょえ~この理屈でいくと、三弦や二胡弾いたら、ニシキヘビが寄ってくるんじゃないかぁ~

二胡LESSON78

相変わらずの「燭影揺紅」

進歩なし・・・

「弾いている方も嫌だろうけど、聴く方も嫌になってきたというか、この何回かのレッスン無駄かも」

と、先生も私も認識したのでありました。

先生が指導している小学生の例を挙げて、もしかしてあなたもこう言う感じ?
みたいな、話になりました。

その子はナナ先生が指導する前、別の先生に師事しており、両親は中央音大のグレード4級を受けさせたいので一生懸命「良宵」を弾いておりました。
しかも、2年も・・・・2年も弾いてるにもかかわらず、はぁ?って演奏だったらしいです。
この程度の楽曲を2年もずっと、そればっかりっていうのはキツイですよね。
その子も多分、だんだん嫌になってきたのか、もともとこの曲が好きじゃないのか「反抗的」に弾いているという感じで、そんなんで進歩するわけねーだろう。
だから、ナナ先生はもうそれ置いといて、こっちやろうかと別の楽曲をやらせて、最終的に6級受けて合格させ、本人も両親も大喜びでめでたし、めでたし。

私にも、夏休み中、とりあえず「燭影揺紅」をおさらいして、休み明けは別の曲も並行してやろうかとおっしゃりました。

私が、いつまでたっても、「燭影揺紅」がきちんと弾けないのは(もちろん、音符そのものは、一応、それなりに暗譜もして弾いてますよ)、確かにもう、嫌になっているというか、下手くそだから気持が入らないんですよね。
本来は下手くそだから練習すべきなのに、いつまでたっても下手だから、もうやりたくないっちゅーか、でもやらなきゃいけないから、やってるだけって感じ。
この調子だと、他の曲やってもダメかもなぁ。
それこそ、「良宵」にもどってみるかなぁ…
そもそも二胡大好きの人なら、練習が楽しくて楽しくて仕方がないから、いつの間にか上達しちゃうんだろうな。
それに比べたら、私の場合、二胡が死ぬほど好きッて訳じゃないのでいつまでたっても、練習量の割には下手くそなのかも。
あえて不謹慎なたとえをすると、私は恋多き男性で、二胡ちゃんはガールフレンドの一人。君の場合、僕がいなくても別の人から、ちやほやされるから、ま、いいんじゃない、と心の片隅では思ってます。
趣味のお稽古程度の練習量で、私程度なら弾ける人いっぱいいるよね、嫌になるなぁ…
(それはきっと、私より二胡を愛してるからなんだろうな…)
ゴメン、二胡さん…

ところで、弾いてる途中で、先生が「高い」というと、思わず手を下に持っていってしまうワタクシ。
「音が高過ぎと言ってるんだから、手は上に上げるべきでしょう。手の位置が高いって言ってるんじゃないんだから…」と呆れられました。
年寄りだから、すぐに反応できないんだよう(;_;)
と心の中で毒づく私は、やっぱ、もう、学ぶ姿勢でわなくて、単に先生に反抗してるんでしょうか…
もちろん、先生のこと大好きなんですが…

二胡を自分の中でどう位置付けるか、選択の時がきているのかもしれません。
一生、人前で弾かないなら、もう、ここで、誰かに習うのはきっぱりやめてもいいのかも。
この程度でいいなら、簡単な曲なら、自分で楽譜見りゃテキトーになら弾けるので、一人で部屋でこっそり弾けばいい。
人前で弾きたいなら、行くとこまで行く気でやらないとなぁ。9級くらい取って帰ってくるつもりでやらないと。
実際、音楽やってる人から言わせれば、9級なんてスタート地点だし(^^;

ちょうど、リアルの世界での自分の方向性も分かんなくなってきているので、このブログもここでひとまず打ち切って、いちど整理しようかと思ってます。
現実にデータベースもぐっちゃぐっちゃだし、整理しないと管理できない(^^;
サブドメイン増やして、過去ログは倉庫にぶち込んで、新しいブログ立ち上げて綺麗に整理したいなぁ

手の変形

なんか、今まで気付かなかったのだけれでも、
私の人差し指は第一関節から先が曲がっているみたいで…
つまり、中指とくっつけると、明らかに第一関節より先は中指にくっつかずに親指の方に沿っている。
これは単なる先天性のものなのか、楽器の弾き方による変形かよく覚えていない。
右人差し指もそういう感じなので、先天性かなと思うものの…左手は顕著なため、やっぱ三弦の練習のし過ぎなのかもとも思う。
そして、お見事なのは、人差し指の先の皮膚が超硬い…これは三弦系の楽器を弾く人ほぼ全員がそうなんだけど…
私の場合、最近の課題曲がやたら大きなビブラートをかけなくてはならないので、棹も削られているだろうけど、多分、皮膚も削られているんだよね(爪なんてとうの昔に深爪状態)。
指の先が、まっ平らになってたりして…

とほほ。
よく、お琴やハープの人が、どんな美人でも、手先は全然綺麗じゃないよと聞きますが、三弦も然り…

犬はじょんからがお好き?

どこの大学の寮の前にも野良犬や野良猫が集まってくるものです。
ご飯もらえたり、かまってもらえたりするからね。
女子寮の前にもよく、長髪の白犬さんや、短髪の茶犬さんがいて、ご飯もらったり、軒下で眠っていたりします。

私は朝の7時頃から、学内のベンチで三弦OR三味線を弾きます(夏休み中はレッスン室が借りられないし、朝の7時に寮で弾いたらさすがに迷惑だろう)。
大学の正門前のお店で、お菓子とコーヒー飲料を買って、学内のいつものベンチへ向かおうとすると…
向こうから白犬さんがやってくる。
で、買い物袋を提げた私に気付き、嬉しそうに近寄ってくるので、しゃ~ないな、と思ってお菓子をあげたけど、食べない(^^;
きっと、皆から美味しいものもらいすぎていて、好き嫌い激しいんだ~
な~んだ、いらねぇのか、じゃあね、バイバイと思って、さっさと練習に行こうとするとまだついてくる。

ほっといて、私は私で練習しようっと思い、津軽三味線とりだして、音階練習開始…
白犬さん、なぜかベンチの隣でくつろぎ、寝っ転がっている…
犬って耳いいんでしょ?
スケール叩いているだけの音だし、さわりが効いてビィーンって唸るし、音量かなり大きいし嫌なんじゃないかなと思いきや、白犬さん平気な顔して寝ている。
それを見た私は、じゃ、お構いなく練習させてもらうぜ、と思い、じょんから弾き始めたら、
白犬さん、立ち上がり歩き始めるので、「なんだ、やっぱり、うるさいんじゃん」と思ったら、そうではなかったらしく…
今度は正面の芝生にすわって、また寝っ転がるじゃありませんか。

え!?
鑑賞したいわけ?
マジッすか。

私が犬好きだから、犬が寄ってきているだけなのか?
はたまた、白犬さんは日々、声楽(西洋もの、京劇もの)、弦楽器、管楽器、打楽器のお稽古の音を、学内うろつきながら、聴いていらっしゃる筈なので、いつもと違う楽器の音に興味があったのでしょうか?

分からないけど…白犬さんと目が合うたび、
「もっと、気合い入れて弾かんかい!」と激励されているように感じるのでありました。

本当のところは、「もっと美味いもの持ってないの?」と思って待っていただけなのかもしれませんが、
じょんから以外の曲になったら、去っていったので、「じょんから」お好きなんでしょうか?
(でも日本の犬じゃなくて、中国の犬だよ?)

今度は茶犬さんの前で弾いてみようか?
茶犬さんも聴いてくれたら、私の音は、動物受けすることの証明になりますね(^^;
まぁ、私は犬と一緒に寝たりお風呂入れるくらいですから(前に実家で、中型犬を何頭かそういう風に飼ってました)、
犬と波動が合うだけなのかもしれませんが。

謎です。

路上演奏者の悟り

中国の大学は夏休みに入ると、レッスン室が借りられない(日本の音大はどうなんだろう?)。
実際のところ、建物自体は閉鎖するわけでもないのに、管理上、人を締め出したいらしく、午後から閉鎖するから出てけとか言うんだよね。
(本当はまだ仕事をしている先生もいたりするし、宿直のおばちゃんは、交代制で出ているので、ずっと開いていたりする)
まぁ、確かに、学生の中にはちゃんと練習したり、リハしたりするわけじゃなく、そこで寝たり、雑談したり、食べ散らかしたりする子もいるから、利用させたくないのも分かるけど、勉強熱心な学生を応援してくれたっていいじゃん…

何とかならないかと留学生事務室などを通じてお願してみたけど、正面から聞いても無駄なんだよね~
中国人はよく嘘をつくというけど、皆、自分のポジションの都合で可愛いウソをつく(笑)

で、ついに練習する場所を失くした私は、外で弾いている。
この際、人前で弾く練習を兼ねてやろうと前向き。

分かったことがいろいろありました。
いろいろな人がこれまで私に「人は他人のことなんて何とも思ってないんだから、気にするな」と言っていたことは本当だったんだな~

ただ、私は田舎育ちで、ちょっと外でアホなことやらかすと、近所で噂になって、いろいろ悪口言われちゃうという、そういう環境で育ち、加えて両親がすごく世間体を気にする人たちだったんで、そういう感覚分からなかったんですよ。
祖母の家の近くの公園(もちろん、実家とは別の都市なので、私のことを知る人がいるはずもの無い土地)で、笛吹いて練習してた時もあとで母に散々
「そんなみっともないことして」と叱られました。
「私の顔に、私はあんたの娘ですって書いてあるわけでもなし、あんたと私は違う人間なんだから、私の勝手じゃんか」と思ったものです。
上手く弾けないから、練習するんでしょうが。
しかも日本社会の音に対する過剰反応や住宅事情からすると家で練習できないから外へ行ってるわけだし。
このみっともないというのは、日本人特有の考え方なのか、それとも単に私の両親が変なだけなんでしょうか。
でも、現実に都市の人と言うのは他人に無関心なんですね。

で、話を元に戻すと、誰も聴いてくれないのなら、こうなったら、立ち止まらせてやろうじゃんか、みたいに燃えてきたりして(笑)。

やっぱね、津軽三味線弾くと、人は立ち止ります。
これはおそらく、日本の楽器と曲が珍しいということでしょう。
それから、そもそも津軽三味線は、津軽の芸人さん達がいかに他人の気をひいて、その日のご飯にありつこうかっていうことからスタートしている音楽だから、貴族趣味の音楽と違って魅力的なんでしょうね。
中国人が知るはずもない曲なのに(私だってこの間まで知らなかった曲だ)、いいね~と言ってくれるんですよ。

三弦はというと、哀しいかな~
「それ、何ていう楽器?」と中国人に聞かれる始末…
これが琵琶や二胡なら、誰も聞かないよね…
そして、私が弾ける楽しい曲がほとんどなく、得意なのは物悲しい民間の曲なのでウケが悪い(わ~ん)
子どもはわりと何らかの興味を示すけど、なにせ、アニメソングくらい弾けないと、注意ひけないよな~
喜羊羊のテーマとか、練習しとくんだった(おいおい)
モーツァルトのトルコ行進曲とか弾けたら、多分、子どもを立ち止まらせられるんだろうけど、これ、めちゃ速くて両手の合わせ方の訓練をするような上級曲だから、私なんてあと5年は修行しないと無理だわな。

路上演奏して、分かったことは、
日本人はどうか知りませんが、
「他人は基本的に自分の演奏なんてどうでもいい」
「他人は私の演奏ミスなんて気にしない」
「他人はむしろ、私の演奏のよい部分に魅かれて近寄ってくる」

そういうことなんですね。
もちろん、入試とかコンクールとかの審査とは演奏を評価する基準が違うんでしょうけど、
他人は私の演奏にさほど悪意を持つわけではないということが分かっただけでも、気が楽になりました。
要は聴衆と言うのは、無関心 OR 好意もしくは好奇心 のどれかでしょう。

私はこれまでずいぶん、自分のミスや音程の狂いに嫌悪感を抱いてきて、それがもろ顔に出てました。
先生方も、「どうして、そこまで気にするの」と私に言うので、
「芸術系の教育だけ受けてきた人との差なのか、日本社会との文化の差なのかは分かりませんが、いずれにせよ、私はこれまで、100%出来て当たり前、120%出来た時にやっと褒めてもらえて、99%なら足りなかった1%を責められ、1%足りないだけで99%の努力はゼロに等しくなるという世界で生きてきました。100字のレポート書いたとして、1つ誤字があっただけで、内容に影響がなくたって、その不注意によってダメなやつという烙印押されます。だから、誰かが99%の中の良い部分を見てくれるとは思えないんですよ」と言ったら、「そんなものかねぇ、芸術なんてあまりにも抽象的だから、百かゼロかなんてありえない」と言われたものです。
でも、私の気持ち、日本で仕事の経験がある方なら、多分、分かっていただけるのではないでしょうか。

プロとしてお金取ってるわけでもなく、たんに自分の演奏をアップしてるだけなのに、「こんなんで、よく公開できるよね」って結構、みんな言ったりするわけでしょ。
正直に言えば、私も口には出さないけど、素人の演奏のいいところ、これまであまり聞いてませんでした。
ミスばっかり気になるんですよね。
別に私はその人からお金取られてるわけでもないし、その人の先生でもないんだから、嫌なら聞かなきゃいいわけだし、聴く以上、よいところ聴いてあげるべきなんでしょうね。
受けてきた教育と環境の悪い習慣なんでしょうか。

発表会などであがってしまうとか、恐怖だという人は、一度、異文化社会の公園で演奏してみたらどうだろう?
おそらく、な~んだ、こんなもんか、と思うんじゃないかな。

環境や習慣は見た目まで変える?

大学院で芸術研究科というところに所属していると、それはもう様々な芸術にかかわってきた人たちを見ることができます。

そして、いつも思うのは、パッと見ただけで、その人がどういう芸術にかかわっている人なのか大体察しがつくというのが怖いなぁと…

例えば、今期の芸術学の講義では、正式にその単位が欲しい人は(人気のあった講義だったので毎回、単なる聴講目的の人も多数いる)最後にパワーポイント使って、自ら発表しなくちゃいけないんですが…

で、教壇に立った途端、あるいは、話し始めた途端、分かっちゃうんですよね、その人の職業や大学の時の専攻が。

舞踊系の方はやはり、一般的にお綺麗、姿勢もいい、何より立ち振る舞いが、普段からしなやかな気がする。
スタイルが悪い人はいないし、涼しげな美人が多いような気が…
髪は長くても、ピシッとまとめるとか、結ぶとかしてる感じ。

社会学系の人、特に女性学等をやってきた女性は、ものすごくしっかりした喋り方で迫力(説得力?)ある。見かけがボーイッシュな中性的な人もいれば、女性っぽく綺麗だったりお洒落でも、いわゆるチャラチャラした感じゃなくて、きちんとしてる感じで、あまり長い髪の人ってみないなぁ。

声楽など、音楽やってる女性も見た目、綺麗つーか、素が美人じゃなかったとしても、気を使ってますよね。
いろいろな髪型ありですが、ロングでも巻き髪とか、上手にしてたりする。
「私、理論は得意じゃないので、すみません」と最初におしとやかに言ってたわりに、専門の話を始めると、歌うように熱く喋るわ、喋るわ…

語り方が人を引き込むように訴えかけてくる、この人すごいなと思ってたら、職業はテレビの制作だったりして、実際、ナレーションをいつも担当しているらしい。
ハンサムかそうでないかは置いといて、個性的なメガネかけてたりしますよね。

落ち着いた感じで、要領よく話す某男性は、いかにも先生っぽいと思っていたら、案の定、某大学の文学の先生だったりする。
とりたててお洒落でもなく、たまに、変わったTシャツ着てるな~と思ったら、教え子にもらったとか、娘にもらったとか言ってる(笑)

そういえば、昔、あるブログで司法試験の受験勉強をスタバでたまにすると言っていた方が、弁護士が隣に座るとすぐに雰囲気で分かると書いていて、当時、法律事務所に勤めていた私も、分かるわ、と思ったものでした。
その業界の空気とか、染みついちゃうのでしょうか。

本日、女子寮に私の向かいに引っ越してきた女の子とそのお手伝いの男の子も、パッと見て、私分かりましたよ、この人たち「京劇関係者」に違いない(笑)
まず、顔立ちが違うんだよね。
化粧してるわけじゃないのに、そういう感じを受けるものです(何でだろ?)

そういえば、言語によって使う顔の筋肉(あるいは口の中の使い方?)も違うわけで、そういう意味で、中国語初心者の駐在員の日本人のおじさんも分かりやすい。
やはり顔つきもなんとなく日本人っぽい。

そして、何年も中国に居る人は、特に韓国や日本人の場合、だんだん、どこの国の人なのか分からなくなってくる。
顔つきやしぐさが多少、変わるのかもしれない…
私も、見た目では、日本人だと分からないとよく言われます。
背が高いせいか、着ているものが、日本の流行とあっていないのか…

日本のバス停や空港で、外国人に「あなた日本人じゃないよね、英語で話しかけてもいい?道聞きたいんだけど」と言われたことまである(汗)。
もちろん、「中国語か日本語ならできますが、英語はダメなんです」と英語で答えている嫌な奴である(本当なんだもん)。

いつも言われるのは、三弦を持っていると、技術はともあれ、見た目だけは様になってるそうで、ありがたいやら、なんやら(?)
多分、身体がでかいせいと、毎日持っているわけだから、そりゃ誰だって扱いに慣れてるでしょ(笑)

二胡LESSON77

してまずは、音階練習ですが、
何度も繰り返し弾くたびに、音程が狂う。
「指の位置が微妙に違って、そのたびに耳で聞いて直すのはいいけど、今回は高めだったから次回は少し低めにしようとかいう風に、どうして学習しながら繰り返さないの?」とナナ先生に注意されるものの…
もちろん、本人は当てずっぽうで何度も指を運んでいる訳じゃないんですよね…
いちおう、今回、高めだから次回は低めに、あ、そうしたら低すぎたから、次回は少し高めに、そうやって繰り返すうちにだんだん正しい位置が落ち着くというのが理想ですが、そういうつもりでやってても、そうならないんです(泣)
あまり、口答えすると、ナナ先生も困るでしょうから、言わなかったけど…
運動能力の問題なんでしょうかね…
所詮、二胡の場合、棹がかなり短いから(私は他の楽器をやっている関係から、これは超短いと思っている…)、距離にして何厘かの違いしかないわけで、そんな距離、身体は覚えてくれない(号泣)

【楽曲】
う~ん、とにかく、先生の前でも「燭影揺紅」が弾けるようになりましたが、弾いている内容は音符をそのまま音に換えただけの「やけくそ」です。
たまに音程とリズムが狂うのは本人も知っているから置いといて、おおまかに音符は弾けているとのことです。
じゃあ、表情付けましょう、ってことで、これは八分の12拍子ですが、三拍子の集まりみたいなものだから、そういう感じで弾きましょう、となりました。
最初の一弓は速く弓を長めに使って、次の二つは軽く、いわゆる「ズンチャッチャッ」ってことなんでしょうか。
それが出来ないんですよ…
左手使わずに、右手だけそうやってみるのは簡単ですが、左手が入ると、右手も緊張して(肩にまで力が入って)、あげくは弓使い、速さまで狂う始末。
「基本練習が何の問題もなくできてても、いざ、曲の中でその技術を使おうとすると、同じようにできないというのは、学習のはじめの頃、誰にでもある問題だけど、結局のところ、基本練習が身にしみついていないということなのよね…」
ということらしいです。
別の楽器でも、いわゆる基礎練だけやってみると、綺麗な音で、正確なリズムで出来ても、曲の中では全然、思うように手が動いてないんです…
つまり、技術が「自動化」されてないんですよね。
プロは技術そのものが自動化されちゃってるので、頭の中は表現したい「音楽」しかない。
私は、技術で頭がいっぱいで、音楽が入り込む余地がない。
表現したい音楽のことを考えれば、イメージと現実の差に落ち込み、ますます弾けなくなるか、イメージが膨らみすぎて暴走して、本当にでたらめ弾くかどっちか。
そうナナ先生に言ってみたら、
「でも、音楽を奏でるということを全く無視してこjの先、弾き続けたら、いつか技術がかなりのレベル達したときに、いくら正確に弾けても無味乾燥な音しか人に聴かせられないから、それじゃまずいわけで、バランスをとりなさいよ」とたしなめられました。

頭が旋律や音程など、別のことに気を取られると、もう、全くのド素人が初めて楽器を手にした時の音と変わらない有様。
哀しい…

失礼ながら、ナナ先生にしても、三弦の先生にしても、彼らは十代前半で技術が完成しちゃってるわけで、人生経験がないうちに技術が完成しちゃってるから、
こういう状態、分からないんじゃなかろうか…
私は子どものころから美術の成績はとてもよかったんだけど、それは目が捉えたものを頭がなんとなくイメージに換えることが出来て、そして何の苦労もなく、紙に写すことができたから(しかも造形芸術の場合、書き間違っても修正できる)、理想と現実のギャップは少ない。
音楽は、どうしても運動能力と、その一瞬がモノを言う…
まぁ、音楽も一瞬の不適切な演奏を修正することは可能だけど、一瞬で直す技自体、習得が難しいじゃん。
ある三味線の先生からテレビに出るから見てねと言われ、拝見したら、最初の出だしが妙に不自然で「?」と思い、正直に後日そうご本人に言ってしまったら、
「そうなんですよ、あれ、リハでは入る出だしの合図してくれるはずだったのに、生本番で、誰も合図してくれないから、焦ったなぁ~」とおっしゃって、焦っているようには見えなかったのがすごいなと思いました(^^;

私は体育の成績はめちゃ悪かったな…
音楽って、私に向いてない芸術なのだろうか…

子どもの頃、才能と環境とお金に恵まれて、音楽を勉強できた人が実に羨ましい。
少なくとも子どもの時の方が体力も瞬発力も記憶力もいいし、ある種の楽器を操作する上での運動方法を身体が記憶する(脳と神経伝達系統)上で有利には違いない。
羨ましく思っても仕方ないんだけど…私は子どものころには戻れないわけで。

【余談】
子どもの頃、才能と環境とお金に恵まれて、音楽を勉強できた人が実に羨ましいと言ったけど、そういう人たちがプロになって食べていけるかというとそうでもないから、それはそれで気の毒だとも思う(^^;
私がこんなに努力してもこの程度なわけで、彼らは私の百倍は努力してきたに違いないけど、その財力と労力を回収できる人は稀で、音楽への投資って絶対に割にあわない。
まぁ、無理やりやらされてきたのでなければ、財力と労力が回収できなくても、いいのかもしれないんだけど。

隣のレッスン室より

皆、よく借りるレッスン室というのはだいたい決まっているため、あまり馴染みのない子と隣あわせになることは珍しい。
私が好んで使う部屋は、三弦、琵琶、板胡の数人が基本的によく使っていたりする。
最近、夏休みが近いため、借りる子も少なく、時間も短いせいか、隣あったことない子と隣り合わせになる。

本日は中阮の子と隣り合わせになった…おお、久しぶりに聞く中阮の音色。
かつて、習ってみようと思って買ったはいいが、結局、適切な先生も見つけられないまま、時間もなく放棄してしまった…
中阮はあの柔らかい音が他の楽器とうまく溶け合うので合奏とかに向いてるし、がんがん弾いても他人がうるさく感じないし、いいよね~
それに比べて、私が弾いてる三弦系の楽器は、がんがん弾くと「うるさい」
音の通りがいいので、他の楽器と上手く溶け合ってくれない…
あうぅ…
何で、お琴とか、そういう優雅な楽器に手を出さなかったんだろう…もう後悔しても手遅れ~
それでも、私はいつか、三弦系の楽器の室内楽ってできないのかなと模索中。

先日、三弦のビブラートの練習中、これはどうだ、これならどうか、と試行錯誤しながら、かなり音を揺らしていたら、いつの間にかドアに人が立ってて
「綺麗な音ね~」
と言われた。(マジでびっくりしました…)
確かに、三弦だってこういう音が出せると皆、あまり知らないんだと思う(^^;
また、同じ日に、突然、隣の部屋から誰かが急にいろいろ話しかけてくるので「?」と思っていたら
「あ、ゴメン、クラスメイトだと思い込んでた」と言われ、
多分、私の姉弟子の誰かとお間違えになったのだと思うけど、
「すまん、ワシ、そんなに上手くないよ」と思ったけど、単純なリズム練習してるような音じゃ、素人には誰が弾いてるのか分かんないものなんだなぁ、
と妙に感心してしまった(^^;

二胡LESSON76

ははは…

もう、書きようがない。
なぜなら、技術の問題ではなく心の問題だから。
レッスン受けるより、カウンセリング受けた方がいいのかもしれない…

ナナ先生も、「音程とか指摘すべき点はいろいろあるけど、本人も分かっているわけだし、それ言っちゃったら、あなたの場合、ますますダメになるだろうし…」
というコメント。

とりあえず、
次回は、
音程狂おうが、多少、リズムが狂おうが、「もう嫌だ」という顔をして聴衆(別にステージに立っている訳ではないので、ナナ先生以外に聴いている人はいないけど)に
嫌な思いをさせることなく、ちゃんと弾くが課題です。

人には分かってもらえないとは思いますが、いちおう説明すると、
私の中には、私が描いている理想の音色や理想のテンポがあって、その理想像と現実が乖離しているのです。
それが、ものすごく腹立たしいし、もどかしいし、かなしいし、「もうお前、ええかげんにせい、そんなひどい音出しやがって」と訴えかけてくるんですよ。
人が「本人が気にするほど、ひどい演奏でもないよ」とか「他人とそんなに差があるわけでもないよ、ちょっとの差じゃん」言ってくれたとしても、そんなの慰めにならんのです。
なぜなら、他人に私の理想の世界は聴こえる筈もないのだから・・・
ちょっとの差どころじゃないんです。
勝手に拡がり続けるイメージの世界は押さえつけようがなく、でも技術はそれに追いつかず(いや、もしかすると、大先生と言われている人でも実現不可能かもしれない…だってこれは私のイメージで、誰かの演奏を基準にしているイメージではないわけだから。)。
自己表現ができないわけだから、もう弾いてる意味ないのかも。

でも、やめられない…
本当にお稽古やめて、カウンセリング行った方がいいのかもしれない。

Ringbinder theme by Themocracy