中秋節休暇第3日目、徐州にて。
別の記事をみていただければ分かるのですが、この間、柳琴の孟憲洪先生のお宅にいました。
でも、2日目は先生はお仕事、息子さんの孟醒先生も私用があって、わたくしの面倒を見てあげられないと言うことで、突如、孟醒先生の師範大の学生さんがわたくしと遊んで(?)くださることになりました。
休暇中、呼び出されて気の毒なDJ君。。。
孟醒先生はDJ君は二胡奏者で、もうすぐ日本へ留学するし「これは、お互いにいい話相手になるだろう」ということで呼び出したらしい。
DJ君の二胡は老紅木で、とってもいい音がしました。
意外だったのが、二胡の弦が途中で切れてしまって(最近、いろいろ忙しくて二胡を弾いていなかったので、この程度弾いただけで切れると思ってなかったなぁとDJ君は言っていました)交換したのですが、彼、普段はすごい安い弦、使ってるんですよね。
初心者はいい音が出ないからやめた方がいいといわれているあの弦です。
でも、そんな安物の弦でも上手い人が弾くと別にそんなにひどくない音色なんだね。
ついでにいうと、わたくしのようなど素人が、そうとは知らずに弾かせてもらっていたときに、音色が嫌だなとか、弾きにくいとは実は全然思わなかったんだよね。
二胡そのものの性能と状態がよいせいなのかなぁ。
それとも単に、わたくしの耳が悪いだけかな…
ちなみに、孟憲洪先生が普段使っている柳琴弦も安い弦です(上海の某メーカの安い弦はよくないけど北京の某メーカの安い弦は結構いいと言っていました)
相変わらず、わたくしの右手ボーイングは「脱力」できていないので、注意されました。
本人は充分、脱力しているつもりなんだけどねぇ…
これ以上、力抜いたら、音でないじゃん。
どんな人からも「緊張し過ぎ」といわれるので、そうなんでしょうね。
結局のところ、どの先生もおっしゃるように、左手がどんなに速く動かせるようになっても、音が正確に出せるようになっても、右手がきちんとマスター出来ていないと、いい演奏はできないそうなので、先生によっては他のことは何もさせずに半年も右手の長弓ばかりさせるんでしょうね。
それじゃ、ツマンナイので、最近じゃ、そういう教授法は流行らないでしょうけど。
最初の10分は長弓で心を落ち着かせて、そのあと、1時間半ぐらいは音階練習、最後の20分で曲というのが、最近のわたくしの定番レッスンなんだけど、みんなはどうなんだろうね。
以下は原文が中国語でして、それを自分で日本語に翻訳したので、何か、語感が違うんですよね~(笑)
中国語版は 孟憲洪柳琴制作中心のウェブサイトを参照。
http://www.mengxianhong.com/jdls-1.asp?aa=643
一日目の午前中は、孟憲洪先生のレッスンを見学させていただきました。
実は、柳琴の生演奏、聴いたことがないのです(わたくしに柳琴を教えてくれた龍海先生(仮名)は、柳琴がご専門というわけではなく、子どもの頃からニ胡を弾いていらして、音大での専攻は作曲です)。
そんなわけで、孟先生の学生の生演奏を聴いて、ぱぁっと視界が広がりました。
柳琴ってこんなに表現力があるんだ~!
わたくしの現在のレベルでは、主要な調の音階を知っていて、いくつかの童謡がトロトロ弾けるに過ぎず、独奏曲なんて弾けないので、柳琴ってこんなに大きな音が出せて、こんなに澄んだ音が出て、和音がこんなに響くんだってことを知りませんでした。
今の日本では、中国器楽と言えば、多分、二胡学習者が多くて、柳琴をやっている人なんてすごく少ないと思いますが、おそらく、よい演奏を聴いたことがないため、やってみようと思う機会もないのだと思います。ちょっと勿体ないかもね。
学生さんのレスン終了後、わたくしの支架を調整するために、徐州孟憲洪柳琴制作中心(先生の職場)へ行きました。中秋節のお休み期間中なのに、職人さんにわざわざ来ていただき恐縮。職人さんにお礼を言ったら「どうってことないよ、どんなお客さんにもこうだから」とのご返事。
(日本語版だけのつぶやき:う~ん、日本だったらまぁ、お客様のためならって結構当たり前っぽいのですが、中国だと正直、ちょっと違和感あるセリフ。お客さんっていうより、“お前は友達だから”ってノリなのかもしれない…)
わたくしの柳琴の支架は通常の倍にしていただき、「腕托」とよばれる右手の置き場所みたいなものをくっつけていただいたら、前よりも琴が安定しました。
(日本語版だけのつぶやき:背の高い方、腕の長い方にとって、確かに小さな柳琴は持ちづらいはずなので、試してみてはいかがでしょうか。)
支架の職人さんが支架を調整している間、孟先生はわたくしに「赤とんぼ」と「牡羊曲」を教えてくださいました。
午後は、先生のお宅のレッスン室(車庫を改造した)をお借りして、一人で練習しておりました。
4時くらいになって孟先生と一緒にお散歩。(先生は気を遣って、どこか景色のいいところに連れ出してあげようと思ったのだと思います)
わたくしは楽器の材料や構造に興味シンシンなので、孟先生に質問しながら歩きました。
(日本語版だけのつぶやき:いろいろ聞いたのですが、あまり面白い話でもないし、書きにくいのでスルーです)
実は、わたくしの祖父は指し物屋だったので、子どもの頃、家にはたくさんの木材がありました。父は祖父の家業を継ぎませんでしたが、実物そっくりそのままの電車や船の模型を作ることが趣味で、家には道具がいっぱいありました。また、父はクラッシックが好きで(カラヤン指揮のベートーベンがお気に入り)、よく聴きながら模型を作っていました。こういう環境で育ったので、わたくしも工作や音楽を聴くことが好きなのかもしれません。
孟先生いわく「楽器だけ作っていてはダメだ」
(日本語版だけのつぶやき:中国に多くの粗悪な安い楽器が存在する理由の一つには、楽器のできない大工さんが作っていることがあげられます)
確かに、演奏できない大工、演奏者が求めているものが分からない人に好い楽器は作れませんよね。
例えば、祖父が生きていたら、柳琴を模倣して作ることはとても簡単だと思いますが、祖父が何か楽器を弾けたと言う話は聞いたことがありません。父が生きていたとしたら、やはり、柳琴を模倣して作成可能だと思います。でも、父も何か楽器をやっていた人ではありません。父は音楽好きでも、聴いていたのはもっぱら西洋クラッシックだったので、もし、父が柳琴を作ったら、中国民族楽器の音には絶対にならないと思います。
「楽器だけ作っていてはダメだ」という理屈はよく分かります。
例えば、翻訳と同じで、ただ外国語ができるというだけでは、好い訳文が書けるはずもないですよね。出てきた訳文はネット上の機械翻訳のようなもの。両国の文化を理解し、その分野を完全に理解していて、初めて好い訳文が書けるのだと思います。
孟憲洪:中国音楽家協会会員、中国柳琴協会常務理事、中国楽器改革制作協会常務理事、民族楽器制作名人、高級工芸アーティストであり、現在の柳琴の規格に主要な役割を果たす。中国民族楽器(柳琴)制作の終身成就賞を受ける。南京師範学院音楽系卒業。これまで王恵然、閔季騫先生に師事。長期にわたり、楽器の制作、改良及び音楽の実演、創作、教学に従事し、これまで、柳琴、中音柳琴、五弦柳琴、双共鳴箱柳琴、六弦柳琴、電気音響柳琴、機械軸柳琴及びその他の民族楽器の改良と研究・制作活動に参加。また、柳琴の支架(台座)と柳琴のテイルピースも考案。これまで孟憲洪に師事した学生のなかには、中国戯曲学院、上海音楽学院、中国音楽学院、徐州師範大学音楽院、瀋陽音楽学院、 上海戯曲学院、西安音楽学院、上海師範大学音楽院、浙江メディア大学等の高等音楽学府に入学した者もいる。
http://www.mengxianhong.com より引用
22日から24日まで中秋節のお休みでした。
休暇中、柳琴の先生のお宅を訪ねて江蘇省の徐州におりました。
いや~北京とか上海とかなら、道も心得ているし、お買いものに行ったり、観光したりとか独りでも遊べるのですが、徐州ってどうしていいのかほんと分からなくて、結局、先生と先生の息子(同じく先生なんですが…)と先生の学生にくっついて(?)過ごしました。
日記は後日アップします。
先生から中国語でも書いてと言われており、書いたのですが、文法チェック、内容チェックをしていないので、まだアップできません。
とりあえず、ちゃんと北京に戻ったことを書かないと、心配する友人がいるので、どうでもいい話題など…
さて、楽器を弾くようになってから、他人の手がやたら気になるようになりました。
先生にて会ってまず、言ったセリフが、「先生の手を見てもいい?」
どうぞ、と差し出した先生の手は、まぁ、大きいのですが男性なら一般的な大きさ。
わたくしと手を合わせてみると、わたくしの方が明らかに指が長い。
そこで、負けるものかと思ったのかどうか知りませんが、先生は「こっちは右手だから長くないけど、左手はもう少し長いんだよ」と言って両手を合わせて見せてくださいました。
ほんとだ、先生の左手の指は明らかに右手の指より長い。
「子どものころから、柳琴弾いているからね」とおっしゃり、「息子はもっと幼いころからやっているから、もっと左右の差がある」と教えてくれました。
ひょぇ~そんなに違うものなんだと思いましたね。
そういえば、子どもの頃、琵琶を弾いていた友人は、手の広がり方が左右で明らかに違いました。そんな彼女が真剣にピアノを弾いてみると、左手は上手なんだけど、右手がちょっとどんくさい。
普通の人がピアノを弾く時は、右手は器用に動くけれど、左手がどんくさいのだけど…
あぁ、やっぱ、子どものころからやっている、って全然違うんだなぁ(当たり前ですね、4、5歳、遅くても7歳くらいから20年以上やるわけですから)、どうせ、わたくしは大の大人になってから始めたからねと内心拗ねていたのですが、後で自分の両手をきちんと合わせてみてビックリ。
左手の指の方が微妙にちょっとだけ長い…
え~うそ???
わたくしなんて、柳琴にせよ、二胡にせよ、学習期間1年未満だよ?
いつも、「くそう、指がきちんと広がらないと音程が狂うじゃねぇか」と一生懸命、指を伸ばして弦を押さえていたら、伸びるものなんだねぇ…驚き。
子どもの頃からやっていると、身体がその楽器の必要性に合わせて成長するというのは知っていたけど(バイオリン奏者等の歪み方は分かり易いそうですが…)、子どもでなければ、指が伸びたりすることはないと思っていたのに。
中国大陸は22日から24日まで中秋節休暇です。
毎年、一人さびしく過ごすのですが(だって家族は日本にいるので、家族団欒できないもん)、今年は無謀にも北京を離れることにしました。
じゃあ、何処行くのって?
徐州。。。
と言えば、分かりますよね(^^;
柳琴の支架(台座)を調整してあげるから、一度おいでよって、言われているので、孟憲洪柳琴制作中心に行くことにしました。
休日なのに、先生、いいよっていってくださってありがとう。
人からは、たったそれだけの理由で、徐州まで行くかぁ?と不思議がられました。
まぁ、確かに、旅費で新しい楽器買えますものね。
大した腕もないのによくやるよ、って(^^;ほんと、自分でも呆れています。
むかし、夫がわたくしに「游鯉ちゃんってさ、行動力あるよね」と言ったことがありますが、行動力というより好奇心が強いというか、ちょっと人と感覚がズレているのでしょうね
準備体操の長弓
いつもの速めのスピードはこのまま練習し続ければOK、レッスンではもう弾かなくてもよろしい、次からはものすごくゆっくり弓を使って練習しなさいということになりました。あぁ…超のろい亀スピードなので、手がこわばる…音が切れそう…これを均一にしろってか???
準備体操2 音階練習
DGCFAB♭の音階を第三ポジションまで一通り弾く
一時間目 「二胡音階練習」王国潼編著 人民音楽出版社
7.D調上把位模進練習一
9.D調上把位至中把位模進練習一
14.D調上把位至中把位音型模進練習二
27.G調上把位模進練習二
28.G調上把位至中把位模進練習一
32.G調上把位至中把位音型模進練習二
39.C調上把位音階模進練習一
41.C調上把位音階模進練習三
43.C調上把位音階模進練習五
58.F調上把位音階模進練習一(前回からの持ち越し)
59.F調上把位音階模進練習二(前回からの持ち越し)
77.B♭調上把位音階模進練習一
どうやら、わたくしは弓を引く時の出だしだけ、若干速めで、押すときは正常な速度のようなのです。引く時と押す時でスピードが違えば当然、音に妙な強弱がつきますよね。
均一になるように注意が必要です。
また、スラーを弾くと、右手と左手の動作に微妙なズレができて、音がぼやけます。
クリアに音をだしなさい、右手と左手はちゃんと協調しないとだめよと注意を受けました。
二時間目 中央音楽院考級曲目3級
とりあえず、目標とする級と時期、課題曲を決めました。
選択必須練習曲 とりあえず「アルペジオと分散和音練習曲」か「F調ポジション移動練習曲」にしましょうということになる。
選択練習曲 「自然ハーモニスク練習曲」
「ハーモニスクなんて簡単だから、これいっちゃわない?」とナナ先生に薦められ、わたくしも「じゃ、習ってみたいから、そうしちゃおう!」と安易に決まりました。
選択必須楽曲 「良宵」
選択楽曲 「花歓楽」
つまるところ、先生のお考えでは、快弓は当分、避けようということなのです。
やはり教える人によって考え方がだいぶ違うものなのですね。
龍海先生(仮名。わたくしの最初の二胡の先生)は、基礎が固まってきた段階で、「賽馬」をわたくしに教えるつもりで、何度か、わたくしの前で弾いてくれました(この曲も同じ級です)。つまり、有る程度の段階で快弓を教えてしまうつもりだったのでしょう…ナナ先生は後回しにする方針なのですね。
やっぱり右手の技巧は左手の技巧に比べると習得が難しいってことなのかな???
ナナ先生は選択楽曲に「蘇南小曲」を薦めたかったみたいなんだけど、知らないのでパス~。
その次にナナ先生お勧めの「花歓楽」にしました。
これは、わたくしの好きな江南絲竹「歓楽歌」の変形なので、覚えやすいかなぁと思っただけ(怠け者…)
今回は、どういう風に進めていこうかという話がほとんどで何も弾いておりません。
次はデタラメでも何でもいいから、やれるところまで、通して弾いてきなさいとのことです。(え???ナナ先生も大胆ですね、最初だから、かなりめちゃくちゃでもいいということらしい)
もちろん、わたくしの今の実力では、音、狂いまくることは必須(^^;
とりあえず、別に今すぐ受けるわけじゃないので、音はぼちぼち合えばいいってことにしよう。
おまけ 中央音楽院考級曲目1級
いきなり3級の曲は無理なので、1級の曲でも弾きましょうということで、陳振鋒作曲「山村初暁」 楽曲。
楽曲の弾き方をぼちぼち教えてあげるからということで、簡単だから、次回これはちゃんと弾いていらっしゃいと言われました。
ちなみに、試験対策だけすると応用の利かない「生煮え」状態になるものなのですが、ナナ先生は「私の学生はそんな目に会わせない、あたしが付いている限り安心しなさい!」とのことで、基礎は基礎、試験は試験との別メニューです。
ちなみに、先生いわく、「あなたはちょっと特殊なケース」。
こういう教え方は通常しないそうです。
理由の一つは、趣味の人は通常、そこまで一生懸命にならない、なる必要もないし…二つ目は、中国人であれば、将来的に教えてあげられる時間がいっぱいあるので急ぐ必要がない、三つ目は、今のところわたくしの飲み込みが早いので、このままやらせてみようと思ったということらしいです。
今回は、今後のことについて話した時間の方が長かったです。
「将来、中央音学院の二胡考級を受けてみたいと思うのですが、3級ぐらいだと何年かかるでしょうか…もちろん練習時間や個人差があるので決定的に何時間とは答えられないとは思うのですが…(中央音学院の3級はその他の試験の4級、5級レベルですが…」
と恐る恐る質問してみたところ、
「これまでの経緯からみたところ、2年も3年もかからないと思うわよ」と前向きなお返事をいただき、2つの方法があると思うけど、これからどうするかという話になり、
1、今までどおりの基礎練習と試験対策を同時進行
メリット、早くから準備できる。早くからレベルの高いものに触れて感覚を養うことができる。
デメリット、とにかく負担が重い。
2、今までどおりの基礎練習を引き続き行い、だいだい固まってきたかなと思った頃、試験対策を始める。
メリット、負担が軽い
デメリット、いつ、試験対策が始められるかどうか、はっきりしたことは言えない。
結局、1でお願いしますと答えました。
まぁ、無理そうだったら、そのときに調整しましょうか、という感じ。
そして、ナナ先生「だったら1時間じゃ足りないわよね、この先、私、もっとたくさん喋るわよ、きっと」とおっしゃるので、
「では、1時間半か2時間ぶっ続けでレッスンお願いしてもいいでしょうか?」
と返したら、
「ははは、あなたの集中力が持続できるなら、それでいいけどね」
というわけで、試しに次からは2時間ぶっ続けてみようということになりました…
大丈夫かな…でも二胡って別の楽器と違って全然疲れないから、ほんと、助かるよね。
龍海先生(仮名。最初の二胡の先生)もそうだったけど、たとえ現状で無理そうでも「やってみたいなら、がんばってみればいいじゃん、協力するよ~」と楽観的なんですな、中国人の場合。。。
で、話がついたところで、基礎練習へ突入。
前菜 DGFACB♭調の音階
メインディシュ 「二胡音階練習」王国潼編著 人民音楽出版社
7.D調上把位模進練習一
9.D調上把位至中把位模進練習一
14.D調上把位至中把位音型模進練習二
27.G調上把位模進練習二
28.G調上把位至中把位模進練習一
32.G調上把位至中把位音型模進練習二
39.C調上把位音階模進練習一
41.C調上把位音階模進練習三
43.C調上把位音階模進練習五
58.F調上把位音階模進練習一(前回からの持ち越し)
59.F調上把位音階模進練習二(前回からの持ち越し)
77.B♭調上把位音階模進練習一
上記7の付点音符、乱れまくりのわたくしにナナ先生は
「あなたの付点音符の“理解”は正しいけど、実際の“音価”は間違っているわよね…」
ははは…先生、一生懸命、慰めてくださってありがとう…
弓の使い方がよく分かっていないので、八分音符で元の位置まで戻れないことが、リズムが狂う原因なのでしょうね。
付点音符は出来るだけ弓を短く使って、八分音符は速く弓を返す、これができな~い。
そしてナナ先生は、こういう感じ、とお手本を見せてくれた後、「がんばって練習してきなさい」と言いレッスン終了であります。
つまり、今回、7以外は聴いてもらう時間がなかった。
来週へ持ち越しです。
デザート 先生のアドバイス
「前回も言ったけど、性格は音に現れるのよね。今まで、いろんな子に教えてきたけど、全部、音色に性格って反映されるのよね」
(それは本当にそのとおりだと思っています…)
「あなたの場合、 結果として“弾けない”のではなくて、むしろ数か月の初級レベルにしては音程合っている方なのに、最初から“弾けないかもしれない”とおびえながら、あきらめて弾いているでしょう?直しなさいね、その悪い癖!」
というようなことを言われました。
前から不思議に思っていることなのですが、自分の本当の心の内は、会社関係等一般的なお付き合い程度の人には完璧に隠し通せますし、場合によっては家族や友人も知らなかったりしますが、自分の音を知っている人に対しては、付き合いが浅くても誤魔化しがあまりきかないような気がします。何故なんでしょう?
自分をよく理解してくれている人のことを「知音」といいますよね。
中国春愁戦国時代、琴の名手、伯牙(はくが)には、鐘子期(しょうしき)という友人がいて、彼は伯牙が奏でる琴の音を聴くだけで、それを奏でる伯牙の考えや、細かな感情の動きまで読み取って誤ることが無かったと言います。
多分、わたくしの音色って、どんよりした曇り空色かも…
いつか「考級」を受けたいなと思い、音楽院のなかにある書店へ「考級」の本を買いに出かけました。
だいたいの位置は知っているものの、行ったことがないので、フラフラとあっち行ったりこっち行ったりしながら、やっとたどり着きました。
「あ、あの建物、音楽院…コンセルバトワールって書いてある…」という方角だけを頼りに歩いていったので、正門ではなく裏口から入ってしまいました…
しかも今、工事中なので、変な立ち入り禁止のテープが張ってあるところをくぐりぬけ、まるで怪しい侵入者。
ほんと、総合大学ではないので、狭いのよ(そこら辺が北京大学等の総合大学とは大違い。ちなみにわたくしの母校(研究所)もなんじゃこりゃというほど小さかったが…)。
コンサートホール、練習棟、教学楼、図書館…あちこちフラフラしたけど書店が見あたらないので、最後の手段としてナナ先生に「書店どこですか…どこにも見当たらないです~」と間抜けたメールを打ったら、「正門の傍よ」とのお返事。
「あ?そういえば、正門どこだったんだ???」ということに気付き、自分がようやく裏から来たことを知りました。なんだ、ほんと正門の傍にしっかりあったわ。
ちなみに日本語の「裏口入学」という言葉、中国語にもありまして「走後門」といいまして、やはり裏口へ行くと言うのです(^^;
前置きが長くなりましたが本題…
北京の二胡考級の主宰団体といえば、おおむね、次の4つらしいです。
中国音楽家協会、中央音楽学院、中国音楽学院、中国民族管弦楽学会。
どこが偉いとかいうことはないらしいですが、「級の数と曲の配置には差がある」のは周知の通りです。一般的に中央音楽院が一番厳しいのではないかといいますね(試験そのものが難しいというより、難しい曲をマスターしたとしても、級が大して高くなかったりするので気分的に割にあわない???という意味かもしれない)
例えば、中国音楽家協会は10級が最高、中央音楽学院は9級が最高だけど、その次に「演奏家証書」という特別なレベルがあったりします。
「良宵」「賽馬」は中央音楽院だと3級だけど、中国音楽院では4級です。
こうなってくると、有名な曲がどこに配置されているのか知りたくなってくる…
「光明行」中国音楽院5級 中央音楽院4級
「月夜」中国音楽院6級 中央音楽院6級
「空山鳥語」中国音楽院7級 中央音楽院5級
「聽訟」中国音楽院7級 中央音楽院6級
「江河水」中国音楽院9級 中央音楽院6級
「秋韻」中国音楽院9級 中央音楽院8級
ちなみに中央音楽院の演奏家証書は「第一二胡狂想曲」とかそういうやつを弾かなければならないみたい。
う~む、ほんと級と曲の配置が違うんだなぁ…
中央音楽院の場合、器楽試験の3級以上に申込む場合、「音楽基礎試験」(音楽に関する一般教養?)の証書もいるらしいので、(器楽試験の1、2級受験者及び40歳以上は要らない)中国語が出来ない人は40歳になるのを待つしかないわな。もしかして、他の団体では必ずしもこういう試験証書が必要ないのかもしれない(未確認なので、受験を検討中の方はご自身で調べてください)。
4級以上に申し込む場合、必ず一つ前の級の証書がいるらしい(初めての受験又は本当に実力があって飛び級をする場合は、試験時に前の級の課題も弾かなくてはいけないらしい。
また、25歳未満は暗譜しないといけないらしい。
うーむ、歳をとっていて得したな。
でも、暗譜は自然にできるから優遇してくれなくてもいいんだけど。
考級の本以外には、音楽史みたいな本も買ってみました(ナナ先生には、「そんな試験勉強みたいな本、私達は嫌いだけど、あなたってほんとそういうの好きよねぇ…」と不思議がられました)
考級の補助教材DVD以外には、王国潼先生の演奏DVDも買いました。
あぁ…いつか、王先生みたいな「良宵」が弾けたらいいんだけどな…
Posted in 二胡, 音楽あれこれ by , 2010年9月15日 10:25 AM コメントは受け付けていません。
その国の言語はある程度、その国の音楽に影響するといいます。
例えば、言語の特徴がリズムとか、旋律の特徴とかにあらわれているというのです。
中国特有の言語は、中国音楽に豊富なリズムを提供し、その声調の特徴も中国旋律の表現及びスタイルの確立に貢献している。
それを聞いて、なあるほど、と膝を打ちました。
例えば、わたくし、大嫌いなんですよ、日本のカトリック教会のミサで歌う曲(実はわたくしは不真面目なカトリック教徒)。
全音符がず~っと続いて、一小節の間に歌詞を棒読みするようなあの感じ。
(実際には棒読みというのは言い過ぎで、一応歌っているわけですが…)
日本語だから「棒読み」ができるのだろうなと思っています。
中国語は棒読み不可能な言語です(^^;
わたくしの夫は、「ニイハオ」しか中国語が分からない人ですが、「中国語の会話はまるで歌っているようだね」だと言ったことがあります。
そうなんですね。
日本人の中国語初級者に中国語を喋らせると、中国人には何を言っているのかさっぱり分からないということの原因は、主として中国語には日本語の発音にない発音があるということと、中国語の声調(音の高低変化)が間違っているか、そもそも、声調を意識せずに棒読みしているということが考えられます。
わたくしの中国語は今ではちゃんと中国人に通じますが、今でも時々分かってもらえないことがあり、そういう場合は発音が変というより、声調間違いが多いです(てへ)。
中国人同士でも地方によっては、標準語を話していても声調が違ったりします(天津のお年寄りの声調は分かりづらかった~)。
例えば、わたくしの発音又は声調がヘンでも、きちんと相手の言葉を聞きとって文法に適った中国語を喋ってさえいれば、会話は問題ありません。ただ、最後に相手から「おねぇちゃん、どこの出身?」と訊ねられるだけです。
(中国人でも外国人より標準語の発音が苦手な人がいます)。
中国の領土は果てしなく広く、秦朝以来、漢族の言語文字は統一されてきたが、地理的、歴史的原因により、地域による言語の差はとても大きい。また、中国には56の民族がおり、その言語及び文化背景も異なる。これらはすべて、直接、各民族・各地に存在する様々な音楽言語スタイルと音楽言語美観に対する様々な理解を生むこととなる。例えば、民間声楽作品の音楽言語スタイルは、現地の生活言語、イントネーション、語気、習慣と完全に一致する。各地の民間器楽は、その初期の源泉が地方声楽の吟唱の趣と関係があるため、そのスタイルも間接的に地方言語と地方音楽審美習慣の影響を受ける。
修海林・李吉提「中国音楽的歴史与審美」第二版、中国人民大学出版社、2008年、245頁。
ちなみに標準語の声調は4つしかありませんが、地方言語のなかにはもっと多いものがあります。地方言語とは、有名なところで言えば、上海語、広東語、閩南語(福建省南部•広東省東部の潮州•汕頭一帯•海南島の一部•台湾の大部分に分布している方言)とかが挙げられますね。日本の方言のように別の地方の人でも理解できるというものではなく、外国語だと思った方がいいくらい発音が全く違いますので、中国人でも長くそこで生活しなければ理解不能です。
実はわたくし、広東音楽好きなんですが、広東語やが分かっている方が多分、曲も理解しやすいんでしょうなぁ。
先生方にいわせると、「南方出身の子に北方の曲を弾かせると、コイツ分かってないなぁと思うことがある」(逆もあり)ということがたまにあるといいます。
ある北京の楽器屋の主人は、京胡を弾きながら「俺は北京人で、京劇はガキの頃から知っているから、俺が弾くとサイコーだろ」とわたくしに言いました(^^;
(スミマセン、わたくしには、最高かどうか判断できる能力がありません…)
日本語が全くできない中国人が純粋な日本の古曲を弾くと「あれ、変」ということがあるというのも多分、日本語を全く知らないというせいもあるでしょう。
まぁ、言語や生活習慣を知らないからといってその地域の音楽を綺麗に弾くことは一生不可能ってことは絶対ないと思いますが(わたくしなんて、ドイツ語知らないのに、年末にベートーベンの第九コーラスに参加したことあるし、ウィグル語できないのに、新疆の曲弾いてるし…)、ただ、知っている方が、ほんのわずかな努力で綺麗な仕上がりになるんじゃないかなってことはあるような気がします。
子どものころから身についているイントネーションやリズムとかは頭で考える必要ないですものね。
わたくしに日本の童謡や唱歌を弾かせると、下手なりに聴けないこともないとうのは、旋律が簡単だという理由以外に、わたくしの母語が日本語だという理由もあると思います。
じゃ、外国人でもなるべく手っ取り早く、中国スタイルを身につける術はないものか…
↓こういうのはダメかな?
なかでも、童謡を研究対象にすると面白い。童謡の旋律とリズムは最も言語に近いからである。
修海林・李吉提「中国音楽的歴史与審美」第二版、中国人民大学出版社、2008年、245頁。
ちなみに、わたくしは童謡大好きなので、中国人にたまに教えてもらいます。
職場はほとんど中国人なので、「游鯉さん、ちょっと教えてください」とかって若い中国人同僚に相談されると「相談にのるかわりと言っては何だけど、後で一曲、童謡歌ってくれない?歌ってくれないと教えてあげな~い」と本気で言っております。(職権濫用???)
基礎固めということで、曲という曲は弾いておりません。
まず、D、G、F、A調の音階を第三ポジションまでひたすら弾いた後は、以下の音階練習をひたすら弾いて見ていただきました。
「二胡音階練習」王国潼 編著 人民音楽出版社
1、D調上把位音階摸進練習一
2、D調上把位音階摸進練習三
6、D調上把位音階摸進練習六
20、G調上把位音階摸進練習一
22、G調上把位音階摸進練習三
24、G調上把位音階摸進練習五
58、F調上把位音階摸進練習一
59、F調上把位音階摸進練習二
そして、新しい調としては、C調とB♭調を教えていただき、来週はD、G、F、A、C、B♭調の音階をすべて弾きましょうね、ということでレッスン終了。
実はF調はめちゃくちゃ音程がずれるので、最初に「先生ごめんなさい~練習したけどまだ把握できていない」と言い訳してから弾き始めました。
で、先生は、「『どんなにひどいんだろう』と内心期待して(?)聴いていたけど、なぁんだ、大してひどくもないわよ。あなたのいう『ひどい』は今度から信用しないことにするわ。ちゃんとF調に聴こえたから、許容範囲だよ」と寛容でした(^^;
なるほど、ちゃんとF調の上には乗っかっているから、OKってことですか…優しいなぁ。
このまま、もっと集中して音を聴いて練習し続ければ、もっとよくなるということらしいです。
「大人だから子どものように音程を把握できるはずもないだろうから、どうしたらいいんでしょうね」とのわたくしの問いに先生は、
「あなたの場合、音程合っているほうだと思うし、子どもだから簡単に音程概念が身につくかというとそうでもないと思う。ひどい子どもいっぱいいるし、結局は熱心に先生の言うこと聞いて練習するかどうかだと思う」
とのお返事でした。
ちなみに、「自分が今まで教えてきた学生の中で一番熱心で真面目だと思うし、ここまで速くすべての調を覚えちゃった人も珍しい」となんかほめられちゃいました…
好きだからやっているだけっていうのと、調は音程が比較的安定している別の民族楽器(笛子と柳琴)ですべてやったから、一応聴きなれているというだけなんですが…(^^;
でも、褒めてくださった後は、注意点もいろいろ…
長弓の時はちゃんと手首使っているけど、音階になるとかなり緊張している私の手首。
おそらく、音程に過敏になっているので、身体全体がこわばっていて、右手がおろそかになっていると思われます。
「いまのうちに、何を弾いているときでもリラックスできるように心がけましょう~」
というアドバイスをいただきました。
そして、最後はわたくしの心理的な問題点。
「あなた、謙虚なのはいいことだけど、必要以上に自信なさすぎ。私の生徒の小学生なんて、音階かなりデタラメでも自信満々。こういうのもよくないけど、あなたみたいなのもよくない。あなたが自信をもったらもっと音が変わると思う」
そうかもね…
「お前、自信なさすぎ」というのは、仕事や勉強等、分野に関係なく、どの先生にも言われてきたセリフなので、やっぱり今回もか…という感じ。
多分、親におもいっきり褒めてもらった経験がないせいかなと思う。
だから龍海先生(仮名。わたくしの一人目の二胡の先生)が、「お前、賢いね~もうここまでできるようになったね~」と褒めてくれるのがほんと嬉しかったな。(ははは、こんなおばはんになってから、そんな風に褒められたら普通はバカにしとるのかと思うものかもしれないけど。
「考級」というのは、グレード試験のことです。中国語で「考試」といえばテストのことで、「考」には確かに「考える」という日本語と同じ意味もありますが、中国語ではその意味よりも実力等を「試す」という意味が強い言葉です。
大人でも子どもでも純粋に「励み」として受ける方もいると思います。
また、外国人で受ける方は、将来、本国に帰った時に勉強したという証拠として残したいのかなと思います。
しかしながら、二胡の考級に関して思うのは、結局、X級受かりましたと言っても本当の実力は分からないのでは?ということ。
といいますのは…各校の試験によって、曲の配置が違いますよね…
譜面だけ見ると、ぱっと見ただけではさほど難しくなさそうなものがかなり高い級に入っていたりもします(おそらく、こういうものは、技術の正確性というより、表現力を評価するのでしょうか???)
それから、下記のような文章を読むとうーむ、と思うのです。
民族楽器の場合、西洋楽器の教育課程とは違って、まだ、きちんと体系化されてない、あるいは学者によって見解が分かれる部分が多いのかなぁ???
なぜ、考級教程は二胡学習の標準テキストとして使用すべきではないのか?
考級教程は考級活動の特徴に基づき、異なる難易度の練習曲と楽曲がこれに対応する級別に収録され、試験の要求を満たしています。それは、二胡教学の教程に基づいて編集されたわけではないので、訓練のステップ又は練習項目及び練習量のいずれから見ても、二胡学習の必要性を満たすことができません。もし考級の教程を二胡学習の標準テキストとして用いたならば、学習過程において訓練の穴を多く残すことになり、最終的に演奏レベルの「生煮え」状態を引き起こすことになるでしょう。このようであれば、たとえ考級教程に定められた練習を完成させて相応のグレード証書を取得したとしても、二胡学習者にとっては、意味のないことでしょう。
「二胡演芸」趙寒陽 人民音楽出版社 30頁
ちなみに、龍海先生(仮名。わたくしの一人目の二胡の先生)も似たようなことを言っておりました。
「単に証書が欲しいだけだったら、お前だったら、数か月で「良宵」、半年で「賽馬」くらい弾けるようにしてやるよ。でも、それだと多分、技術的に穴だらけになるし、その先の成長の見込みが全くないようないい加減な出来上がりになるんだよなぁ。そのあと、しばらく二胡弾かずにいたら、すぐゼロに戻るような感じ?結局、基礎からやり直さないといけなくなるだけだから時間の無駄かもなぁ。」
ははは、当時、半年で賽馬?ウソだろ、冗談きついよと思いましたが、「生煮え」でいいなら、器楽経験者など、可能な人もこの世に存在するのだろうなと思う今日この頃です(わたくしには無理ですが…)。
龍海先生も経験なくそんなことは言わないでしょうから、そういう要望に応えて速成させた学生さんがかつていたのでしょう、多分。
実際、系統的に練習してこなくても人前でそこそこ拍手をいただける舞台を務めることができるようになる人もいますよね。
でも、そういう人が音大の試験に通るのかというのはまた別問題なわけで…
例えば、趙寒陽が中学二年のとき、劉逸安先生(自分は文革のために上海音楽院の入学通知を取り消されてしまい、その後は自分の果たせなかった夢を弟子を育てることで実現しようとされた)に会わなかったら、多分、中央音学院の試験にパスするということはなかったのではないでしょうか。
それでまでの寒陽先生の先生はどうやら系統的に教えてくれる先生ではなかったようです。
寒陽先生が弾いた「良宵」「病中吟」を聴いて劉先生はまず「あなたの歩いている道は間違っていますね。このままだと、これで飯を食うことはおろか、有名になろうなんて夢のまた夢ですね。例えば、君が弾いた「病中吟」の外弦第一ポジションの1と2の指の間は半音ですか、それとも全音ですか?」とお尋ねになって、その質問に対して寒陽先生は「分かりません…」としか答えられなかったそうです。
参考:「二胡情縁」趙寒陽 中央音楽学院出版社 90頁
8歳から二胡を一生懸命習ってきて5、6年、皆褒めてくれるし、自分でもある程度のレベルはあると思っていただけにショックだったみたいです。
この段階で、矯正していなければ、今の寒陽先生は存在していなかったってことらしいです。このような話をきくと、正規の道を歩いてこなくてもある程度にはなれるけど、基礎をきちんと系統的に積んできた人とは大きな差があるんだなってことが分かります。
もちろん、わたくしは速成で曲を弾くことが悪いとは思っていません。
ちなみに中国の公園にいけば、そこそこ弾ける爺さんはごろごろいます(^^;
大人が系統的に勉強しても、今さら音大に入れるわけでもなし、別にそれで飯食うわけでもなければ、必死になってやってもしょうがないじゃんということもありますよね。
曲を楽しく弾いて皆で楽しめればいいっていう大人は多いはず。
大人にせよ、子どもにせよ、二胡を弾く目的が人それぞれ違うわけだから、自分の目的に合っていればいいわけですよね。
わたくしは、一生、弾き続けたいし、可能であればこの世のものとは思えない音に一度くらい出会ってみたいので、かなり無理をして、あたしバカよね~おバカさんよね~と思いつつ、地道に今日も音階練習をひたすらしております(別にこの歌を弾いているって意味じゃないですよ、念のため)。
また、何年か後、上手くなったら、可能であれば誰かに教えてあげたいので、そのための信用獲得手段として、証書は欲しいとも思っております。