「そのうち少し長い曲を課題としてあげるね」と龍海先生が言っていたので、曲を選んでもらうために楽譜をかき集めてLessonに行きました。
先生が楽譜を眺めている間、ひたすらG調の音階とC調の音階を弾き続けました。
先生:「もっと速く弾けるようになろうね」
わたくし:「(;_;)」
そして、パスできずにずっと弾きづけている「手拉手」と「春天里」
先生:「音色以外はずいぶん良くなったよね」
わたくし:「(;_;)」
って、言われてもなぁ。よろこんでいいのか、悪いのか。
もっとも音色はプロだって自分の音に満足していないんだから、音楽で飯を食っている人が簡単に音色を褒めることはあり得ないものの、
びみょ~(^^;
左手の押さえ方が時々悪くて良い音色がでないことがある。
はたまた速いフレーズになるとピックが弦を捉えずに一音抜け落ちることがある…
そして「草原上昇起不落的太陽」では、変奏パターンを考えて来いと先週言われたのだけど、綺麗なものがなかなか思いつかないので、適当に弾いたら「それもありかもしれないけど、何でそんなに不規則なの?」と呆れられた(^^;
生徒を全面否定しないところは、先生の年の功だよなぁ。
今度からは
① 譜面どおり
② 変奏パターンその1(1小節の頭を16分音符に変える)
③ 変奏パターンその2(全部、輪で弾く)
④ また譜面どおりに戻る
①から④までをワンセットとして、何回も弾きましょう~ということになりました。
輪奏法(トレモロ)を駆使した変奏曲を弾いた後に、先生がにこにこと「柳琴らしい音が出て綺麗でしょう?」と聞くのだけれども、正直、わたくしの輪奏法は粒がそろっていないので、聴くに堪えない。
「いえ、自分の技術不足のせいで、綺麗だと思うどころか正直に言えばかなり気持ち悪いです…」
と素直に言ったら、先生…無言。
おそらく先生は「うん、うん」と頷くわたくしを想像していたに違いない。
そりゃ、先生が弾いたらどんな曲でも綺麗になると思う…
柳琴というのは粒のそろった細かいトレモロを弾くと本当に美しい柳琴らしいメロディになるので、先生はそれをわたくしに弾かせたいのでしょうね。
だんだん、先生の趣味というか傾向が分かってきたような気がします。
先生ってロマンチックで美しいものが好きなんだよね。
先生が「次の頁の曲は練習した?」と聞くので、「ええ」と答える。
それは、季節外れの「ジングルベル」
楽しい曲は大好きなので、暇があったら弾いていました。
楽しくジングルベール~と弾いていたら、先生、ふと「前にも言ったかもしれないけど、お前、リズム感はある方だよね」とおっしゃる。
う~ん、リズム感と言うもの自体がどういう概念なのかあまり分からないので、何だかピンとこないけど、まぁ、よかったな、と一応喜んでおこう(^^)
「でも、家で練習するときはメトロノーム使って、厳密すぎるくらいに合わせなさい。合奏するときに役立つから」とさらに高い要求をなげかけられました。
【独り言】
結局、わたくしのためになりそうな適切な大きな課題曲はわたくしの持っている本からは出てきませんでした。
そこで、先生が「『彈起我心愛的土琵琶』とかは綺麗な曲なんだけどな」とおっしゃるので、後日ネットで探してみることにしました。
中国のネット上には、楽譜が簡単にあちこちに転がっているので、すぐに見つかりました。
また、朝鮮の童謡らしい「小白船」という曲も美しい名曲なのだそうで、探してみました。
いいんだか、わるいんだか、これもすぐに見つかりました。
この楽曲の著作権が切れているのか切れていないのかよく知りませんけど、少なくとも最近の実演はまずいのではないかと思うのですが、演奏データがあちこちに転がっているんだよなぁ…
Posted in 柳琴 by , 2010年2月4日 10:48 AM コメントは受け付けていません。
この一週間、暇があったら琴を膝にだっこして、ああでもない、こうでもないと模索し、龍海先生に「こうした、ああした、これでいいのだろうか?」と事あるごとにショートメールしたおかげで(うるさい学生ですね)、とりあえず、何とか琴が前より上手く構えられるようになりました。
おかげさまで、太ももが痛いです(痕があるぞ)。
龍海先生も「前よりずいぶん進歩したねー」と褒めてくれました(完全に子ども扱いだな…)
「手拉手」(新疆民謡)これは、もっと速く弾けるようにがんばってね、と言われました。
「春天里」(歌謡曲?)何とか弾けるのですが、もっと滑らかに弾こうね、と言われました。
そしてG調の曲をさらった後は、C調の「草原上昇起不落的太陽」を弾きました(主旋律はめっちゃ簡単。5分で誰でも弾けるようになると思う)。
先生、機嫌がいいのか、わたくしの琴に合わせて歌を歌ってくださいました(^^;
こういうところ、やっぱり中国人だからなのかなぁ。
日本にいた頃、ピアノの先生もバイオリンの先生も一度も下手な演奏に合わせて歌なんて歌ってくれなかったなぁ。
そして、新たな課題が出されました。
「これはめちゃくちゃシンプルな主旋律にすぎないので、これまで習ったことを応用して、自分で適当にアレンジして弾いてみなさいよ。曲の大局的な意味を変えるほどの破壊はダメだけど、いろいろ試してみなさい。そしたら二胡と合奏しようね~」
お琴の先生を迎えに来ている彼氏さんがわたくしたちの横にいて、相変わらずわたくしと龍海先生のやりとりを見聞きしていて、たまに「ふっ」って笑うんだよね(^^;
確かに、クラッシックじゃない変な曲ばかり、弾いてよろこんでいるので、呆れているのかなぁ。いい大人はこんなに簡単なフレーズでここまで喜ばないから、わたくしってかなり幼稚なのかなぁ。
柳琴も二胡もどちらかといえば主旋律を奏でる楽器で、普通はこんな組み合わせをしないから、我々の演奏がかなり奇妙なのかなぁ。
(でも、わたくしはともかく、龍海先生の二胡はとても上手なので、笑える演奏ではないと思うけど???)
昔、知的財産法の指導教官と真面目に法律を論じているのに、周囲にいた人が時々、笑いをこらえていたような気が…(本人たちは至って真剣で真面目なのだけど)
ところで先生に「お前、暗譜早いよね。楽譜全然見てないくせに、ちゃんと弾いてるんだよねぇ。でも、間違って覚えちゃうと大変なことになるから、一番いいのは暗譜しちゃって、たまに楽譜見て確認しなさいね」と言われました。
いえ、いえ、暗譜が得意とか早いっていうんじゃなくて、いつも歌っているから(一人のときは本当に歌って、音が出せない場合は脳内で歌っている)覚えちゃうんですよ。
要は長時間、接していれば誰でも簡単な楽曲ならドレミで歌えるようになるでしょう?
だいたい、童謡っぽいものしか弾いていないんだから、難しくないもの…
ついでに言えば、楽譜を見ることが苦手だから、子どものころから、何度も弾くことで、身体で覚えちゃうっていうのが習慣になっているだけなんだな(恥ずかしいねぇ)
【独り言】
ときどき、龍海先生って、子どもっぽいと思う(わたくしに言われたくないかも)
わたくしと一緒にいる人は皆、精神年齢が下がるのかもしれない。
しかしながら、その人本来の姿が表に出てくるだけのことなので、わたくしのせいではないと思う(^^;
龍海先生、聴くところによれば、昔は地元では難しい楽典とかの授業もできる音楽の先生だったんだよね…???
Posted in 柳琴 by , 2010年1月26日 8:30 AM コメントは受け付けていません。
お恥ずかしい話ですが、わたくしは未だにきちんと琴を抱えることができません。
そのせいで、ポジションをスムーズに移動できません。
ゆっくり弾いているときはまだいいのですが、速く動かそうと思うともう、琴がぐらぐら。
すべて、左の親指に頼って琴を支えているのですね。
先生も、そのうちよくなるだろうと思っていたのか、これまで厳格に注意されませんでしたが、ここにきて、「これ以上、直らないようだと、先に行けないから、何としてもいろいろ自分で試してきちんと琴が安定するように構えなさい」とのご命令が下りました。
まぁ、基本中の基本ができてなかったわけですよ。
例えばバイオリンなんて、最初は顎だけでバイオリンを挟んで、左手を離してみろと言われますものね。
実際、それで十分、バイオリンは下に落ちません。手はスライドさせなくてはなりませんから、手にバイオリンの重みがかかるようでは、そもそも持ち方が誤っているというわけなのです。
それと同様、柳琴も先生は両手を離しても、琴は傾いたりしません。
わたくしが手を離すと、あっさり傾いて、膝から落ちそうになります(;_;)
いろいろ試してもなお琴が安定しないわたくしに先生は「もしかして、お前、スカートをはいてるし、膝をぴったりくっけているから、琴が滑るのかな?いや、でも俺だって別にそんなに大股開けて座っていないよなぁ」と悩んでしまいました。
そうなってくると、同性同士ではないので先生もさすがに異性の膝を触るわけにもいかず「お前、家でとにかく両手を離しても琴が動かない方法をさがせ。」と…
それから、わたくしは指が長いので(何か知らないけど親指も長いんだよなぁ)それがかえって邪魔に感じることもあったりするのですが、先生は笑いながら「そもそも手が大きくて指が長いのは有利なんだから気にするな。ピアノやったらよかったのにぁ、一オクターブくらい余裕でとどくんじゃねぇか(笑)」と突っ込まれました。
そういえば子どものころから、何の苦労もなく一オクターブはフツ―にとどいたっけ(笑)
ところで、基本のG調が終わって、C調を覚えたとたんに、二つの調が混乱しています。
お恥ずかしい話なのですが、ミとファ、シとドの間は半音だと頭では分かっているのですが、いざ、弾き始めると、時々、半音ではなく1音上げたり下げたりしてしまうのです。
大バカものですね。
これは笛でも同じことをしてしまいます。
出てきた音が半音ではなく1度違うので、聴いた自分もビックリって感じ。
しかしながら、12平均律だと、どうしてミとファ、シとドの間は半音なんでしょうか?
めんどうくせぇ、ややこしぃ~誰が決めたんだよ!
その点、ピアノは黒鍵と白鍵があるから、分かりやすいよね。
弦楽器は自分で距離を判断するしかない。
帰り道、先生とバス停が同じなので(ただ方向が違う)、そこまで雑談しながら歩いたのですが、先生がふと「日本に帰ったら柳琴の先生できるね」というので「そりゃいくらなんでも無理だよ、音大出ていないし、ドへたくそなのは先生が一番よく知ってるじゃんか」と言いましたら、「これからちゃんと練習すりゃいいんだよ、それに民族楽器なんてやる人間自体少ないんだから、音大なんか出てなくても、初心者になら誰だって教えられるよ、いける、いける!」とおっしゃる。
これは、わたくしをその気にさせて練習させるための先生の手口なのだろうか(^^;
でも面白い発想なので、「がんばる、がんばる~」とついのせられてしまうのでした。
先生はどうも年の功なのか、学生をその気にさせるのが上手いような気がする。
おそるべし。
この人のこういうところを見習って、わたくしも自分の学生(といっても、日本語の家庭教師をしている学生しかいないけど)をその気にさせて、レベルを引き上げてあげないとなぁ。
Posted in 柳琴 by , 2010年1月19日 8:00 AM コメントは受け付けていません。
こっちもボロボロでございました。
ただ、笛子の雪先生と違って龍海先生は若くありませんから、練習不足をストレートに怒ったりしないんですね。
「ま、お前も忙しいんだからしゃーないわな」という感じ。
無理やりいいところを見つけてくださって「いちおう練習したんだろうなってことは分かるから」と慰めてくれたのでした。
多分、将来音楽で飯を食いたい学生相手だったら、龍海先生はこんなに優しい顔しないんだろうなぁ。
しかし、どうにも分からないことが一つ。
龍海先生は練習不足に対してはさほど怒らないのに(いちおう練習時間を確保しようと必死なのを知っているからなのかな)、弾き方というか、見た目が美しくないことには激怒したんだよね…あれは龍海先生、お腹すいてたからなのかなぁ。
もう北京に戻ってきたのだから、次回も練習不足でこのレベルだったらさすがに怖い顔するだろうな…
時間を見つけて出来る限り弾くしか解決方法はないのよね。
余談
土曜日の昼に飛行場に着いた時、龍海先生に「今、北京空港についたばかり。明日の六時にそっちに行きます」とショートメールしたら、「あなたは誰?」との返事が返ってきた。
「あなたの学生の游鯉ですよ!」と返したら「すまん、すまん、よく見ないで返事しちゃった、へへへ」とのメールが返ってきた。
わたくしの名前くらい登録してくださいよ(^^;
もっとも、学生から見たら先生は1人だけど、先生から見たらこれまで面倒を見た学生は大勢いるので、誰が誰だか気にしていられませんよね。
Posted in 柳琴 by , 2010年1月15日 8:00 AM コメントは受け付けていません。
早めにレッスンに来て、早めに終わらせようよと龍海先生が前回言っていたので、早めにレッスンに行ったのに、楽器屋に着いたら、そのへん一帯が停電。
おいおい、電線が切れたんかい???
夏なら外で練習できるけど、冬は手が凍るので無理。
一帯の楽器屋の中からは、あまり楽器そのものを見なくても間違えることのない楽器(例えば笛とか打楽器系)の音だけが暗闇から聴こえてくるのでありました。
そして、龍海先生は、どこかの学校へ楽器を届けに行ったまま、音信不通…
(ある道が事故で通れなくなっていて相当回り道をしたとか、学校についてもなんか話が違ってて、せっかく届けた楽器を受け取らなかったとか、いろいろトラブル続きでなんか電話にも気付かなかったらしい…)
そんなこんなで、1時間ほど楽器屋の中で待たされたのでありました。
独りで練習していても30分も経つとなんか飽きてきて、きょろきょろしていたら店主が日本の古いアニメソングを中阮で弾いて、わたくしをあやしてくださいました。
そのまま歌っちゃいました(^^;
あぁ、だめだ…もうアニメや童謡好きなのがいろんな人にバレバレってことだね。
以下、龍海先生御帰還後のレッスンメモです。
レッスンは相変わらずG調の音階をちゃんと早く弾けっていうご指摘。
どうも手のフォームが悪いようで、くぼむべきではない関節がくぼんでしまうことがあるようなのです。
いますぐ改善できるものではないと思うけど、いつも気にしているのと知らず知らずしているのとでは大違いだから、そういう問題があるってことはきちんと認識して気長に直しなさいと言われました。
力抜かないから、こうなるんだよと言われてもねぇ。
力抜くと今度は弦を押さえられない(^^;加減ってもんがわかんねぇ。
そして、新疆民謡の「手拉手」(LESSON14参照)をおさらいして、次は「春天里」賀綠汀作曲を簡単だから次回までにマスターしてこいよということになりました。
曲の理解のために春天里はどういう意味の曲かを教えてくださいました。
こういうとき、龍海先生はかなりわたくしに甘い(?)ので、歌ってと言えば歌ってくださいます。
途中で「朗里格朗」とか、全然意味の分からない単語が出てきたので、それどういう意味って聞いたら「別に意味はなくって、ららら~みたいに心情を表現している言葉にすぎないよ」とのこと。
はぁ、「らんりこらん~」って何だか調子のいい掛け声だなぁ。
「金がなくても飯を食わなきゃね、部屋もかりなきゃいかんし、働かなきゃね」みたいな歌詞や「仕事がなくても飯食わなきゃね、忙しい、忙しい、青い空が云々」みたいな歌詞がいっぱい出てくるので、ふと「銭のない奴っあ おれんとこへ来い 俺もないけど心配すんな 見ろよ青い空 白い雲」、「仕事のない奴はおれんとこへこい、おれもないけど心配するな」みたいに同じようなノリの歌が日本にもあったよねと思い出したのでした(わたくしの世代ですと原曲を聴いて育ったわけではありませんが、わたくしが仕事がないとなげいていたときに夫がクレイジーキャッツ(???)を教えてくれました)。
あぁ、次の忘年会は柳琴でこれでも弾くか…???
【独りごと】
今年最後のレッスンはこれでお終い。
「新年は国に帰るのか?」と龍海先生がお尋ねになったので、「もちろん」と言ったら「自由に楽しくこっちで暮らしてるみたいだから、帰んないのかと思った」とおっしゃるではありませんか…
これでも祖国や家族を思い出して泣くことがあるんだぞ!!!
自分が今まで生きてきた中で格別に楽しいと感じた瞬間、瞬間を龍海先生だけがご存じなので、そういう側面だけ見てりゃ、わたくしは実に能天気で無邪気だって誤解されても、しゃーないか。
まぁ、わたくしのそういう部分を引きだした先生はどんなセラピストより頼りになるってことなんだけど。
Posted in 柳琴 by , 2009年12月29日 8:15 AM コメントは受け付けていません。
相変わらずポジション移動の大特訓です。
「これがスムーズに速くできるようになれば、曲なんて教えなくても簡単に弾けるんだよね」と龍海先生。
まるで笛子の雪先生が「息が上手くコントロール出来りゃ、曲なんて教えなくても勝手に独りで吹けるんだよね」っていうのと同じ。
まぁ、一理あるでしょう。
ある程度、譜面が読めて、ある程度楽理を知っていて、ある程度音楽を聴いている人間だったら、基礎が完成すれば、曲は自分独りでも何とか演奏できるでしょうね。
(別にこれで飯食おうっていうんじゃないし…)
基礎練習
五音階と七音階をとにかくひたすら叩きました。
そして、先生からの注意事項。
「お前、第二ポジションに移動するときはまぁまぁなんだけど、第三ポジションに移る時、思いっきり琴が動くよ。琴が思いっきりゆれるから、正しい位置に指がこないのよ、分かる?」
おぉ~そうだったのか…
そう言われれば、第一ポジションだけで弾いているときは何とも感じないのだけど、第二、第三で弾いているときは、琴を上手く抱えられないんだよね(典型的な初学者)
それから、
「お前、手が大きいし、指も長いんだから、親指、もっと後ろに置いてもいいと思う」とのこと。
そうだよね。言われてみれば、子どもは手が小さいから、そうなってしまうのだろうけど、手が大きくて指がながいわたくしが彼らを手本にしちゃいけないわね。
でもさ、柳琴を弾く男性や、でかい女は少ないと思う…ので参考になりそうな人が思いつかない…
曲
新疆民謡「手拉手」
ゆっくり弾いてみました。
「まぁだいたいOK」だと言われ、後は出来る限り速く弾け!原曲はすげー速いんだ!とのご命令が下りました。
ちなみに、これはMIDIデータを自分で作成しておりますので、ご参考にアップしましょう。
伴奏はわたくしが勝手に入れたので、原曲とずいぶんイメージが違っていたらすいません(^^;
(ワタクシ、原曲知らんのよ)
民謡って書いてあったから著作権法には触れないと思うのだけど…
手拉手
簡譜
MIDI
そして、やっと新しいことを教えてもらえました。
次はC調行こうってことで、ハ長調の音階を叩きました。
でもト調の五音階と七音階は「永遠に弾け」とのことです。
そらそうだ。どこまで上手くなってもこういうものは、三度のご飯を食べるように毎日やるものなのでしょう…
帰り道、龍海先生に質問しました。
わたくし:「著作権って音楽やってる学生は、どの程度意識しているんだろう。興味ないかな?」
龍海先生:「今の中国ではそうい意識は低いと思うけど、興味はあるんじゃないかな。それって法律に関係あるんでしょ?」
ということなので、音大や普通の小中高で「著作権法」の講義ができたら面白いのになぁと妄想したのでありました。
だってさ、この法律はレコード会社や出版社のためだけに存在するんじゃないよ。
日本だと1億人クリエーターの時代って言われているわけで、自分の権利をl守ると同時に、他人の権利も尊重して、皆にとって便利なしくみができればいいのにね。
中国だって、今は13億人クリエーターとは言い難いけど、とんでもないことになっているわけで…
先週は仕事が忙しくて、ほとんど練習できませんでした。
と本当のことを言ってレッスン開始。
まぁ、先生もわたくしが本当にちゃんと仕事をしていることをご存じなので、さほど怒りはしませんが、新しいことを教えてもらえないのは超悲しいです。
とにかくきちんとポジション移動ができないと先へは進めないので、ひたすら五音階(ドレミソラド)を刻む練習曲の特訓であります。
「どうして中国古典はファとシがないんですかねぇ」
と龍海先生に聞いたら、「民族音楽だからそういうもんだよ」と。
(しかし、現代の中国の民族楽器は大幅に改良されていますので、12平均律の曲を弾くことに何の問題もありません。)
その五音階練習曲に加えて、今度は七音階練習曲もやりました。
「単に規則的に音階を刻んでいるだけだから、暗譜する必要全然ないし、簡単な筈なんだけど」と首をかしげる龍海先生、あなたはわたくしをまだ完全に理解してないですね…
頭で物事を考えないわたくしは、聴いて感覚を覚えないとだめなんですよ…
ドレミファ、レミファソ、ミファソラ、っていうふうに繰り返しているだけって言われる方が難しい…
ららららら~とあなたが正しく歌ってくれた方がわたくしの飲み込みも早かったりする(^^;すんません。
左脳が働かねぇんです。
ポジション移動の練習なので、2回ほど手の位置を変えなくてはならないのですが、ぼーっとしていると、譜面に使用する指の番号が書いてあるにもかかわらず、違う指で押さえてしまって、最後の音で「う…指が足りない」という事態に陥ります。
何度も「あれれ、指が足りなくなった」というバカなわたくしに呆れた龍海先生は、「ここで、4の指を使わずに3の指で押さえてるから指が足りないんだ」と指摘してくださり、そして指摘されたにもかかわらず3の指と4の指を間違い続け、「4の指ってこの指だけど、分かってる?」と実際に上から指を押さえられました。
ほんと、すいません…(^^;
大バカ者のわたくしは、本日は延々とこの音階を叩き続けてレッスンは終了したのでありました。
多分、普通の人だったら数か月でもっといろいろなことができるようになっているんだろうけど、相変わらずこんな感じです。
【独りごと】
帰り道、龍海先生とバス停まで一緒に歩いたのだけど、彼は「時間どおりに晩飯食わないと、身体に悪いんだよな」とつぶやきました。
わたくしの面倒をみていると、毎週日曜日は6時半から7時半までレッスン、何だかんだで8時頃に楽器店を出て、家に着くのは9時近く。
う~ん。それってわたくしへの抗議???
しかし、そういうことは店主に文句言ってよ~~~わたくしは別に早くレッスンに行ってもいいんだよ。
で、龍海先生はあわてて「いや、お前がレッスンに来るのは別にいいんだけどね」と言い訳なさった。
店主に時間どおりに退勤できないなら、残業代とか飯代出せってこと?それともレッスン時間変えろとかいうこと?
わたくしがそれとなーく店主に言った方がいいのかな?
店主と龍海先生の関係や、先生の待遇よくわかんないし…
Posted in 柳琴 by , 2009年12月15日 8:30 AM コメントは受け付けていません。
日曜日、笛子のレッスンが4時に終了。柳琴のレッスンは六時半から。家に帰るより、その足で柳琴の先生が勤めている楽器屋まで行った方が効率的なので、1時間ほど、笛子のレッスンを受けている音楽教室で時間を潰しました。
もともとピアノの部屋が空いていて使ってもいいよと言われていたのですが、飛び入りでピアノの生徒さんが練習したいというので、譲りました。
そんなわけで、ピアノ室の外に座って柳琴を抱えて、音をなるべく出さずに左手の練習を繰り返していました。
ピアノ室へ入る子どもの好奇の目…
そらそうだ。チャイナカラーの服を着た「あんたいつの時代の人よ」というようなおばちゃんが柳琴を抱えているのですから。
ピアノ室から出てきた4歳くらいの男の子が嬉しそうに「おばちゃん、ボク、ピアノを勉強してるの」と言って楽譜を見せてくれたので「どんな曲を習っているの?」と聞いたら、その頁を見せてくれました。…すげえ―簡単だけど、これが嬉しいんだなぁ、とちょっとうらやましく思いました。「がんばってね」と言ってあげたら、恥ずかしそうに逃げて行きました(^^;
さて、笛子ボロボロ状態を引きずらないように、柳琴を抱えて、楽器店到着。
龍海先生不在。
待っている間、店の中の楽器を見物。
また、楽器買っちゃいました(その話はまた後日)
以下、レッスンメモです。
相変わらず、ポジション移動の練習をみっちりしました。
龍海先生いわく「もっと早く弾けるように、家でもっと練習しなさいね」
でも褒めてもくれました。
「お前、小指が立つ変な癖、あっさりなおしたね、正直、こんなに簡単に改善できるとは思っていなかった」
そりゃ、前回、あなたが超怖かったからですよ…
見捨てられるかと思ったもの。
また、弦を押さえて離した後、普通に力を抜けば、そうならないことに気付いたからでもありますが。
そして、複雑な音階練習とポジション移動の練習曲に一通り付き合ってくださいました。
とりあえず、どの指を使うのか、どの弦を使うのかという笛子には全く出てこない表示を読むのが苦手なので、本当に手とり足とり頭の整理に付き合ってくださいました。
楽譜に間違えそうな指使いのところを赤ボールペンでマルつけて、ポジションを異動するところに、縦に線を引きました。
細いボールペンであまり綺麗に線が引けなかったので、ぐりぐり何度も線を引いていたら龍海先生に「お前、譜面をそんなにぐちゃぐちゃにしたら、余計に見づらいだろう」と呆れられました。
(いえ、わたくし的には問題ないのですが…部屋がごちゃごちゃで、モノが探しにくいだろうと人に言われて、いや自分的にはそれなりに何処に何があるか承知しているというのと同じ理屈ですね)
どうも、わたくしは行動がザツなようで、譜面をめくる時も、えいやってひっぱって破いてしまい、龍海先生に「おいおい…」って顔されたしなぁ。
そして、お約束の二胡と柳琴の合奏「きらきら星変奏曲」「一分銭」。
これらはとにかく、速く弾くことが目的。
最後は「さくら さくら」
実は、本音を言うとわたくしは自分が弾く「さくら さくら」が好きじゃない。
なぜなら、自分の音が悪過ぎてイメージとのギャップがありすぎてものすごく気分が悪いから。簡単でスローテンポの曲ほど音そのものが悪いとどうしようもない。
でも、龍海先生はほめてくださいました。
何を褒めてくださったのか。
「表現がよかった」と。
V(^^)V
あなたが、「みっともない格好で弾くな」って再三言うから、琵琶奏者のDVDを見て「見た目」だけでも少し真似してみたのよ。
ちなみに何度も見るほど好きな琵琶のコンサートDVDというのは、涂善祥さんが数年前に愛知厚生年金会館で行ったコンサートのDVD「白帝幻想」で、喜多郎さんが特別出場されているものです。このDVDの売り上げは中国民族楽器教育等の事業に使われることになっているようです。このなかで一番好きな曲は、NHKシルクロードのテーマ曲、これは琵琶、シンセ、バイオリンやチェロと合奏している形態をとっていて、ステージそのものがとても綺麗です。
わたくしは涂善祥さんの表現の仕方がとても好きです。涂善祥さんも喜多郎さんも見た目そのものは客観的にハンサムとは言い難いとは思いますが(失礼なことをいってすみません)、でも、演奏時は超カッコいいと思います。千年以上、恋し続けられそうな気がしますね。琵琶演奏というものは感情表現豊かですし、柳琴のコンサートDVDなんてちまたでは売っていないので(そもそも生産しない?)、その点、よく似ている琵琶は視覚的な「表現」の参考にしやすいかなと思って購入したのですが(大きさも音も違いすぎますけど)、こんなにこのDVDにハマるとは正直、予想外でした。
【独り言】
G調の音階をすらすらと弾けて、ポジション移動も余裕でできるようになったら、龍海先生は「金蛇狂舞」を教えてあげてもいいと言ってくれました。
わーい。
でも、どれくらい先になるだろう…(おい、がんばれよ>自分)
Posted in 柳琴 by , 2009年12月2日 8:30 AM コメントは受け付けていません。
同日の午後に笛子のレッスンもあったので、そのボロボロ状態を引きずったまま、夕方のレッスン。
当然、こっちもボロボロ。
ポジション移動の練習曲に入る以前に、その準備練習である6本のフレーズを速く正確に弾けない。
龍海先生、ぼそっと「これがお前にとってこんなに難しいとは、全く予期していなかった…」
すみません、本当に不器用で…
多分、楽器に触ってみようと思う人というものは、器用な人が多いのかもしれませんね。
わたくしのように出来ないのに、触り続けられる人というのは、かなりマイノリティなのかもしれない…
子どもの頃、ピアノの練習曲が何度練習しても弾けないので、悲しくなって、泣きながら自分で自分の腕に噛みついて血を流したことがあるのだけど(手を痛めるから、そんなことしちゃいかんのにねぇ)、それでも弾きたかったのだから、ほんとしょうがないねぇ。
ある意味、器用な人ですぐに弾けるようになる人ほど、ちょっとかじってすぐ止めてしまうのかもしれません。もうXXが弾けるからいいや、って感じでね。
わたくしのように、どうにもこうにも出来ない人間は、いい歳になっても、楽器をあれこれ替えながら、何だかんだと止められない。
【独り言】
「匠」と呼ばれるような職人さんでも、最初から器用な人ばかりではないとか。
案外、ちょっと不器用な人の方が、注意深いし、いっぱい練習するから、いいものを創れるようになるのだとか。
はたまた、楽器関係の先生曰く「まったく何も出来ない素人に教える方がちょっと出来る人に教えるよりよっぽどいい。自己流の変な癖がついていないから、ちゃんと育ててあげれば、きちんと上手くなる」
というわけで、バカにはバカなりの、不器用には不器用なりの、ど素人にはど素人なりのいいところがないこともない、ってことで締め括りたいと思います。
Posted in 柳琴 by , 2009年11月17日 8:30 AM コメントは受け付けていません。
柳琴の龍海先生に相変わらず指摘を受けること、それは「その美しくない見た目を何とかせんかい」ということ。
どんな楽器にも言えることですが、上手い人ほど「脱力」「リラックス」しているものなのですよね。
理屈的には、どんな楽器でもどこにも力が入っていなければ音なんて鳴らないので、力は確かに入っているのだけど、“余分な”力が入っておらず、傍から見ると涼しい顔して、ものすごくきれいな音を出している状態なのです。
で、わたくしのような初級者はとにかく弦を抑える指に力が加わると、まず小指が目立って力が入って突っ張って、そのうち自然に手や手首や腕までが強張ってくる、ピックを握る右手もだんだんガチガチになって、果ては身体まで強張ってしまうのであります。
もっとも、手の大きさ、指の長さにも個人差がありますし、小指は誰だって力が弱いのを無理して鍛え上げているわけですから、プロの方の演奏を見ていても、手の形(特に小指)が変な状態で弾く人いますけどね。
管楽器の人は、呼吸法をマスターできるまでは酸欠でぶっ倒れるなんてざら、練習しすぎて吐きそうになりながら練習したってゆーし、弦楽器の人は優雅に弦を押さえているように見えるけど、指の皮なんて相当厚くなっているし、腕と指の筋肉結構あるし、ピアノだって軽くタッチしているように見えるけど、実際は叩きつけているわけで(朗朗さんは子どもの頃、メンテナンス状態の悪い自宅のピアノの弦を何度も切ったとかってゆーし)、そうとう力を使っているのにそう見えないだけという、本当はものすごく体育会系だと思う…
そういう最低限かかっている力すら、他人には感じさせない基本的な美しさを身につけろということにはいちおう意味があります。
綺麗に演奏している方は、身体を壊さないし、だんだん上手になるものです。
そのほか、前々から言われているのは、根本的に「他人に自分がどう映るか」という美意識に欠けているということ。
これは、過去、別の楽器を習った時にはしつこく言われたことがないので、ちょっと不思議。
それとも、あまり言うとセクハラになりかねないので、特に日本人男性教師は我慢していただけなのかな???
「もっと「大胆」な音を出しつつ、姿かたちは「淑女」の見た目を保ちなさいよ」
これって、龍海先生の理想の女性?とか訳のわからんことをとっさに考えてしまいました…(^^ゞ
鏡を見て客観的にチェックしなさいとのご命令。
もちろん龍海先生だって、わたくしが正式な舞台に立つことを想定して言ってるわけじゃなくて(この年じゃ無理だわさ)単なる趣味でやっている中年だって分かってる上で言ってるんですよね。
でもね、確かに自分が見る側の立場に立つと、「見た目」って重要だと思います。
わたくしは女子十二楽坊のCDは買わないけど、DVDは好きなのですよ。
わたくしは宮本笑里のCDはDVDのオマケ付だと買うけど、もしこれがクラッシックだけが収録されたCDだったら絶対に買わない…
(…純粋に古典楽曲を聴きたいときは、巨匠と呼ばれるぐらいの人の音じゃないと、後でがっかりしてしまうから)
かつて河辺で笛子を吹いていたときも、どこかの知らない爺さんに「“女の子”が吹くと優雅でいいね」と言われたし…(“女の子”でなくて申し訳ない歳なのだが…爺さんにとっては“女の子”の範疇だったのか???)
わたくしの場合、生まれつきの見た目が悪いのはもうどうしようもないし、綺麗な音が出ているかと言えば、とんでもない話で、今から20年後はどうかといえば、4歳から習い始めて24歳で教師になった人の音と、今、三十幾つかのわたくしの20年後、婆さんになった時の音が同じになるわけがない。
人里離れた山奥で独りひっそりと弾くつもりでないのであれば、せめて、弾く時の手の動作くらいは人並みに綺麗に見せなさいよ、っていう龍海先生の親心でしょうか…世間の「女性が楽器を奏でるさま」という理想像を崩さないよう、本日も大きな鏡の前で練習したいと思います。
Posted in 柳琴 by , 2009年11月11日 8:00 AM コメントは受け付けていません。