見た目と中身

人は見た目が九割とよく言われている…
確かに、目が悪くない限り、最初は言語より非言語的な情報からいわゆる「そういう感じ」を受け取るものね。

ところで、たまに聞かれる質問。
「あなたは少数民族なの?」
これは見た目(洋服の好み)と喋り方(外国語喋ってんだから変な癖があって当たり前)からくる素朴な疑問なんだろうな。

ところで、二胡を楽器ケースに入れて持って歩いていると
「バイオリン弾くの?」とよく聞かれる。
「二胡です」と答えると「へぇ~今はそんな大層なケースに入れて持ち歩くんだ~オレがガキの頃は太鼓の部分だけビニール袋かけてただけだよ」と言われることもしばしば。

可笑しかったのは三味線ケース持って日本の商店街を歩いてたら
「射撃やってんの?」とお爺さんに呼び止められた。
「いえ、これは三味線です」とニッコリ。
着物とか着てたら三味線ケースに見えたのかな?ジーンズだから、到底三味線には見えなかった?
でも、私の先生は普段、ジーンズでお稽古してくださいますよ。

一番、ぎょっとされるのが大三弦を持って歩いているとき。
そもそも、大きいので通行の邪魔だし、これが何なのか、他人にはなかなか想像できない…
同級生いわく
「これ持ってると、他人が振り返る確立がぐっと上がるのよね(^^;」
ちなみに、私の先生は、これ持って地下鉄に乗ろうとしたとき、改札でセキュリティチェック通過してきたのに、何度も中身見せろと言われたとか。
「先生、見た目が怪しいんですよ」と私達学生にからかわれる始末

話はそれるが、先日、大学の美術学部の子たちの授業で、どうやらちょっと昔の人物像を描くということをやっていたらしく、
廊下には時代劇から抜け出てきたようなおじさま、おばさま(彼らはモデルさん)がウロウロしていた。
美術室の前が音楽科の防音室なので、そこを三弦持って歩いていたらモデルさんに
「あなたもモデルさん?」と呼び止められてしまった。
私、別に民族服を着てたわけでもなんでもなく、フツ―の恰好してたつもりなんですけど…
「いえ、違います」と言ったら
「あら、じゃあ学生さん?京劇おやりになるの?」と聞かれてまいってしまった。

京劇用の三弦はもっと小さいです…(-_-:
まぁ、日本だって、三味線習ったことがない人からしたら、、長唄三味線も地唄三味線も義太夫三味線も津軽三味線も、同じように見えちゃうかもしれないし、三味線には違いないからなぁ~

二胡LESSON70

さて、先週から始まった快弓の練習であります。
長弓の基礎を踏まえた上で、はや~く弓を動かす!

のですが…やっぱ、速くなればなるほど、推す時と引く時の差が出ちゃいますね。
これは、三弦の「弾」と「挑」にも言えることなんですが、片方だけが強く(あるいは速く)なるわけですよ。
あるいはリズムそのものが不規則って人もいるでしょう…
ナナ先生曰く、どうして均等に弓が運べないかというと、大部分の人が引く時は慣性でわ~っと引けるけど、推す時にはそういかなくて、コントロールしてないそうです。
推すときにかなり意識して推すとだいぶ違うみたいです。
で、どんな曲でもそうですが、普通、弓を引くことからすべての動作が始まるので、皆、引くはよくできるけど、推すに慣れていない。
で、単純な練習をするとき(例えば長弓など)、わざと推弓から入るようにするという練習方法もあるみたいです。
これ、琵琶や三弦系の楽器の「弾」と「挑」の順番をひっくり返して練習するのとよく似てるなぁ。

次回からは、「自分の好きな曲、なんか捜してらっしゃい、それやろう」と言われました。
難易度は問わないそうで、興味を優先させるとのことです。
なんか私、最近、受身で練習してるから、ナナ先生、私のやる気を引き出そうってことなんでしょうか。
確かに、人間、「あれが弾きたい」という憧れみたいなもんがあると、わ~っと上達しますものね。
原動力ってやつですかね。

私が何弾いても綺麗に聴こえるわけないんで、何かを弾きたいっていう欲求がないというか…
漠然と上手くなりたいとは思うけど、それって、人に聴かれても恥ずかしくないように、っていう現実的な理由にすぎないし。
周りは先生か音楽科の学生しかいない(つまり下手な人の演奏を聴いたことがない)というのも、楽曲弾きたくねぇなぁっていう気持ちにさせているのかもしれないけど。

う~む。
次は何弾こう???

二胡LESSON69

四月半ばから五月初めまで日本に一時帰国しておりました。
それに加えて、三弦が忙しいので二胡は二週間に一回レッスン受けるぐらいのペースダウンにしておりました。

練習時間が短いので当然、進歩なし。
一日に一時間程度じゃ短すぎだわな(っていうか、上手くなりたかったらこんなんじゃ短すぎだよね)
練習時間が短いわりにレベルが落ちてはいないこと(現状維持)は褒めてあげると言ってはもらえました(^^;

今回から「快弓」練習しましょうかということになりました。
いろんな人の話やブログ見ていると結構、皆、はやいうちから、弓を速く動かす練習をしているみたいですが、私は今になってやっとOKが出たって感じです。
先生の方針によるのでしょうけど、ナナ先生は長弓できちんと形が出来てない段階でいくら速く弾こうと思っても、いつか限界が来るから意味ないっていうことで、なかなかスピードアップ要求してこなかったらしいです。
実際、ゆっくり弓をうごかしているときは、腕も手首もきちんと使えていても、左手を加えた途端、音程や運指に気を取られて右手がめちゃくちゃになる生徒さんは多いようです。

それから、左手のポジション移動も注意されました。
とにかく私のポジション移動は硬すぎる(^^;
まぁ、音程があってるように、あってるようにって、そればっかり考えながら動かしてますしね…
実際、ナナ先生に言わせると中央音大受けにくるような子でも、特に地方の田舎の子に多いらしいですが、ちゃんと音程合ってて、曲が弾けていても、本当によくそれで弾けるなという見た目の悪さが目立つ移動がぎこちない人がいるということらしいです。
そうならないでね、と言われました。

とりあえず、それを解決するための練習方法として、右手は全く動かさない状態で左手だけで練習するように言われました。
そうすれば、あまり音は出ないから(弦を叩けばかすかに何らかの音はしちゃいますけど)、音程に気を取られることなく、あくまで力を抜く練習になるだろうということです。

来週からは、やっぱ週一でおいでよとナナ先生に薦められました。
う~ん、こんなレベルで停滞しているわけにいかないんで、やっぱりがんばって練習時間増やして週一を維持しないとなぁ。

ちなみに、私、三弦でも「お前のポジション移動は硬すぎ」と言われてます。
「まぁ、弾き始めてから十年も経っている訳じゃないから、そうなっちゃうのは仕方ないんだけどね」ということらしいですが…
これも、音を出さずにする場合は、見た目も美しく、力も抜いて移動できるんですけどね(^^;
音がビミョ―にずれると、「ひぃ」と慌てて次の音のリズム等も狂いがちになるので、としみね先生には「人前で弾く時は、やべ、と思っても何食わぬ顔で弾き続けるのが我々の心得」と注意されました。
確かに、先生だってズレることあるもんね…心臓に毛を生やさねば。

ところで、最近思うのは、中国人の先生は、説明が細かくて、結構論理的で、たとえ話も上手いですよね。
(それとも、私の先生がそうなだけなのかな)
それに比べると邦楽の先生は、「なんとなく、こう」としか言わないような気がする(^^;
かなり非論理的で、「芸は盗めよ」的な感じを受けますね。
西洋楽器の先生はどうだったかと言えば、私が子どもだったからなのか、曲が弾けたらそれでOKだったなぁ。
つーか、こっちも質問なんて全然なかったし、先生の真似して終わり(私、ヘ音記号の楽譜読むの苦手だから、先生の左手を見て丸覚え。ははは)。
申し訳ないけど、最初に習ったピアノの先生はどんな曲をやったのか、先生の名前も思い出せない(^^;
それ以降はちゃんと思い出せんるンだけどなぁ。

二胡LESSON68

あいかわらず、ドミソ、ミソド ソドミ~という練習を繰り返してしております。
で、相変わらず、音程が狂うのですわ。
まぁ、半音狂うとまではいかないのですが、楽器経験者なら狂ったとはっきり自覚できるでしょうという感じで、自分で分かっているときは直すのですが、直すのに1秒かかれば他人に分かっちゃいますし~
何か別のこと(例えば弓の方)に神経がいっていると、音程狂ったことに気付いていないときもあるし(汗)

ポジション移動した時の音のアクセントがきつくて自然ではないので、そこをまるでポジションなんて移動しなかったかのように自然につなげて弾くことを目指すように言われました。

さて、最近私はナナ先生の自宅に行ってレッスン受けてますので(今まで紹介者である友人が開いているピアノ教室で習っていました)、二胡をかたずけている間に、次の子のレッスンをちょっと聴くことができました。
小学生?中学生くらいかな?
私、素人の初心者の他人の音を生で聴く機会ってないんですよね。
普段はコンサートか音楽科の学生が練習している音しか聴けない。
感想は、「皆、最初は上手くないんだね」(って当たり前のことですが…)

まぁ、彼女の10年後と私の10年後は差が出ちゃうのは、こればっかりは、相手は人生の上り坂でこっちは下り坂なんだから、しょうがないでしょうけど…

次回の課題は、「良宵」です。
これは1年前に習った曲だし、時々思い出したように部分的に遊びい弾いている作品ですが、
ナナ先生曰く、徹底的に音階練習した後(つまり現段階)で弾くと、当初弾いていた頃とはまた違う発見があると思うよとのことです。

二胡LESSON67

「やっぱり練習不足だと思うよ」

とは、よく先生がレッスンの最後に言うセリフのような気がします。
別に私に限ったことではなく、私のレッスンの前の生徒さんも言われていたりしますね。
う~ん、これを専門に勉強している人に言わせれば、一日1時間や2時間は「練習」のうちには入らないんでしょうね~
でも、私には今は一日一時間くらいが限界…今は朝から晩まで三弦三昧なのでこうなってしまうのだけど。
ナナ先生には「あなた真面目なタイプだから、二胡に身が入っているときの進歩は凄く速いけど、この頃は別のことに集中してるから、なかなか二胡が前に進まないのよね。気持をもう少し調整してね」とズバリ指摘されてしまいました。

相変わらず、ドミソ、ミソド ソドミ~」を繰り返す訓練なのですが、特に高音から低音に下がっていくときに音程が合いにくいのよね(^^;
「あなたは自分で音程外れるたびに、落ち込む性質なのよね。音外しているのに自信満々でどんどん先へ弾いていく子も大勢いるから、それはそれで長所ともいえるわけだけど」と変わった励ましの言葉をいただきました。

【余談】
さて、最近、先生のお友達があるテレビドラマで主役をされて人気が出てきたそうで
「う~ん、この間までフツ―の子だったのに、この世界、明日は誰が人気者になるのか分からないものよね」と感心していらした。
確かに、音楽や演劇、舞踏なんかをやってる子は、大学に入った時点で完成品同然なわけで(場合によっては十代で職業演奏家や女優だったりするわけで…)、技術はあるのが当たり前、後は、美貌や財力、人脈や運が作用して、いつ社会的に認められちゃうか分らないってだけのことだもんねぇ…

ところで、ナナ先生は昨日まで、オケに借り出されていたそうで、今帰ってきたところだと言っていました。額にいっぱいの吹き出物があるので
「お疲れなのでしょーか」と聞いてみたところ
「コンサートってメイクさんがメイクしてくれるでしょ、そのあとはいつもこうなるの…」と泣き笑い。
う~ん、肌に合っていないのか、舞台メイクは厚化粧過ぎるのか?

さて、もう、くどいくらい言及している音程問題ですが…
結局、ナナ先生いわく
「二胡という楽器の性質上、どうしようもないことなのよねぇ」ということらしいです。
ナナ先生に言わせるとオケの中でも、最初から最後まできちんと合ってる人って案外少ないのよとのこと。
どんなに練習しても合わない時もあるし、プロだって合ってない時が多々あるわけで…(素人に比べりゃその回数と誤差が少ないだけ)
しかも、もっと言えば
「音楽って抽象的なのよね。人の目に見えないしね、感覚的なものだし。だから、大きな枠の中で音程が合っていて、それで表現が邪魔されなきゃいいわけよ」ということらしいです。
プロの領域でも、結局、死ぬまで音程問題に悩まされるわけですね。
素人の私が、多少狂って嘆いている暇があったら、もっと練習しろよってことですね、ハイ。

誰でも初めは簡単に弾けるけど難しい古筝

先日、テレビを見ていたら、中国音楽学院の張維良先生(笛子、洞蕭演奏家)と王中山先生(古筝演奏家)、二胡の周先生が出演されていました。
演奏よりも、司会者や出演者の方々となさっている漫才的な話が面白くて、ほんと笑い転げてしまった…

皆、自分がやってる楽器が最終的にはいちばん~だと思っているものね。
歴史の古さはやっぱり、笛なんですよね。
そして、どの国にもあるだろ~という普遍性。
張先生曰く、欧米の学生にも人気があるとか。

筝はアジアだったらどの国にもあるだろ~というポピュラーな楽器。
日本のお琴、韓国のカヤグム、ベトナムの琴(何ていうんだっけ?)などなど。
王中山先生はほんと、楽しい性格のお方で(専門の学生相手のレッスン中はどうか知りませんよ)、筝を弾いていなかったらお笑いタレントさんみたいで…
「誰でもできる簡単な楽器だろ」と突っ込まれると
「そうなんだよね、誰でも5分で弾けるようになるんだよね~」と笑傲江湖の一部分をご披露。
確かに、上から下へ一弦ずつ弾き下ろしてあるいは上げていくだけで、メロディーになっている(笑)

王先生曰く、楽器初心者にとって簡単な三大楽器は
「ピアノ、フルス、次に古筝」ということらしい。
押せば鳴るじゃん、のピアノ、吹けば鳴るじゃんのフルス、弾けば鳴るじゃんの古筝…
もっとも、逆にそこまで大衆的な分、秀でるにはとても大変だろうな~
弦楽器は、全くの初心者だと、弓引けば鳴るじゃんとはいかない(まれに、私もそうだったけど始めから簡単に鳴る人もいる)。
横笛や尺八系の楽器は、コツをつかむまでは音そのものが全く鳴らない(稀に、穴のあいたものなら何でも簡単に鳴らせる人もいるけど…)

「楽器が大きいから持ち運びに不便じゃん」と突っ込まれると
横から周先生が
「そうなんだよ、だからコイツ(王先生)は、何処へ行っても筝を借してくれ~って乞食みたいな生活してんだよな~」とからかう。
「そういえば、ヨーロッパ行ったときだっけ?機内に持ち込めなくて、無理やり手放されて、機内で泣いてたよな」とも言われ…
うん…その気持ちはよく分かる。日本の琵琶や中国の大三弦とかの楽器も、古筝ほどは大きくないけど、バイオリンみたいに完全に手荷物程度という大きさではない楽器は、無理を言って持ちこめる場合もあるけど、普通断られるので、「首が折れたらどうすんだよ、うわ~ん」と泣いた経験のある人も少なくはないんじゃないだろうか。
ちなみに大三弦の場合、うちの先生はアメリカへ行くときに一番後ろの席の後ろにそのまま置いてもらえたそうだ。
シンガポールのコンクールに行った姉弟子は、荷物として放り込まれて、出てきた時には首が折れていたそーな(可哀そうに…)。

何で「古筝選んだんだよ」との質問に王先生は
「一番上の兄が二弦、二番目の兄が三弦やってたから、僕は一弦で行こうと思ったら、当時、楽器が手に入らなくて諦めて、そうしたら親父が多弦やってみろと古筝をもってきた」からなのだそうな。

「でもさ、古筝っていうと、女の子の楽器って言うイメージでしょう、君のイメージとは程遠いじゃん」とからかわれると
「周瑜(中国後漢末期の武将)は古筝が上手かった~」と反撃。
確かにウィキで調べてみると周瑜は「若い頃より音楽に精通しており、演奏を聴いていると、たとえ宴会中酒盃が三度回った後でも僅かな間違いに気付いた。そのため当時の人々は「曲に誤りあれば周郎が振り向く」という歌を作って囃したという。」ということらしい。
私が疑問に思うのは、中国の酔っぱらいには音楽の上手い人が多いのはなぜなんだろう?

そして、とどめに王先生はこうお答えになった。
「ちまたで古筝弾いてる女の子は、男の先生(つまり僕)が教えてんだよ~」

確かに、古筝(お琴)というと中国も日本も女子っぽいイメージ。しかも綺麗な女子ね。
三弦は日本だとどうだろ、遊里の女性(やっぱり綺麗なお姉さん?)、それとも、歌舞伎の三味線方のお兄様、おじ様って感じ?
中国の三弦はね、やっぱ芸人のお爺さんがイメージされちゃうんだよね…
はっきり言って「土」(ダサいとでも訳しておけばいいのかな)

からかわれるたびに、反撃に出る王先生に司会者が
「先生、その熊みたいな手(爪をつけているから)で近寄らないでくださいよ~」と言われていました。
そういえば、王先生って、クマのぷーさんみたいだと思うのは私だけ?
でも、そういう可愛らしい実物像とはかけ離れた演奏中の王先生は、すっごくかっこよくて、私は大好きです(はあと)。
なんで、あんな熊みたいな手であんなに速く弾けるのかなぁ…

二胡LESSON66

二胡の練習はしばらくの間、ちょっとペースを落とすことにしました。
理由は時間がないから。
時間はそこにあるものではなく、自分でつくるものだけど、一日は24時間しかないし…
私は一人しかいないし、腕は二本しかないし、指は10本しかないしねぇ…
足も使えばいいのか?

「私が千手観音だったら、いろいろできるのにな~」と友人に言ってみたら、
「いくら手がいっぱいあっても指令を出す脳が1個じゃ無理だよ」とつっこまれたので、
「ヤマタノオロチみたいに頭もいっぱいあればいいんだね」と突っ込み返したけど、
「頭と手がいっぱいのあんたがいろんな楽器を一度に弾いてたらキモい…」と呆れられてしまった。

相変わらず、音程がひどく狂っている。
いつになったら分かるんだろう…
完全5度のドとソ(開放弦)も、ナナ先生に「微妙にドが低い」とか言われても、正直私には分からないんだよね~
チューナー見てもだいたい合ってるわけだしね(こういうところが、三味線やバイオリンだと他の弦と上手くハモるので、どんぴしゃりに合わせられる点、悩まなくてもいい)

前の松脂がなくなったので、別の松脂に換えてみたら
「なんか、ちょっとザワつかないかなぁ、やっぱ前のに換えたほうがいいよ」と言われたけど、
正直、私には音色の違いが分からない…
ようするに鈍感なんだよね。
あと10年も修行すれば分かるようになるのか、もうこれは、どうしようもないのか…
ほんと、嫌になってくる。
私がこういうジメジメした性格なのをナナ先生は分かっているので、あわてて励ましてくれたけど(笑)。

子どものころから、音楽やってた人が超羨ましいし、妬ましい…
う~ん、精神的によくないね。
楽しくできないんだよな、性格的に。
もちろん演奏家や教師は舞台の下では楽しくやってないだろうし、素人の私が真剣になる必要もないし、何十年も苦労してきた人を妬ましがってもしかたないのだけど。

二胡LESSON65

え~冬休みに津軽三味線ばかり弾いていたので、二胡の練習がおろそかになっておりました。
よく、一日練習しないと自分に分かり、二日練習しないと先生に分かり、三日練習しないと聴衆に分かるといいますよね。
ナナ先生には言わなくてもばれちゃうだろうと思い、レッスン前に先生が「最近どう?」と聞いてきた時に、正直に練習不足ですと自己申告してしまいました。
う…なんて不真面目な生徒だろう(冷汗)

ナナ先生、そんなに怒らなかったけれども、
「忙しくて練習できない時は、少しの時間でもやりくりして、基礎練習だけはしなさいね」ときつーく釘をさされました。
基礎練習というのは、「長弓」「音階」ですよね。
ただ弓を引いたり押したりするだけの「長弓」は通常ツマンナイと感じるものですが、結局、これに始ってこれに終わるのですよね…
二胡を習う時に初めて習うのもこれだけど、ある程度弾けるようになって先生やってる人でも、練習の始りはこれからで、しかもかなり長い時間、これをし続けるといいますものね。
実際、これを見せてもらうと、その人がどのくらい上手いか想像つくし…

今回の課題は苦手なアルペジオ。ドミソドミソド~とかレファラレファラレ~という旋律がたどたどしくて綺麗にいかないのよね。だいたい音程はあってるけど(あくまで大体であって、弦楽器奏者が聴けばズレてるでしょうけど…)

【余談】
友人から、友人の友人が行ったという中央音大の楊雪先生のコンサートの目録パンフとCD(非売品)を頂きました。
そのパンフには、中央音大のそうそうたる先生方が楊先生に送ったお祝いの言葉が印刷されているのですが、さすがに教養高い中国人はお祝いや励ましの言葉も漢詩みたいなわけで…

印象深かったのは「琴随人意 功在弦内弦外」と書いてあったこと。いろんな訳し方が出来ると思いますが、
「琴(楽器の総称なのでここでは二胡の意)は志にともない、技は弦の内側と外側にある」
という感じかな?
個人的にもっとかみ砕けば多分こんな感じ?
「あなたが奏でる二胡の音はあなた自身の志(願望、想い?)の表れであって、技術の習得は弦の上で行う以外にも、弦(二胡や音楽)以外からも得なくちゃいけないよ」
まぁ、これを書いたご本人に聞いてみないと正確には訳出できませんが、器楽の先生方がよくいうセリフなどから私が推測してみた次第です。
違ってたらごめんなさ~い!

二胡LESSON64

師走…忙しくて二胡レッスンメモを書く暇がなかったのであります。
今年最後のレッスンからもう数日経過してしまっている…

ナナ先生もわたくしも教室まで片道1時間半くらいかかるのですが、ナナ先生はもうすぐ試験なので、この大事な時期に往復3時間も無駄に出来ないという事情もあって、今回1回だけは教室にいかず直接、先生の家で教えてもらっっていいかと教室に許可をとりました。
教室っていっても、ほとんどの生徒がピアノを習いに来ている子どもで、事実上、単に仲介してもらったとうようなところなんですけども。

今回、実際にナナ先生の下宿先に行ったわけではなく、ナナ先生の母校に行きました。
どこの大学でもそうだとおもうのですが、原則、外部者を琴房に入れちゃいけないわけだけども、そこは、まぁ、テキトーにごまかして、某大学(過去の投稿見ればどこか分かるか…)のレッスン室で教えていただきました。
レッスン室ではよそのレッスン室の音はあまり聞こえないのですが、一旦廊下に出ると、廊下にいる人間にはレッスン室の音はものすごく聴こえるんですよね。
恥ずかしいよなぁ、とんでもない音が廊下に響いているのって(副科の楽器でも皆こんなに下手じゃないよな、きっと)。
音大だから当然なんだけど、いっぱいレッスン室あるのね~
わたくしが今いる大学は「音楽科」もあるっていう芸術系の大学なので、こんなにたくさんの琴房はないんだよなぁ。
楽器の音が聴こえるというよりは、毎朝、グランドから歌声と発声練習が聴こえてくるわけで…

課題は相変わらずの練習曲と「光明行」、そして「燭影揺紅」であります。
ナナ先生に「燭影揺紅は光明行よりも、アナタ向きかもね。ゆったり綺麗な曲だし、のちのち、あなたの十八番にしたらいいと思う」と言われました。
そお?
むふふ、ナナ先生、その気にさせるのが上手いなぁ。そう言われると、何だかモーレツに練習したくなってきた。

帰り際、「こんなこと言っても、どうしようもないのかもしれないけど、薬指の独立性がイマイチで、どう訓練しても小指に力が入ってしまって…」と言ってみたら、「薬指の力が足りないのは、わりと皆そうだし、薬指だけで無理して抑えようとせず、手のひらも上手く使えばいいわけよ」とナナ先生。
そして、ナナ先生に腕を掴まれ(?)薬指と手のひらの力でうにうに押されました。
やっぱ、可愛い顔して、中身はすげー力だな(^^;
いろいろ指の独立性の運動をしてはみるものの、速く動かないんだよねぇ(くすん)。

二胡LESSON63

音階練習

相変わらず音程が安定しないので、今回は細かくチェックされました。
わたくしには音程を気にし過ぎる嫌いがあるので、音程が狂っていても「多少」の狂い程度ならナナ先生は普段は何も言わないのですが、今回はちょっと厳しく注意されました。

分かっちゃいるのですが、なかなか…
ポイントはポジション移動した時の頭の音に気をつければ全体的にわりと安定する。
つまり、D調で外弦であれば、5671のDの音と高音12345のAの音を絶対に外さないことですね。
音が上がっていくときはわりとあっているのですが、音が下がっていくときは、自然法則に逆らって腕などを上に引き上げるわけですから、おのずと上がりきらなくて、音程が高めになってしまう。
まぁ、これは初級者にありがちな現象なわけですが…
指と指の間隔も、音を上げていくときに、だんだん狭くしていくのは簡単ですが、音が下がっていくときに、指の間隔を拡げていくのはなんだかちょっと不自然でうまくいかないわけで…

ところで、ナナ先生は基本的にレッスン中「お話」が占める割合がとても多いです。

「どの楽器の習得でも同じことだけど、みんな体力とか練習時間とかが大事だと思いこんでいるけど、実際は頭を使うべきなのよね」

「とにかく、子どもに猛練習させりゃいいとか思っている保護者も少なくないし…」

「よく、ニ胡をマスターするのに最低何年ぐらい必要かってみんな聞くけど、ナンセンスだわ。頭を使って練習すれば、7年も8年もいらないんだから」

「才能がないとダメなんじゃないかとか言うけど、そういうことが問題じゃないのよね。三、四歳からやってる人は手や頭が二胡を弾くために有利に成長するから、便利には違いないけど、成長していく過程で、結局は調整していかなくてはならないわけで、それは大人になってから勉強した人には分からない苦労ってものもあるのよ」

というようなお話をしてくださいました。

ところで、確かに普通の人は「才能がない」ことを諦める言い訳に使います(笑)。
ナナ先生のすごいところは、「どんな人間にも上手くなれる可能性はある」ことを本気で信じさせてくれるところなんですよね。
ものすごい説得力というか迫力があって…
多分、先生ご自身も本当にそう信じているんだと思うのですが、教師としてそうみせているだけだとしたら、ものすごい演技力だと思う。
大人は下手に褒めると「先生は励ますために無理して褒めてくれてるんだよね」とか考えちゃうわけですけど、ナナ先生は励ましてもくれるし、ものすごく細かいことを注意もしてくださる。
ナナ先生が宗教家じゃなくて良かったと思う(^^;
いろいろな器楽の先生がいるけれど、大抵は「希望はある」と口では言いながら「やっぱ無理かな」っていうのが顔に出ちゃうんだよね。

ところである事例を引き合いに出して、「人を感動させる力というのは、最低限の技術は必要だけど、技術以外の“心”の距離が問題」ということを話してくださいました。
事例というのは、中央音大の周海宏先生(音楽教育、音楽美学、音楽心理学がご専門で元はピアノ、作曲がご専門の先生です。著書を読むと面白いですよね)の講義の話。

あの有名なチェロのヨーヨーマの演奏と学生の演奏(同じフレーズ)を皆に聞かせます。
「これヨーヨーマの演奏」(皆、ほぉ~とため息)
「これ、うちの学生ね」(皆、ちょっと、くすっと笑う)
その後、演奏者の名前を出さずに別のフレーズを皆に聞かせて、今の2つの演奏のどっちがよかったというアンケートをとったところ、学生の演奏の方が勝ってしまったのだそうな。多分、学生の演奏の方が「心」の距離が近かったのだろうというようなことだったようです。
結果を聞いた学生は唖然としたそうですね。だって、巨匠の演奏はすごいはずだという思い込みがあるものね。
そんなわけで、実際に心を動かされる要素というのは技術だけじゃない、ということだそうです。
確かに、どんなに早く指が動いても「へぇ、すごいね~」というだけで、「心」がなければ「すっごくよかった~」という言葉は出てこないような気がする。

「そういうわけで、あなたの場合、“心”をまず前にもってきて、音程とかリズムは無視しちゃいけないけど、後ろに回しちゃってもいいと思う。自信持って弾かなきゃ」
というお言葉をいただきました。

先生はそろそろ、院試の準備に突入するため、今度はいつレッスンしてくれるか分らない~先生の合格をお祈りする今日この頃でありました。

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