二胡LESSON63
音階練習
相変わらず音程が安定しないので、今回は細かくチェックされました。
わたくしには音程を気にし過ぎる嫌いがあるので、音程が狂っていても「多少」の狂い程度ならナナ先生は普段は何も言わないのですが、今回はちょっと厳しく注意されました。
分かっちゃいるのですが、なかなか…
ポイントはポジション移動した時の頭の音に気をつければ全体的にわりと安定する。
つまり、D調で外弦であれば、5671のDの音と高音12345のAの音を絶対に外さないことですね。
音が上がっていくときはわりとあっているのですが、音が下がっていくときは、自然法則に逆らって腕などを上に引き上げるわけですから、おのずと上がりきらなくて、音程が高めになってしまう。
まぁ、これは初級者にありがちな現象なわけですが…
指と指の間隔も、音を上げていくときに、だんだん狭くしていくのは簡単ですが、音が下がっていくときに、指の間隔を拡げていくのはなんだかちょっと不自然でうまくいかないわけで…
ところで、ナナ先生は基本的にレッスン中「お話」が占める割合がとても多いです。
「どの楽器の習得でも同じことだけど、みんな体力とか練習時間とかが大事だと思いこんでいるけど、実際は頭を使うべきなのよね」
「とにかく、子どもに猛練習させりゃいいとか思っている保護者も少なくないし…」
「よく、ニ胡をマスターするのに最低何年ぐらい必要かってみんな聞くけど、ナンセンスだわ。頭を使って練習すれば、7年も8年もいらないんだから」
「才能がないとダメなんじゃないかとか言うけど、そういうことが問題じゃないのよね。三、四歳からやってる人は手や頭が二胡を弾くために有利に成長するから、便利には違いないけど、成長していく過程で、結局は調整していかなくてはならないわけで、それは大人になってから勉強した人には分からない苦労ってものもあるのよ」
というようなお話をしてくださいました。
ところで、確かに普通の人は「才能がない」ことを諦める言い訳に使います(笑)。
ナナ先生のすごいところは、「どんな人間にも上手くなれる可能性はある」ことを本気で信じさせてくれるところなんですよね。
ものすごい説得力というか迫力があって…
多分、先生ご自身も本当にそう信じているんだと思うのですが、教師としてそうみせているだけだとしたら、ものすごい演技力だと思う。
大人は下手に褒めると「先生は励ますために無理して褒めてくれてるんだよね」とか考えちゃうわけですけど、ナナ先生は励ましてもくれるし、ものすごく細かいことを注意もしてくださる。
ナナ先生が宗教家じゃなくて良かったと思う(^^;
いろいろな器楽の先生がいるけれど、大抵は「希望はある」と口では言いながら「やっぱ無理かな」っていうのが顔に出ちゃうんだよね。
ところである事例を引き合いに出して、「人を感動させる力というのは、最低限の技術は必要だけど、技術以外の“心”の距離が問題」ということを話してくださいました。
事例というのは、中央音大の周海宏先生(音楽教育、音楽美学、音楽心理学がご専門で元はピアノ、作曲がご専門の先生です。著書を読むと面白いですよね)の講義の話。
あの有名なチェロのヨーヨーマの演奏と学生の演奏(同じフレーズ)を皆に聞かせます。
「これヨーヨーマの演奏」(皆、ほぉ~とため息)
「これ、うちの学生ね」(皆、ちょっと、くすっと笑う)
その後、演奏者の名前を出さずに別のフレーズを皆に聞かせて、今の2つの演奏のどっちがよかったというアンケートをとったところ、学生の演奏の方が勝ってしまったのだそうな。多分、学生の演奏の方が「心」の距離が近かったのだろうというようなことだったようです。
結果を聞いた学生は唖然としたそうですね。だって、巨匠の演奏はすごいはずだという思い込みがあるものね。
そんなわけで、実際に心を動かされる要素というのは技術だけじゃない、ということだそうです。
確かに、どんなに早く指が動いても「へぇ、すごいね~」というだけで、「心」がなければ「すっごくよかった~」という言葉は出てこないような気がする。
「そういうわけで、あなたの場合、“心”をまず前にもってきて、音程とかリズムは無視しちゃいけないけど、後ろに回しちゃってもいいと思う。自信持って弾かなきゃ」
というお言葉をいただきました。
先生はそろそろ、院試の準備に突入するため、今度はいつレッスンしてくれるか分らない~先生の合格をお祈りする今日この頃でありました。