国家大劇院の音楽ホールに初めて行ってきました。
席は、打楽器の真後ろ、指揮者の真正面です。この座席、いわゆる音響的にはどうなの?という場所であるせいか、安いです…
http://www.chncpa.org/n16/n1513/n1518490/index.html
この図面を見るとだいたいの位置が分かるかと。
指揮者の指示がすべて見えて、奏者の楽譜が見えるというところが面白いです。
ティンパニ―や大きな中国太鼓、花鼓、銅鑼、鐘などなど、心躍る打楽器が目の前にいっぱいでワクワクしちゃいました。
あまりにも打楽器のおじさんの背中を熱く見つめすぎていたせいか、振り向いたおじさんと2回も目が合っちゃいました(*^_^*)
演出曲目:
管弦樂《將軍令》 民間樂曲 顧冠仁 改編
管弦樂《彩雲追月》 趙東昇 改編
おなじみの曲ですよね。
彩雲追月のメロディパートは主に笛でした。笙の音もよかったです。
何と言うか、全体的にふんわりとした感じでした。
二胡、笛子、琵琶與樂隊《炫彩江南》 王丹紅 曲
二胡:李源源
笛子:陳莎莎
琵琶:董曉琳
管弦樂《憶江南》 顧冠仁 曲
古琴:餘青欣
管弦樂《歡樂歌》 江南絲竹 王甫建 改編
江南絲竹の中でもとりわけ大好きな曲なのですが、オケで聴いたのはこれが初めてでした。
う~ん、個人的にはやはり、小人数の方が好きだな。
——中場休息——
管弦樂《春節序曲》 李煥之 曲 彭修文 編曲
笛子與樂隊《牧民新歌》 王志偉、簡廣義 曲
笛子:王次恆
笛の王次恆先生はよくDVDでお顔を拝見していたので、「あ、本物だ」と思ってしまいました(^^;
管弦樂《趕牲靈》 陝北民歌 王甫建 改編
管弦樂《古槐尋根》 趙季平 曲
管弦樂《光明行》 劉天華 曲 彭修文 編曲
管弦樂《十面埋伏》 古曲 劉文金 改編
最後はアンコール2曲でした。打楽器が大活躍で、打楽器のおじさんに惚れてしまいました。
なんか、この間も打楽器のお兄さんに惚れたって言っていたような気が…
いや、もうニ胡も柳琴もやめて打楽器に走ろうかな~(冗談ですぅ)
新しいことは習っていません。
基本のアップとダウンをチェック(ニ胡の長弓チェック、笛の長音(ロングトーン)と基本は皆同じですね)
やはり、アップ時に力が弱いので、思いっきり弾いて、手首をふり切らないといけないみたい。
次は、
タンタンタンタン(八分音符) タタタタ(十六分音符) タンタン(八分音符)
これをワンセットとして、すべての線でやります。
遅いスピードから初めて、出来るところまで速くします。
もちろん、音量、音色をきちんと揃えることが大事。
いくら速く弾けても、音が均一でなければ聴衆には聴こえる音と聴こえない音ができてしまうため、実際には速く弾いていても、遅く弾いているように聴こえてしまったり、リズムが狂っているように聴こえるという哀しい現象が生ずることになるのです。
柳琴はニ胡などの擦弦楽器と違って、そのままでは音が伸びないため、輪(アップとダウンを速く繰り返す、つまりトレモロ)奏法を駆使することになります。
そんなときに、アップとダウンが不均一であれば、これは致命傷~~~
そんなわけで、これは大事な訓練なのです。
タタタタ(十六分音符) タンタン(八分音符)をものすごく速く繰り返せるようになれば、自然と小輪と長輪という奏法がマスター出来ちゃうわけです。
次の基本は、「ドレミファソラシド ドシラソファミレド レミファソラシドレ レドシラソファミレ…」のG調音階。
先生に言わせると、上記の7音階と5音階(ドレミソ、レミソラ ミソラド…音階)の練習は、典型的な基礎訓練なのだそうです。
これは柳琴を専門にやってきた人であれば、誰でも長年やっていることなので、確かに、どんな先生でも恐ろしいほどの神業スピードでこれらを弾きこなせますよね。
「何十年も柳琴弾きの間で流行している曲よ(笑)」とのことです(^^;
確かに、これ、神業スピードで弾くととってもワンダフル!!!
琴の傾度を変えてから日が浅いので、まだ弦を跨ぐ時に、他の弦をひっかけてしまうことがあります(超ど素人だ…恥ずかしい)
目をつぶっていても、弾けるようになるまで練習あるのみですね。
第三ポジションになると、G調最後のソラシドのシドなんて、大人の指には狭すぎます。
じゃ、どうするのって言ったら、それはもう、指を斜めにするんですね。
薬指や小指の右端の先で押さえる感じ。
ゆう先生はわたくしの左手先を見て、「う~ん、小指の右端の方にタコが当たるようになってくるとそのうち痛くないよ」と言いました。
ニ胡とはまた弦の当たる位置が違うので、人差し指と中指の先はもう全体的にかなり厚いのですが、小指なんてほとんど使わないので、痛いんですよね(あぁ、ど素人だ…)
ちなみに、もっと下までフレットはありますが(全部で29フレットあります。モノによっては24フレット)、ここより下はあまり使わないと思います。
基本的に第三ポジションまでGCDFB♭調の音階が自由自在に弾ければ、とりあえずはOKでしょう。
ちなみに、曲の中では音が下がってくるときに、ポジション移動するよりも、小指で内側の弦を叩いた方が合理的な場合があります。
わたくしにとっては、これが難題。
小指ってどんくさいですよね…
小指がそんなに短いわけではないので(同じくらい大きな手の他人の小指に比べるとちょっと短いです)、問題なく押せるし、音も出るんですが、押したときにちょっと弦を引っ張ってしまうらしい。
そうするとどうなるか、音程が微妙にズレるのです。
フレット楽器は音程がズレないのがいいところだと皆思ってるでしょ?
そうじゃないのよ。
注意してよくよく聴いていると、ちゃんと調弦していても、粗悪な琴というわけでなく、ちゃんとした琴で弾いていても、押し方一つで音程ズレるものなんですよね。
もちろん、大したズレではないけど、この頃ニ胡の音程で神経質になっているせいもあって、小指押した瞬間、ぞ~っと背筋が凍ります。
ゆう先生「あなた、要求高過ぎ~すぐには無理よ、小指が定位置に届いていて、音が出れば、最初はOK」とのこと。
初心者の中には通常の第一ポジションで人差し指や中指で押さえるときにも、手の緊張のあまり弦を引っ張ってしまい音程がずれる人もいるらしく、
自分が悪いのに「この琴、音が狂ってる」という人がいるので、笑うに笑えないとゆう先生は言ってました。
同じ弦上で小指を使うのなら別にそういうこともないのですが、内側の弦は「えいや!」って指を伸ばす感じなので、やっぱり無理がかかっている感じなのですよね…
小指を鍛えないとなぁ。
いつもは、時間をかけてわたくしに各音階を弾かせてチェックするナナ先生なのに、今回は1、2回弾いてすぐに次の調の音階へ。
もちろん、レッスンが2時間ではなくて1時間ということもあるのかもしれないけど、主として「音程が正確かどうか」ではなく「弾けるかどうか」という視点を確認するためだっようです。
最近、ものすごく心理的なコンディションが悪く、レッスン前日に「レッスン時間は1時間でお願いします。もう自分の狂った音を聴き過ぎて気分が悪いし、今は何が正しい音なのか全く分からなくなっているような状態なので…」と先生にメールしたこともあるのでしょう。
ナナ先生いわく
「あなた、音が分からないって言ってるけど、音階弾けてるし、多分、音が本当に分からないとか、技術的な問題ではなくて、心の問題だと思う」
その後、ナナ先生の長いお話が続きました。
これはわたくしの心の問題なので、ここでわたくしのドロドロした心理状態をぶっちゃけてもしょうがないので、スルー。
それと音楽を専門的にやってきた人のほぼ全員に言われていることなんだけど、
「音楽はもっと抽象的なものなのだから、他の学問と同じようにきっちり白黒考えちゃだめよ」
でもね…こうも狂い過ぎている音を皆、どうして平気で聴いていられるのだろうと不思議に思わなくもない。
結局、子どものころからやってきた人は、最初はたいした音階概念がないから、狂っていても気付かなくて平気で、その後、技術の進歩とともに音階概念もともなってくるので問題ないのだろうか?
全然、楽器をやったことがない人はニ胡をやっても、そもそも音階概念がないので、音が狂っていても平気なんだろうか?
別の楽器を極めた後で、ニ胡をやる人は音階概念がはっきりしているけど、ある楽器を極めた後でニ胡を習う人は器楽の勉強の仕方を知っているので、最初は音が狂っていても、いつかよくなることが信じられるし、進歩のスピードもずば抜けて速いだろうから、そんなに苦にならないのだろうか?
わたくしなんて最悪だ。
ちょっと別の楽器をかじったことがあるだけで、ある特定の楽器をそこそこ弾ける程度になる前にやめてしまっているので、中途半端な音階概念があるだけで(しかも、精密ではない)、自分や他人の狂った音が非常にうとましく聴こえるだけで、この先、よくなるということが信じられない。
先生だって、子どもの頃に弾いた曲を今でも弾いていらっしゃる。
その時々のレベルに応じた完成度というものがあって、パーフェクトということは音楽にはあり得ないということもわかるのだけど…
それでも、音やリズムの狂いにも我慢の限度というものがあったりしないのでしょうか。
ピアノだったら、ど下手くそなわたくしがカメモードで弾いても、まだ我慢ができるのですが(ミスタッチしなけりゃ音は狂わないもの)、ニ胡は我慢のしようがないほど狂う…
それが「ニ胡」を弾くってことなんだと言われればそれまでなんですが…
初級レベルの人が楽しく勉強し続けられるのって、やっぱり自分や周囲の環境が寛容なのでしょうか…
家族や友人に「どへたくそ」とかって言われないのかな?
多分、言われないんでしょうね。言われたら心を病む前に止めると思うし。
ワタクシの場合はお陰さまでそんなひどい人は周囲にいないので他人に言われることはないけど、いちばん身近な人間、つまり自分自身が毎日毎日「どへたくそ」って罵倒してるんですが…
この日は、課題の練習曲はひとまず放置しましょうと言うことになりました。
そして楽曲「民謡風」をぼちぼち弾きながら、音程を修正していきましょうということになり、少しずつ区切りながら、「練習の仕方」というものを教えていただきました。
話は変わりますが、確かに、第一~第三ポジションであれば自分で音の狂いに気付いていますが(だから気持ち悪くて吐き気がするのは上記のとおり)、第5ポジションくらいになってくると、実は音が本当によく分かりません。チューナーもちゃんと音を拾ってくれないのであっているのかどうか冗談抜きで分かってません。
指と指の間の間隔が狭過ぎて、ほぼ重なってしまうから距離感としては、つかみようもないし…
高音は普通の人でも聞きとりにくいものなのでしょうか?
それとも訓練が足りないだけ?
まずは、アップとダウンの基礎練習。
陽明音をなくす!
通常、人間は上から下に弦を弾くときの力の方が、下から上に弾く時よりも大きくなりがちです。
ですから、意識していないと、まるで脚を怪我した人の足音みたいに、音が大小大小…となってしまい均一に聴こえません。
いわゆる陽明音というやつですね(^^;
自分ではこれまで全然気づいていませんでした。
多分、最初はそう言われて気にしていたのでしょうけど、だんだん忘れてしまい適当に弾いていたのでしょうね。
多分、自分的にははっきりと弦を弾く姿を間近で見ているので、音がちゃんと聴こえているかのように錯覚してしまうのかもしれません。
アップのときには、最初は意識して強く弾きなさいと言われました。
そのくらいで多分ダウンとの音量の調整がとれるのでしょう。
ピックと弦の深さは線によって異なる
また、ピックと弦の深さですが、1線2線は浅めに、3線4線は深く入れなさいと注意されました。1、2線は線が細いので簡単に弦を弾けますが、3線4線は弦が太くて重い感じなので、ピックを深めにして思いっきり力入れて弾きなさいとのご指摘。
最初は、そのくらいの意識で1~4線までの音量の均衡が保てるということです。
右手の指先は緊張、右腕はリラックス
右手ですが、きちんと力入れてピックを持ちなさいね、と注意されました。
器楽のレッスンでは一般的に、「力抜いて!」と叱られるものですが、ピックを持つ指さきだけは、きちんとピックを捉えている必要があるので、力が入っていてもいいみたいですね。
横から誰かがピックを取り上げようと手を伸ばしたときに、あっさりピックを抜き取られるようじゃダメだと言われました。
ゆう先生は子どもの頃、よく先生にピックを取られちゃたそうです。
そして、右手の指先には多少、力が入っているものの、右手首には絶対力を入れてはいけないとも強調されました。
ここが緊張すれば、真っ先に音色が変わるのでよく分かるそうです。
レッスンでの使用教科書はおなじみ、顧錦梁先生の「青少年学柳琴」上海音楽出版社。
第6節 換把(ポジション移動)17頁
換把練習2
典型的な練習メニューです。最初はゆっくりでいいけど、だんだんスピードを上げていき、最終的にはものすごい神業スピードで弾けるところまで弾けるのがベストということらしいです。(実際、ゆう先生は神業的なスピードで弾いてくれました。メトロノーム的にはどのくらいの数字なのかな???)
つまり、どんなに楽曲のレベルが上がっても、一生、レッスン前に続けるべき、典型的な練習です。
確かに龍海先生(わたくしの最初の柳琴とニ胡野先生です。仮名。)も同じことを言っていました。
なのに、最近、毎日やってなかったし…
姿勢や手の型を変えてしまったら、結局、ゼロからやり直しなので、ほんと、どんくさい自分の手に呆れるばかり。
換把練習3
これは宿題ではなく、その場で突然、やりました。
「前に弾いたことある?」と聞かれ、「習ったこともないし、自分で弾いてみたこともない」と答えましたら、「あなた、初見能力わりとあるのね」と感心されてしまいました。
あの…だって簡単で単純な音符しか並んでいないので、そりゃ、まぁ、分かりますって…
さて、ポジション移動ですが、琴の持ち方を変えた途端、琴が嘘のようにす~っと軽くなったため、先生にも「前回のレッスン時に比べて急に進歩したね」と褒められました。
「急にその琴の音色がよくなった、同じ琴だとは思えない」とも言われました。
ぶっちゃけ、この琴は練習琴ではないものの、低ランクの演奏用琴なのですが、音色はよい出来だと製造者も言っていたので、まぁ、技術次第では、ほんとかなりいい音も出せるのかもしれません。
わたくしのポジション移動の悪い癖ですが、下に移動するときは自然なのですが、上へ戻るときは、ほんと重力に逆らわなくてはいけないせいなのか自然に戻れないんですね。
第一から第二ポジションは移動距離が短いのでさほど問題は深刻ではないのですが、第三ポジションから第二ポジションに戻る時なんて、急に「えいやっ!」と急に戻る感じで、音が途切れてしまいます。
ポジション移動する前、事前に心の準備をしておいて、スムーズにす~っと動かせばいいだけよと言われているものの…なかなかできない。
親指が上に滑るときは、ほんと、緊張です。
過線練習 8頁
線を跨ぐ練習は、前にそれだけ練習したことはなかったため、「じゃあ、ちゃんと基礎を固めましょう」とのゆう先生のお言葉に従い、逆行して練習中です。
開放弦で線を跨ぐ練習です。
確かにしなくてはならないこと自体は簡単なので、誰だってできると思うのですが、これが「音量は均一で、美しい音色であること」を守り、有る程度スピードを上げなさいということになると、初級レベルの人には難しいのではないかと思います。
わたくしも、ただ弾くだけなら弾けますが、ゆう先生の基準に適うように弾くには、後、数カ月は必要だと思います。
Posted in 柳琴 by , 2010年11月11日 9:00 AM コメントは受け付けていません。
19 D調由上把位至下把位的音階模進練習
31 D徵調五声音階模進練習二
70 F調上把位至中把位音型模進練習
課題曲「民謡風」(検定2級の曲)
相変わらず、繰り越された課題を弾き続けていますが、相変わらず全く進歩がありません。
楽曲に至っては、最初の数小節で躓いて全然進めず、レッスンの間が1週間ではなく、火曜日から土曜日までと短かったせいもあって、ほとんど楽譜に書き込みもできないまま、レッスンに行ったのでした。
毎日、何度やっても進歩しない音階練習しているともう嫌気がさすのですね。
音階練習そのものが嫌って言うんじゃなくて(むしろ楽曲より好きですよ、単純だから)自分の音程の狂った変な音を聴くのがものすごく憂鬱なんですよね。
楽曲はぜんぜん、練習していないので、当然、レッスンで弾けるはずもなく…
いつも、楽曲はちゃんと弾けるのに、今回全く弾けないので、先生はかなりビックリしたみたいです。
弾けないけど歌うことはできるので、先生、また首をかしげる。
「曲がちゃんと分かっているのに、何で全く弾けないの???」
理由はきわめて簡単です。
「だってポジション移動だらけだから、移動するたびに音が狂うので、そこで止まってしまい、先に行けない」
(今までの1級の曲はポジション移動なんて全くないので、何も考えなくても音とリズムだけなら簡単にとれたただけのことです)
しかも、なんというか、譜面にわざわざふってある指法が、ワタクシ的にはほんと、弾きにくいんですよね。でも試験用の譜面は多分、指法変えちゃいけないんでしょ?
別に滑音等の特殊効果を狙っているのでなければ、わざわざ移動しなくていいところでもポジション移動させたがっているような気が…
ここまで、確かに通常の何倍速かで突っ走ってきたのですが、このあたりからはもう、そう簡単には技術のアップが望めそうにありません。
もしかすると、「ここがもう、自分の限界点なのかな」ぐらいに思うほど、落ち込む日もあり、落ち込むぐらいなら、もう練習しないほうがマシって感じもしなくもありません…
友人に言わせると、「諦めるのが早過ぎ」なんだそうですが…
確かに、あんなに「持てない、持てない」と騒いでいた柳琴も1年経った今頃になってやっと「なんだ、簡単に持てるじゃん」ということが分かったのだから、ニ胡ももう少し我慢すれば、多少のコツがわかるようになるのかもしれないけど。
Posted in 二胡 by , 2010年11月10日 1:13 PM コメントは受け付けていません。
なんと、びっくり、柳琴をきちんと持つことにだいたい成功しました(^^)
柳琴LESSON40で、「初心者は親指に負担がかかって当たり前」と書きましたが、少しきつい表現(断定的過ぎ)なので、ここに詳しく経緯を書こうと思った次第です。
自分の身体条件に合うバランスの取れる場所さえ見つかれば、実は琴はすごく軽いのです
ということを、発見しました(^^;
もちろん、ニ胡のような楽器と違って、親指が全然琴を支えていないということはないはずで、まったく疲れないということはこの手の楽器の初心者にはあり得ないと思いますが…
結論から言いますと、わたくしの場合は腕托を琴に設置して、支架は全くつけない、右脚を上にして脚を組むという姿勢が琴が一番、安定します。
これまで、孟先生もわたくしもず~っと琴の位置が低過ぎるのかなと思っていたのですが、実はそれが諸悪の根源ではなかったみたい。
おさらいしますと、バランスをとるために力のかかる重要な部分は3つ、
右腕の自然な重量
テイルピースの上くらいで腕の自然な重みで琴を下に引き下げる力がかかります。
親指の腹の三分の二ぐらいの場所
親指の腹全部がべたっと琴にくっつけば、多分、ポジション移動時に滑りにくいと思うので、この程度ではないかと…
でもこれも手の形や大きさは人それぞれですから、一概には言えないかもしれません。
琴を支える力が下から上に働きますが、「突き上げ」ていなければならないほど重いと感じるのであれば、まだ正しいバランス点を把握していないのだと思います。
「突き上げ」状態じゃ、ポジション移動できないでしょう?
軽く触れている、軽く支えている、そんな程度です。
琴のお尻(或いは支架とか琴托と呼ばれる部分)
ここは、琴のお尻の位置が右へ滑っていかないように、角度や高さを調整すれないいのではないかと思います。
わたくしのように、支架はいいやってことになって、脚を組むことで若干琴の位置を上げれば済む人もいるでしょう。
後は時々、女性なら胸がちょっとあたるとかそういうことはあるかもしれません…(^^;が、力がかかる場所ではないと思います。
わたくしの場合は、多分腕の長さとか、手の大きさの関係で、良い音色が出る場所にピックの軌道が乗るようにすると、右手の重量が足りなくなってしまうようです。
これは、腕托を付けることにより、右手が安定してしまえば、実は琴自体にはあまり高さなんて必要なかったんですね。
上記の三点のバランスが取れる位置は身体条件によって人それぞれだと思います。
ついでにいうと、わたくしは以前より琴を傾斜させた方が、むしろバランスをとり易くなりました。
バランス点は微妙に人それぞれ違うと思うので、万人向けに書けないのですが、バランス点をさぐる時に絶対に守るべきことは万人向けに書けると思います。
1、柳琴は琵琶と違って指で弦をひっかけるのではなく、右手首を起点にして弦を弾くため、右手首が綺麗な音が出る正しい軌道を走れるように琴には一定の傾斜が必要になります。
間違っても琵琶のように縦に構えないでくださいまし…(過去の自分は反面教師)
2、弦をかなりきつく張るため、きちんと弦を押さえるためには、左指にきちんと力が入る正しい手の形を維持しましょう。
琴を支えようとして、無理に変な手の形にすべきではありません(過去の自分は反面教師)
ちなみに、わたくしは握力とか指の力、本来はその辺の軟な男性より、実はあるんです(^^;バラしちゃった~
それなのに、力が弱い、弱いと言われ続けてきたのは、要するに
琴が持てない→正しい手の形が保てない→弦をきちんと押せない
の悪循環だったようです。
もう一度、強調しますが、
自分の身体条件に合うバランスの取れる場所さえ見つかれば、実は琴はすごく軽いのです
Posted in 柳琴 by , 2010年11月9日 11:58 AM コメントは受け付けていません。
最近、落ち込んでいるので、自分を励ますために、国家大劇院でコンサートに行き、中国民族音楽を聴いてきました。
小ホールだったので、本当に聴衆の人数も少なく、楽団員も17から18人編成くらいの小規模なもの。
できるだけ近くで聴きたいと思っていたので、前から3番目の席をとりました。
でも、実は国家大劇院に行ったことがなかったもので、小ホールって本当に小さいのねってことを知らず…
別にもっと後ろでもよかったかもと思ったのでした。
演出曲目:
合奏≪喜洋洋≫ 劉明源 曲
≪古城新貌≫ 劉明源 曲
三弦:張馨元
あの長い竿をす~っとポジション移動するとき、とっても綺麗ですね(曲を聞かずに何処見てるんだって怒らないで…)
≪節日的歓楽≫ 劉明源 曲
蘇奈爾:陳力寶
ウイグル族の雰囲気が濃厚な曲でした。
中阮独奏《幽遠的歌声》 陳文傑 曲
中阮演奏:魏玉茹
中阮の独奏って寂しそうだと思ったのですが(単純に弾いても良さが伝わりにくい感じ)、独奏というか、打楽器の伴奏つきでした。打楽器と合わせると面白いものですね。
簫と古箏≪清明上河図≫ 劉為光 曲
蕭:王溪 :古箏:閻蘇
最初にネットで曲目が公開された時の予定では、「箜篌」(クゴ)(ハープ)との演奏だった筈なんですが、途中で変更になっちゃったみたいですね。「箜篌」を間近で見てみたかったのに…
一つ、気付いたのですが、王溪さんはときどき脚の先で微妙にリズムとってらっしゃいました。
まぁ、癖なのでしょうし、ほんとに微妙であまり目立つものではないのですが、プロってそうしないものだと思っていたので、意外でした。
悶子獨奏《十八板》 劉明源 曲
悶子演奏:陳力寶
嗩吶かと思ったら、そのお仲間の別の楽器で「悶子」という楽器だそうです。
言われてみれば音色がちょっと違います。
笛子独奏《幽蘭逢春》 趙松庭 曲
笛子演奏:王溪
いや~よくあんなに息が続くものだと感心しました。会場からもまだ曲の途中なのに思わず拍手が出たりして…
琵琶獨奏《十面埋伏》 古曲
琵琶演奏:吳玉霞
いわずと知れた大師と名曲の組み合わせですね。
《十面埋伏》だけでなく、もう1曲、プログラムにない曲をサービスで打楽器の伴奏つきで弾いてくださいました。
でも、この曲のタイトル、聴き取れなかった~
絲弦五重奏《天山之春》、《映山紅》 胡登跳 編曲
二胡、琵琶、楊琴、中阮、三弦の五重奏でした。
なんか、やっぱり阮って地味よね…明らかにニ胡がリードしていました。
そして、《映山紅》に至っては、斜め後ろのおじさんが鼻歌を歌っているのが聴こえてきた…
京胡獨奏《夜深沉》 京劇曲牌 吳華 改編
京胡演奏:張学琴
板胡独奏《大姑娘美》、《雲雀》
板胡演奏:劉湘
京胡も板胡もほんと、中国チックな音がしますよね。ニ胡はもうすでに日本化してしまっている感じがするので何とも感じないけど、京胡や板胡は中国だなぁと感じます。
合奏
《喜臨門》 劉明源 曲
《盪鞦韆》 劉明源 曲
篳篥演奏:陳力寶
《幸福年》 劉明源 曲
板胡演奏:劉湘
なんというか、全体的におめでたい雰囲気の曲ばかりで、最近、レッスン関係で落ち込んでいたので、心が洗われました。
今回は打楽器のお兄さんに惚れてしまいました。
ウィグル系の太鼓ってなんて楽しいんでしょ(欲しいと真剣に思っています^^;)
ところで、このコンサートは途中休憩なしの構成なのですが、1曲終わるたびに、誰か彼かが席を立ったり戻ってきたりするので、うっとうしいなぁと思いました。
とにかく、最近落ち込んでいることは先の日記に書いたとおりです。
悪循環にハマっている感じです。
二胡のレッスン場所は友人の音楽教室(子どものピアノレッスンがメイン)なので、ピアノはすぐそこにあるんですよね。
(だからレッスン時はチューナはいらない)
音程が分からない自分がもう哀しくって、哀しくって、どっぷり落ち込んでいたところ、友人が
「あなた理想高過ぎるからね~そんなに無理しなくても、もっと楽しく弾こうよ、私なんて1年も同じピアノ曲弾いてるけど、ぜんぜんパスできない~」
と励ましてくれました。
この友人はピアノ講師というわけではなく、教室運営と事務をしているのですが、子どものレッスン前の練習に付き合ったりもしますので、有る程度、ピアノは出来ます。
友人は事務の合間に職権を利用してピアノを習っているわけですな(^^;
友人は琵琶は子どものころからやっているので、まぁ、そこそこできるものの、「ピアノは大人のレッスンなので、手が早く動かないもんね」と笑いながらモーツァルトをちょっと弾いてくれました。
「あなた子どもの頃、ピアノやってたんだったら、簡単な曲なら弾けるかもよ」と中央音大のピアノの試験(初級)の本を渡され、2級(すげー低いレベル…)にクレメンティのソナチネがあったので、それをカメさんモードで弾いてみました。
(20年以上弾いていないし、先生もわたくしも熱心ではなかったため本当に何も弾けないんだな…)
ははは、そんなに遅く弾いてどうするという、「こらひでえや」という演奏してしまいました(^^;
あぁ、どんなにいい加減に弾いても、音程が狂わないのが嬉しい…と変なところで感動してしまいました。
鍵盤楽器に浮気したい。
でも、これまでいろんな楽器を超浅く渡り歩いてきたけど、それぞれの楽器にそれぞれの難関があるんだよね。
要はその難関を超えられるかどうかって、結局、その楽器やその楽器を使った楽曲にどれほど惚れているかってことなのかなぁと思ったりするのでした。
あぁ、二胡はいつまでたってもポジション移動するたびに音程ずれるし、柳琴は相変わらず持ちづらいし…
10年後、まっとうに独奏曲を弾くことができるんだろうか?
腰を痛めたナナ先生、腰が痛いにもかかわらず、お時間が出来たので1時間レッスンをしてくださることになりました。
19 D調由上把位至下把位的音階模進練習
31 D徵調五声音階模進練習二
70 F調上把位至中把位音型模進練習
出来は散々。
「前からの繰り越しなので、出来ていて当然でしょ!何で出来てないの!」と本当に叱られました。
いや、一応、毎日数時間弾いているのですが…本当に効率が悪いのだと思います。
また、チューナーを見て練習しているので、チューナーなしで演奏することに自信がないんですね(要は自分の耳が当てにならない)
だから、ポジション移動するたびにいちいち止まってしまう。
実際、微妙に音程がずれるので何度も直す必要ありますし。
ちょっとのズレだったら、さりげなく移動して直せばいいのでしょうけど、瞬時に直せないので結局、止まる…
これらが、スムーズに弾けないと、絶対に先に行けないから、パスさせるわけにいかないとのナナ先生のきついお言葉。
また、「楽譜通りに音を拾えばいいってもんじゃないでしょう。もうこのレベルまで来たら練習曲といえども、その旋律感をきちんと表現しなさい」とも叱られました。
最後の楽曲、「長城謡」に至っては、もう早くレッスン終わりたいがために投げやりに弾いてしまい(すみません…もう本当に自分の音のすべてに嫌気がさしていたのです…)先生には「何で、ものすごい速いスピードで弾くの?音はちゃんと弾けているんだから、もっと楽曲らしく美しく弾きなさい!」と叱られました。
楽譜の速度より速いだろうとは自覚していたものの、まさか倍速以上になっているとは思っていなかった…
多分、もういやいや弾いているのが先生にはバレバレだったと思うレッスンでした。
【松脂の話、その後】
ナナ先生のお気に入りはやはりピラストロでした。色がいろいろで定番と言えば、ピラストロじゃないかと思っていたんですよね。
でも、オブリガードではなくトニカでした(^^;
「中がキラキラしているよ~」と先生。
ほんとだ、キラキラしてるね。
これはピラストロのトニカ弦(つまりナイロン弦)に適しているものなので、二胡弦でもいいのかなと思っていたのですが、粘度の問題なのかな???
ある方はピラストロの松脂の粘度の印象は、
ゴールドフレックス > クロムコア > オリーブ > オイドクサ > トニカ
という気がするとおっしゃっていました。
で、わたくしの印象としては、やはりベルナルデルは、かなり「さらさら」しているので、人によっては引っかかりが悪くて弾き辛いかもしれませんが、それに比べてピラストロのトニカはずいぶん引っかかりがよいと思います。
ベルナルデルは日本の夏に使用するのがいいのかも。
肝心の音色が変わったかと問われれば、変わりましたね。
あくまでも、わたくしの印象ですが、爽やかな感じから暖かみのある音色になりました。
粘度と引っかかり具合からくる差なのかもしれません。
【余談】
なぜか、二胡の高音の調子が悪くなりました。
先生に「駒変えた?それとも、二胡本体を倒したりしたの?」と尋ねられましたが、そんなことはありません。
「皮の問題かな、季節の変わり目だし、天気悪いからねぇ」と言われました。
そんなわけで、本人の気持ちもどっぷり落ち込みモードだし、二胡そのものの音も悪いし、どうしようもなく、最悪な音が部屋に立ちこめている今日この頃です。
Posted in 二胡 by , 2010年11月3日 10:56 AM コメントは受け付けていません。
退勤後、夜7時半、ゆう先性の職場のXX大学到着。
XX大と言えば、かつて同僚のN君がここの学生だったので、彼に講義スケジュールを教えてもらい、勝手に法律講義を聴講していました。
当時は門の出入りなんて全然、厳しくなかったのに、今は学生証とか関係者である証明書を提示しないと入れないんですね。
オリンピック以降こうなったそうです。
部外者は身分証明書等を提示して、名簿に名前を書いて、訪問理由とか言えば簡単に通してくれるみたいですけど面倒くさ…
日本の東大とか、早稲田とか、そんなに厳格じゃないよね~
さて、レッスン室は某大学のオケ練習室。
ひゃ~ごちゃごちゃ、楽器ケースとかごろごろ転がってるわ。
レッスンは結論から言いますと、完全に振り出しに戻りました。
やはり基礎って大事ですね。
間違った方法で練習しても、結局、最終的に上手くなりません。
回り道です。
すごく上手くなりたい人は、やはり柳琴をご専門に勉強したことのある方に正しい方法を習った方がよいと思います。
まずは、琴の持ち方から。
正確な持ち方は、過去記事(孟憲洪先生、孟醒先生のご意見)を参照してください。
(ここには重複して書きません)
これまで、柳琴ご専門の方3人にレクチャーをいただいたことになりますが、皆さん共通しておっしゃったのが
「あなたの左手首と指の型、まるで二胡を持つみたいね」
このブログを最初から見ている方はご存知かと思うのですが、柳琴は二胡より早く習い始めたんですよ。
だから、二胡の癖が柳琴に影響を及ぼしているわけではない筈なんです。
そうなってしまったのは、おそらく、その方が身体的に楽というか、持ちやすいのでしょうね。
また、最初に柳琴を教えてくださった先生の一番得意な楽器が二胡だったわけで、彼もあまり気にしなかったんじゃないかな。
中国楽器は二胡から入って、次に柳琴をやってみようかなという人は気をつけた方がいいかと思います。
二胡やバイオリンはほんと親指に全く負担のかからない楽器です。
バイオリンなんて、手を放してもOKというか、最初に手を放してみても持っていられるように指導を受けますよね。
その常識は、柳琴には通用しません。
最初は親指は疲れて当たり前、重くて当たり前くらいに思っていいものだと思います。
個人的に思うのは、やはり持ちにくい楽器です。
琴が傾いて落ちていかないように、あるいは親指が滑って琴の首が親指と人差し指の間に落ちてしまわないようにすることが、わたくしには本当に難しいです。
手の大きさ、手の形は人それぞれですが、自分の手が大きくて指が長いことをこれほど恨んだことはありません…
二胡とかはほんと便利な楽器ですよね。
手が大きかろうが小さかろうが関係ないし(千斤の位置調整で何とかなってしまう)、親指なんて力抜いてただそこに有ればいいだけだし。
綺麗な音色を出したければ、やはり琴は有る程度の傾斜が必要ですから、親指重くて当たり前。
(そのあたり、琵琶等とは違います)
【2010年11月9日追加】
確かに親指に全く負担がかからないというのはあり得ませんが、自分の身体に合ったちゃんとバランスの取れる位置や傾斜角度を把握すると、実は琴が急に軽く感じます…だから、これを読んだ方、すごく大変だからもう習うの諦めようと思う必要ないですよ。「柳琴きちんと持てますか5」でその経緯をお話します。
問題点1
で、重かったら、ポジション移動できないじゃんって思うでしょ。
でも、皆、ちゃんと移動してるんですよね、神業ですよね。
わたくしが正しい持ち方でポジション移動できない理由の一つ。
親指以外の指をすべて放して移動しようとするので、当然、親指だけの支えでは琴はバランスを失って傾きますから、琴を持っていられない。
解決策は、人差し指を線の上に保留して線の上をきちんと滑って移動すること(これ今まで、誰も指摘してくれなかった。。。)
問題点2
左手の押しが弱い。
柳琴触ったことのある人なら知っていると思いますが、線はかなりきつくはるので、最初は手が切れるんじゃないかと思うほど、痛いはずです。
よく、二胡初心者の方が、滑音とか手が痛いとかいいますけど、あんなもんじゃないです。
また二胡の場合、左手なんて力入れなくても音出ますが(っていうか、かなり力入れて線を押したらかえって音程上がっちゃってアウトだろ…)、柳琴の場合、まぁ力が弱くても音は出ますけど、本来の音ではありません。
もっと実のある音を出したければきちんと押さえましょう(汗)
孟憲洪先生は、かつてわたくしの膝にご自身の指を置いて、ポンポンとわたくしの膝を叩いて(セクハラじゃないですよ(笑))
「あなたの指はこんな程度の力でしょ、本当の音はこのくらい!」と指でドスドスと叩いてくださいました。
ゆう先生は、左手もっと鍛えようねとアドバイスしてくださいました。
まずは左手をグーに握って、パーにする、グーパーの50回繰り返を1セットとして、4セットはしましょうとのご命令。
器楽練習ってやっぱり体育会系なのですね。
ゆう先生が唯一褒めてくださったこと。
「あなた右手の問題はあまり深刻じゃないわね。」
ピックの軌跡をちょっと矯正したらずいぶんいい音になったから、その場所、忘れちゃだめよとのことです。
また、不思議なことをおっしゃいました。
「左手は基本的に技術の問題、真面目に練習すれば克服できるけど、右手は心の内側の問題があるから、ある意味、右手の方が難しい」
よく左手が音程、右がリズムって言いますけど、左が技術で右が心って言う例えは初めて聞いたなぁ。
レッスンメニューは本当に典型的な基礎です。
ドレミファソラシド、ドシラソファミレド レミファソラシドレ レドシラソファミレ…という音階練習を正しい姿勢で、正しい手型で行うこと。
その後、音階練習ばかりじゃツマンナイでしょうから、好きな童謡弾いてみるかってことで、「採蘑菇的小姑娘」を弾きました。
ゆう先生のご指摘。
わたくしは指使いが楽な方へ楽な方へ傾きがちなのですが、「線ごとに音色が違うので、できるだけ線を跨がず、音色の統一をこころがけて指法を考えなさい」とのこと。
ははは…そういうこと考えずにただ弾けりゃいいじゃん的に今まで弾いてきたからなぁ。
どっぷりと落ち込みモードです。
Posted in 柳琴 by , 2010年11月2日 11:57 AM コメントは受け付けていません。