いつか「考級」を受けたいなと思い、音楽院のなかにある書店へ「考級」の本を買いに出かけました。
だいたいの位置は知っているものの、行ったことがないので、フラフラとあっち行ったりこっち行ったりしながら、やっとたどり着きました。
「あ、あの建物、音楽院…コンセルバトワールって書いてある…」という方角だけを頼りに歩いていったので、正門ではなく裏口から入ってしまいました…
しかも今、工事中なので、変な立ち入り禁止のテープが張ってあるところをくぐりぬけ、まるで怪しい侵入者。
ほんと、総合大学ではないので、狭いのよ(そこら辺が北京大学等の総合大学とは大違い。ちなみにわたくしの母校(研究所)もなんじゃこりゃというほど小さかったが…)。
コンサートホール、練習棟、教学楼、図書館…あちこちフラフラしたけど書店が見あたらないので、最後の手段としてナナ先生に「書店どこですか…どこにも見当たらないです~」と間抜けたメールを打ったら、「正門の傍よ」とのお返事。
「あ?そういえば、正門どこだったんだ???」ということに気付き、自分がようやく裏から来たことを知りました。なんだ、ほんと正門の傍にしっかりあったわ。
ちなみに日本語の「裏口入学」という言葉、中国語にもありまして「走後門」といいまして、やはり裏口へ行くと言うのです(^^;
前置きが長くなりましたが本題…
北京の二胡考級の主宰団体といえば、おおむね、次の4つらしいです。
中国音楽家協会、中央音楽学院、中国音楽学院、中国民族管弦楽学会。
どこが偉いとかいうことはないらしいですが、「級の数と曲の配置には差がある」のは周知の通りです。一般的に中央音楽院が一番厳しいのではないかといいますね(試験そのものが難しいというより、難しい曲をマスターしたとしても、級が大して高くなかったりするので気分的に割にあわない???という意味かもしれない)
例えば、中国音楽家協会は10級が最高、中央音楽学院は9級が最高だけど、その次に「演奏家証書」という特別なレベルがあったりします。
「良宵」「賽馬」は中央音楽院だと3級だけど、中国音楽院では4級です。
こうなってくると、有名な曲がどこに配置されているのか知りたくなってくる…
「光明行」中国音楽院5級 中央音楽院4級
「月夜」中国音楽院6級 中央音楽院6級
「空山鳥語」中国音楽院7級 中央音楽院5級
「聽訟」中国音楽院7級 中央音楽院6級
「江河水」中国音楽院9級 中央音楽院6級
「秋韻」中国音楽院9級 中央音楽院8級
ちなみに中央音楽院の演奏家証書は「第一二胡狂想曲」とかそういうやつを弾かなければならないみたい。
う~む、ほんと級と曲の配置が違うんだなぁ…
中央音楽院の場合、器楽試験の3級以上に申込む場合、「音楽基礎試験」(音楽に関する一般教養?)の証書もいるらしいので、(器楽試験の1、2級受験者及び40歳以上は要らない)中国語が出来ない人は40歳になるのを待つしかないわな。もしかして、他の団体では必ずしもこういう試験証書が必要ないのかもしれない(未確認なので、受験を検討中の方はご自身で調べてください)。
4級以上に申し込む場合、必ず一つ前の級の証書がいるらしい(初めての受験又は本当に実力があって飛び級をする場合は、試験時に前の級の課題も弾かなくてはいけないらしい。
また、25歳未満は暗譜しないといけないらしい。
うーむ、歳をとっていて得したな。
でも、暗譜は自然にできるから優遇してくれなくてもいいんだけど。
考級の本以外には、音楽史みたいな本も買ってみました(ナナ先生には、「そんな試験勉強みたいな本、私達は嫌いだけど、あなたってほんとそういうの好きよねぇ…」と不思議がられました)
考級の補助教材DVD以外には、王国潼先生の演奏DVDも買いました。
あぁ…いつか、王先生みたいな「良宵」が弾けたらいいんだけどな…
Posted in 二胡, 音楽あれこれ by , 2010年9月15日 10:25 AM コメントは受け付けていません。
基礎固めということで、曲という曲は弾いておりません。
まず、D、G、F、A調の音階を第三ポジションまでひたすら弾いた後は、以下の音階練習をひたすら弾いて見ていただきました。
「二胡音階練習」王国潼 編著 人民音楽出版社
1、D調上把位音階摸進練習一
2、D調上把位音階摸進練習三
6、D調上把位音階摸進練習六
20、G調上把位音階摸進練習一
22、G調上把位音階摸進練習三
24、G調上把位音階摸進練習五
58、F調上把位音階摸進練習一
59、F調上把位音階摸進練習二
そして、新しい調としては、C調とB♭調を教えていただき、来週はD、G、F、A、C、B♭調の音階をすべて弾きましょうね、ということでレッスン終了。
実はF調はめちゃくちゃ音程がずれるので、最初に「先生ごめんなさい~練習したけどまだ把握できていない」と言い訳してから弾き始めました。
で、先生は、「『どんなにひどいんだろう』と内心期待して(?)聴いていたけど、なぁんだ、大してひどくもないわよ。あなたのいう『ひどい』は今度から信用しないことにするわ。ちゃんとF調に聴こえたから、許容範囲だよ」と寛容でした(^^;
なるほど、ちゃんとF調の上には乗っかっているから、OKってことですか…優しいなぁ。
このまま、もっと集中して音を聴いて練習し続ければ、もっとよくなるということらしいです。
「大人だから子どものように音程を把握できるはずもないだろうから、どうしたらいいんでしょうね」とのわたくしの問いに先生は、
「あなたの場合、音程合っているほうだと思うし、子どもだから簡単に音程概念が身につくかというとそうでもないと思う。ひどい子どもいっぱいいるし、結局は熱心に先生の言うこと聞いて練習するかどうかだと思う」
とのお返事でした。
ちなみに、「自分が今まで教えてきた学生の中で一番熱心で真面目だと思うし、ここまで速くすべての調を覚えちゃった人も珍しい」となんかほめられちゃいました…
好きだからやっているだけっていうのと、調は音程が比較的安定している別の民族楽器(笛子と柳琴)ですべてやったから、一応聴きなれているというだけなんですが…(^^;
でも、褒めてくださった後は、注意点もいろいろ…
長弓の時はちゃんと手首使っているけど、音階になるとかなり緊張している私の手首。
おそらく、音程に過敏になっているので、身体全体がこわばっていて、右手がおろそかになっていると思われます。
「いまのうちに、何を弾いているときでもリラックスできるように心がけましょう~」
というアドバイスをいただきました。
そして、最後はわたくしの心理的な問題点。
「あなた、謙虚なのはいいことだけど、必要以上に自信なさすぎ。私の生徒の小学生なんて、音階かなりデタラメでも自信満々。こういうのもよくないけど、あなたみたいなのもよくない。あなたが自信をもったらもっと音が変わると思う」
そうかもね…
「お前、自信なさすぎ」というのは、仕事や勉強等、分野に関係なく、どの先生にも言われてきたセリフなので、やっぱり今回もか…という感じ。
多分、親におもいっきり褒めてもらった経験がないせいかなと思う。
だから龍海先生(仮名。わたくしの一人目の二胡の先生)が、「お前、賢いね~もうここまでできるようになったね~」と褒めてくれるのがほんと嬉しかったな。(ははは、こんなおばはんになってから、そんな風に褒められたら普通はバカにしとるのかと思うものかもしれないけど。
「考級」というのは、グレード試験のことです。中国語で「考試」といえばテストのことで、「考」には確かに「考える」という日本語と同じ意味もありますが、中国語ではその意味よりも実力等を「試す」という意味が強い言葉です。
大人でも子どもでも純粋に「励み」として受ける方もいると思います。
また、外国人で受ける方は、将来、本国に帰った時に勉強したという証拠として残したいのかなと思います。
しかしながら、二胡の考級に関して思うのは、結局、X級受かりましたと言っても本当の実力は分からないのでは?ということ。
といいますのは…各校の試験によって、曲の配置が違いますよね…
譜面だけ見ると、ぱっと見ただけではさほど難しくなさそうなものがかなり高い級に入っていたりもします(おそらく、こういうものは、技術の正確性というより、表現力を評価するのでしょうか???)
それから、下記のような文章を読むとうーむ、と思うのです。
民族楽器の場合、西洋楽器の教育課程とは違って、まだ、きちんと体系化されてない、あるいは学者によって見解が分かれる部分が多いのかなぁ???
なぜ、考級教程は二胡学習の標準テキストとして使用すべきではないのか?
考級教程は考級活動の特徴に基づき、異なる難易度の練習曲と楽曲がこれに対応する級別に収録され、試験の要求を満たしています。それは、二胡教学の教程に基づいて編集されたわけではないので、訓練のステップ又は練習項目及び練習量のいずれから見ても、二胡学習の必要性を満たすことができません。もし考級の教程を二胡学習の標準テキストとして用いたならば、学習過程において訓練の穴を多く残すことになり、最終的に演奏レベルの「生煮え」状態を引き起こすことになるでしょう。このようであれば、たとえ考級教程に定められた練習を完成させて相応のグレード証書を取得したとしても、二胡学習者にとっては、意味のないことでしょう。
「二胡演芸」趙寒陽 人民音楽出版社 30頁
ちなみに、龍海先生(仮名。わたくしの一人目の二胡の先生)も似たようなことを言っておりました。
「単に証書が欲しいだけだったら、お前だったら、数か月で「良宵」、半年で「賽馬」くらい弾けるようにしてやるよ。でも、それだと多分、技術的に穴だらけになるし、その先の成長の見込みが全くないようないい加減な出来上がりになるんだよなぁ。そのあと、しばらく二胡弾かずにいたら、すぐゼロに戻るような感じ?結局、基礎からやり直さないといけなくなるだけだから時間の無駄かもなぁ。」
ははは、当時、半年で賽馬?ウソだろ、冗談きついよと思いましたが、「生煮え」でいいなら、器楽経験者など、可能な人もこの世に存在するのだろうなと思う今日この頃です(わたくしには無理ですが…)。
龍海先生も経験なくそんなことは言わないでしょうから、そういう要望に応えて速成させた学生さんがかつていたのでしょう、多分。
実際、系統的に練習してこなくても人前でそこそこ拍手をいただける舞台を務めることができるようになる人もいますよね。
でも、そういう人が音大の試験に通るのかというのはまた別問題なわけで…
例えば、趙寒陽が中学二年のとき、劉逸安先生(自分は文革のために上海音楽院の入学通知を取り消されてしまい、その後は自分の果たせなかった夢を弟子を育てることで実現しようとされた)に会わなかったら、多分、中央音学院の試験にパスするということはなかったのではないでしょうか。
それでまでの寒陽先生の先生はどうやら系統的に教えてくれる先生ではなかったようです。
寒陽先生が弾いた「良宵」「病中吟」を聴いて劉先生はまず「あなたの歩いている道は間違っていますね。このままだと、これで飯を食うことはおろか、有名になろうなんて夢のまた夢ですね。例えば、君が弾いた「病中吟」の外弦第一ポジションの1と2の指の間は半音ですか、それとも全音ですか?」とお尋ねになって、その質問に対して寒陽先生は「分かりません…」としか答えられなかったそうです。
参考:「二胡情縁」趙寒陽 中央音楽学院出版社 90頁
8歳から二胡を一生懸命習ってきて5、6年、皆褒めてくれるし、自分でもある程度のレベルはあると思っていただけにショックだったみたいです。
この段階で、矯正していなければ、今の寒陽先生は存在していなかったってことらしいです。このような話をきくと、正規の道を歩いてこなくてもある程度にはなれるけど、基礎をきちんと系統的に積んできた人とは大きな差があるんだなってことが分かります。
もちろん、わたくしは速成で曲を弾くことが悪いとは思っていません。
ちなみに中国の公園にいけば、そこそこ弾ける爺さんはごろごろいます(^^;
大人が系統的に勉強しても、今さら音大に入れるわけでもなし、別にそれで飯食うわけでもなければ、必死になってやってもしょうがないじゃんということもありますよね。
曲を楽しく弾いて皆で楽しめればいいっていう大人は多いはず。
大人にせよ、子どもにせよ、二胡を弾く目的が人それぞれ違うわけだから、自分の目的に合っていればいいわけですよね。
わたくしは、一生、弾き続けたいし、可能であればこの世のものとは思えない音に一度くらい出会ってみたいので、かなり無理をして、あたしバカよね~おバカさんよね~と思いつつ、地道に今日も音階練習をひたすらしております(別にこの歌を弾いているって意味じゃないですよ、念のため)。
また、何年か後、上手くなったら、可能であれば誰かに教えてあげたいので、そのための信用獲得手段として、証書は欲しいとも思っております。
D調、G調、F調の音階を第三ポジションまでひたすら弾きました。
F調は先週、初めてやったばかりなので、やっぱり音は狂いまくるし、先生も「だいぶよくなったよ~」と褒めつつ、「でも他の調に比べるとまだまだだから、がんばろうね」と励まされました。
さて、宿題はD調の練習曲(第一ポジションの1から第二ポジションの4まで長い距離を迅速に何度も移動しなければならない)でした。
あはは~音狂いまくり。
「どうにもならないほどひどくはないけど、あまり練習してないの?」とお尋ねになったナナ先生に「いえ、ちゃんといっぱい練習したんですけど、相変わらずなんです。音が狂いすぎるので、それを一々矯正すると先に行けず、つまずくかんじになっちゃって、練習しても、練習にならなかったんです…」とわたくし。
「う~ん、それは…それは…大変ね。来週も引き続き、練習していらっしゃい」とニッコリ言われました。
次はD調とG調を交互に弾く練習曲。
まぁ、難しくないので、とりあえずさらっと弾けました。
と思っていたのに…
「一小節、シンコペーションが変だったよ。自分の弾きたいように弾いちゃった?作曲しちゃだめよ~楽譜見ようね~」と注意されました。
そのときは、そういえば、シンコペーションは得意な方ではないから、リズム狂ったのかなぐらいに思っていたのですが、家に帰ってから復習しているときに勘違いしてずっと弾いていたことに気付きました(^^;
たまたま、前の小節の最後の音の音程がとりにくくて、それにいつも気をとられていたため、すぐ後ろの小節に関しては、眼ではちゃんと見ていても実際、全然見ておらず、弾きたいように弾いて、身体が勝手に記憶してしまっていたらしく、その後は、違うリズムだと思い込んでいるので、楽譜見ても、そういうように見えていたみたいです。家で落ち着いてちゃんと楽譜だけ見たら、全然、違っていました(わはは)。でも、わたくしの曲の方がリズムの流れがいいんだけどなぁ。。。
(ちなみに、翻訳業務でもそういうことがよくおこります。翻訳者自身は、そうだと思い込んで読んでいるので意外なミスに気付きません。だからチェッカーが必要なわけですが、チェックする人間も、時間や人材に余裕があれば、文法的角度から中日文を対照する人間、最後に原文を読まずに日本語だけチェックする人間のように、任務分けしないと、結局、ミスを発見できないものだったりします。)
人間って一度思い込むと、自分の見たいようにしか見えなくなってしまうのですよね~こわ~。
さて、新しい課題は、A調の音階です。そういえば、A調って他の楽器でやったことなかったな。A調の曲には、例えば何があるんだろう、全然思いつかないや。
そして、今回のレッスンから追加された任務は、王国潼先生の音階練習をこの先、ずっとやり続けることです。
まずはD調、G調、F調の基本的な音階練習が指定されました。
ナナ先生曰く「ドレミとかって繰り返しているだけだから、簡単だと思ってみくびっちゃいけないわよ!これがちゃんとできているかどうかで、成長が全然、違うんだから」
こわいですね…
確かに、これ、習って一週間の人でも簡単に弾ける譜面ですが、ちゃんと弾けるかどうか、は別問題ということなのでしょう。
ナナ先生、おすすめの音階練習方法を教えてくれました。
「暗闇で練習するといいわよ」
「え~」というわたくしに対してナナ先生は
「ちなみに、大学のレッスン室で電気つけずに練習する学生、たまにいるよ。見えなくても耳だけをたよりに弾けるっていうのかな、10分くらいやってみるといいわよ」とおっしゃる。
つまり手元を見るのはかまわないけど、それに頼りっぱなしはダメだということらしいんですね。
更に続けて、
「うちの大学のレッスン室には幽霊伝説がつきないのよね~暗闇から音がいつも聞こえてくるからなんだけどね。たまに帰るのが面倒くさくなって、そのままそこで寝ちゃって、朝一でまたレッスン室を予約する人もいるわね」
音大生って大変ですね…
Posted in 二胡 by , 2010年8月30日 11:10 AM コメントは受け付けていません。
まずは準備運動の長弓。
そして、D調の音階を第一から第三ポジションまで、果てしなく弾いた後は、第一と第二ポジションを使うD調の練習曲を先生に聞いていただきました。
「すごいじゃん、ちゃんと音程が合うようになってきたよね」
と褒めていただき、特に注意することがないから、同じような練習曲はもう聞かなくても仕上がりが分かるから、パスと。。。パスされちゃいました(^^;
え?聞いてくれないのぉ???とずっこけましたが、まぁ時間の節約だわね。
で、もともとナナ先生のレッスンは龍海先生不在の間だけというつもりでお願いしていたのですが、龍海先生が帰ってこれないみたいなので、このままナナ先生について行ってもいいですか~?とお願いいしました。
大人のレッスンというのは、多分、それぞれ目的が違うので、先生も進め方に迷うところでもあり、この先、どうしたいかという話になりました。
ナナ先生曰く、「あなた、意外に覚えが早いのでどんどん進めちゃったけど、この先、新しいことを詰め込むと、今までの基礎が崩れないか心配なのよね」
ナナ先生が何度も、「あなたはすごく意外な生徒だ」とおっしゃるので、なんかビックリ。
もしも、わたくしの飲み込みが早いと感じるのであれば、多分、先生の教え方がいいんだと思う(^^;
う~ん、龍海先生も同じようなこと言ってたなぁ…
自分で言うのもなんだけど、真面目な方なので、やれと言われたことは素直にやるので、どんどん先に進んでいってしまうんだな。
で、普通は1年くらいかけてやることを数か月で突っ走るので、基礎が固まっていないうちに上に積み上げると、崩れるのが心配なんだろうね。
「今の音程の感覚があるならビブラート教えても別にかまわないのだろうし、趣味でテキトーに1曲弾ければいいやっていうなら、それでもいいんだろうけど、でもなぁ」と、なんか歯切れの悪いナナ先生。
最終的に、やっぱ、しっかり弾けるようになりたいから、ナナ先生のやり方でビシバシやってくださいということになりました。
今まで暫定の学生だと思って遠慮がちだったナナ先生、多分、次回からは厳しくなるかもしれません。。。(あいや~)
そんなわけで、ナナ先生の教え方というのは、とにかく第一ポジションだけで固まってしまうのはよくないので、D,G F C B♭調、それぞれ第一から第三ポジションまでは自然に音階が早く弾けるようにすることが第一関門であります。
今の課題は、D G F調の音階です(第一から第三ポジションまで含む)
柳琴やってたこと、二胡でも役に立ちますね。
龍海先生が、何も考えなくても、すぐに転調できるように身体に叩き込め~っていうの、役に立っていると思います。
絶対音感がなくてよかったとも思います。
だって、Dの音がドだったのに、急にソになったりするわけよ。
絶対音感があったら、絶対に気持ち悪くなるだろうなと思う。
さて、わたくしは日中をよく往復します。
でも、二胡は1把しか持っていないので、その都度、二胡を携帯の上、移動することになります。
で、税関でよく言われるのが、
「演奏家の方ですか?」
「職業用の二胡なんですか?」
いえ…単なる個人の趣味でございます(^^;
普通、趣味の人は一週間くらいの帰国なら二胡を持ち歩かないでしょうね。
単に普段の練習量が足りないので、何が何でも肌身離さず持ち歩き、暇があったら弾いている、それだけのことでございます。
売買するわけではなく、あくまで個人の所有物として手荷物で持ち歩く分には、日本の通産省でCITESを申請するとかいう面倒くさいことはせず、日本の税関で「外国製品持ち出し届」を出して出国し、帰国時にその届出を税関に見せてパスしております。
(もちろん、最初に北京から東京へ持ち出した際には、北京の林業局にCITESを申請しております。)
ところで、二胡のケースの長さって、多分、航空会社の規定によれば、本当は持ち込みアウトなのでしょうね。
実は北京から東京に行くときは、航空会社のお姉さんに何も言われないのですが、日本の国内線や東京から北京にも戻る際には、いつもサイズを測られ、「上に入らなかったらお預かりになるかもしれませんので、その点、ご了承ください」ときつく念を押されます。
(「いつも上にいれて問題ないんだけど…」と説明するんですけどね)
おっそらく、横に入れるしかないため、飛行機が満席状態のときは、他の人の荷物とかが入らなくなることを心配するのでしょうね。
今回は、ウェブ予約した際に指定した席ではなく、チェックイン時に「隣が空席になっている席を案内させていただきます」と言われました。
職業でもないし、上手くもないのに、楽器を持ち歩くって恥ずかしい。
でも、そうまでして持ち歩いていないと練習のしようがないから、しょうがないんだけどね。
でも、この方法は、日中の往復では通用しますが、中国から日本以外の国を経由して日本に戻るということはできないと思いますので、お気をつけてくださいませ。
いっそ、ワシントン条約にふれないように、人口皮を使用するというのも手でしょうね。
Posted in 二胡 by , 2010年8月19日 8:20 AM コメントは受け付けていません。
帰国中(来日中???と友人に言われてしまった)は、レッスンが受けられないので、ナナ先生に無理を言って、補講をしていただきました。
飛行機が予定時刻通りに北京首都国際空港に着けば、その足でレッスンに行くという約束。
あいかわらず、ポジション移動に関する練習曲を弾いております。
(この点は、別に書くことないので省略)
ところで、皆さんはどんな琴弓をお使いなのでしょうね。
最初に二胡のおまけでくっついてきた琴弓は「柳氏琴弓」というシールが貼ってあって、廉価品のようでした。
龍海先生は、「この琴弓は使いづらいなぁ、俺はもっと弾力性のある弓じゃないと弾けねぇや」とブツクサ言っていました。
次にお試しで買った弓は陳保田先生の琴弓の比較的、いいもの。
この弓が好きって人もいると思いますが、わたくしはちょっと…なんつか、ずしっとくる感じで、疲れるかなって感じ。
光舜堂さんにお邪魔したとき、「弓はいいのを使ってるよね、これいくらしたの?」と聞かれました。
ははは、確かに中国の普通の楽器屋にいけば、高いお値段のコーナーにある弓ですが、店主と顔見知りなので、ボーダーラインまでオマケしてもらったため、実はそんなに高いお値段ではありません(^^;
日本で買えば当然、1万円以上してしまいますが…(わたくしの買値は内緒)
そして、今回から使用している琴弓は、ナナ先生おススメの琴弓。
ちまたでは売っていません。
なぜなら、中央音楽院の先生とか生徒が注文で作ってもらう弓だから。
弓をお作りになっている先生のお名前を伺ったところ、ナナ先生ご自身も
「私の先生から紹介してもらっただけで、皆がいつも“李先生”と呼んでいるので、そう呼んでいるだけで、フルネームは知らないわぁ。この道何十年のすっごいお爺さんなの」というお返事。
あはは、アバウトだな。
でも、この弓は中国人の物価感覚からすると、ちょっと高いので、趣味でやっているという中国人だと、必要ないねと思う人もいると思う。
で、持ってみた感想は、「超軽い…ふわんふわんとした弾力性」。
イメージはふわふわイチゴショートケーキだ…持っているんだか、何だか分からないくらい重量感が感じられない(もしかすると、陳先生の弓の重量感になれていたせいかもしれない)。
ナナ先生いわく「あなたは、最初から普通に弾けちゃったけど、私の学生の中には、初めてこの弓に換えた時、全く弾けなくなる子がたまにいるわ」
「これは力を抜かないと弾けない弓だから、いい練習になると思うよ」ということです。
そんなわけで、1ヵ月しか使用してないない陳先生の弓は、早くも休職状態。
もったいないから、誰かほしい人が周囲に現れたら、お譲りすることになるでしょう。
光舜堂千斤(金の糸)
帰国中、前から行ってみたいと思っていた二胡屋さん、渋谷の光舜堂さんへ行ってきました。
一応、名目は二胡の琴軸をすべりにくくするための、講座受講ということで。
「入りにくそうな雰囲気だったら怖いなぁ」とか、「習い始めて数か月だから恥ずかしいなぁ」とか、いろいろ不安だったのですが、親切にいろいろ教えた頂き、楽しかったです。
ところで、噂の西野さんがおつくりになっている二胡を弾かせてもらいましたが、ほんと不思議な感じがいたしました。
わたくしが「不思議な感じ」としか言わないので、西野さんは「別の言葉で表現してよ」とおっしゃる。
(そら、そうですよね、美味しいとしか言わない食べ歩き番組のバカレポーターじゃあるまいし、ちゃんと言葉にしてほしいですよね(^^;)
この不思議な気持ちは何なのだろうと一生懸命考えた末に出てきた言葉は
「この二胡、アイスクリームみたいですね…」(おい、おい)
何と言いますか、アイスクリームがスッと口の中で自然に溶けるみたいな感じなんですよ。
まず、初心者に優しい。おそらく、習って数日のど素人が弾いてもいい音がすると思う。
音の立ち上がりが早い。
音の伸びがいい。
例えば、ビールとかだと子どもが飲んでも美味しくない。
何年も経って大人になって、あぁ美味しいと思う人もいる(わたくしは、未だに美味しいとは思えない)
例えば、せんべいとかだと、がしがし噛まないと飲み込めない。
歯がないと食べるのが辛いだろうな~
でも、アイスクリームは、口に入れるだけです~っと溶けて、しかも甘い。
誰でも弾けば、もれなく幸福な気分になれる。
そういう二胡だなぁと思いました。
見た目(形とか)は正直、あれ、中国の二胡とちょっと違うなぁと違和感を感じるかもしれません。
千斤とかはキラキラしていて可愛いですよ。
素材はポリエステル線だとか。
わたくしがよく使うのは、魚釣りに使うポリエステルの編み糸なので、素材的に自分がいつも使っているものと大差ないと思い、千斤を光舜堂さんの千斤に変えてみました。
かわいい~
ちなみに、二胡の軸の削り方は、まだ自分の二胡には試していません。
とりあえず、初代柳琴の琴軸2本で試してみました。
ちょっと、失敗したんで、あまり効果ないかも(つーか、もともと歪んできているので、もう、どうしようもないかもなぁ)
残りの2本で練習したら、自分の二胡にも試してみようかと思っています。
先週のレッスンの記録をなかなかアップできませんでした。
つーか、大して進歩していないので書きようがないのですが…
ポジション移動どうしようもなく音程狂いまくりますね。
びくびく弾いているわたくしにナナ先生「怖がらなくてもいいのよ、皆、最初はそんなものなんだから」と励まされ。。。
「あたしなんて、子どもの頃練習してた時は、ぎーぎーという音を出してたし、音程も狂っていたけど、本人はそれに気付いていないほど、ひどかったものよ、近所の人がうるせ~ってよくドアを叩いたものよ」
とナナ先生はおっしゃるのですが、ホントかなぁと思います(^^;
「あなた、きっと何か別の楽器をやったことがあるので、音程の狂いに敏感なのね」と言われましたが、そうでもないのですよ。
絶対音感まるでゼロ。
初見で歌わせたら、全然、違ってるし。
正確には「音程が狂っている」と他人から厳しい指摘を受けることが怖いのだと思います。
コンプレックスってやつですかね。
子どもの頃、皆がエレクトーンで合奏しているところへ、「じゃ、游鲤ちゃんは、トライアングルお願ね」となってしまい、自分が下手くそなことが超悲しかったものです。
でも、今になって考えてみると、数人のエレクトーンは一人が間違っても、お客さんは気付かないけど、一人のトライアングルがリズム外したら、相当、聴き辛いので、箸にも棒にも引っかからないほど、ダメな子という程でもなかったのだろうけど。
ナナ先生との二回目レッスンです。
さっそく、ボーイングの訓練。
前回は、上腕がほとんど動いていなくて、矯正していただきました。
そして今回は
「前回より上腕は良くなったけど、まだ、手首が硬い。少々自分でも大げさすぎるかなと思うくらいでちょうどいい」
とのことで、手首に注意して何度も開放弦の全音符弾きまくりました。
最後はナナ先生、「そうそう、とぉ~っても上手!その調子で次回もれんしゅうしていらっしゃ~い!」と言ってくださいました。
先生、ほんと、褒め上手ですね(^^;
開放弦ばっかりを音色気にせず、とにかくフォームだけ気にして弾きまくるという行為は、きっと傍で聴いている人は「何、この騒音!」と思うだろうなぁ。
でも、こういう練習、本人は人が思うほど「ツマンナイ」とは思ってないんですよ、実は。
わたくしは基本的に楽器そのものの音色を聴くことも好きなので。
ところで、日本ではどうなのか知りませんが、わたくしの二胡の先生は、龍海先生にせよ、ナナ先生にせよ、自分の二胡をレッスンにお持ちにならないんです。
お手本を見せてくださるときは、「ちょっと貸して」とわたくしの二胡で弾きます。
同じ楽器で、同じように「ドレミファ」と弾くだけなのに、弾き手が代わると音もちょっと変わるものですね…
自分の音は自分の声と同じで、発している本人が聴こえる音と、外部マイクなどで録音した音には差があるのはともかく、龍海先生とナナ先生も音が違うね。
もちろん、ビブラート等の技術を附加せず、とにかく、適当に弾くだけでも違う。
ナナ先生はやはり若い女性らしい「美女~」な音がする。
龍海先生の音は基本的にほんと「音楽って超楽しいねぇ~~~」って音がする。
もちろん、弾いている本人の表情がわたくしに与えるイメージというものがあって、それがそういうふうに聴こえさせている部分もあると思うけど、それだけでもないような気がする。
やっぱ、その人の人生が音にあらわれるんだろうか…(こわ…)
わたくしの音って他人にはどう聴こえるのだろう(^^;げろげろ。
さて、次はポジション移動の練習。
「あなたは頭で考えすぎて、必要以上に大層なことをすることのように、気負うから上手くいかないだけで、気楽にやれば、全然大したことじゃないのよ~」と励まされ、何度も「ソラシドレミファソラシド」と上下、繰り返しました。
どうも音程の狂いが気になって気になって仕方がない。
それを見かねたナナ先生は、とりあえず、最初は音出さずに、左手だけ正しい動きをするように、上下に動かしてみなさいとのアドバイスをくださいました。
「普通は上から下よりも下から上へ行くときの方が上手くいかない子が多いと思うけれど、あなたは反対みたいね~」
と言われました。
下へ滑りづらくて、必死に肩までつられて下がってしまい、見ている方は、わたくしがかなり苦しそうに見えるみたいです(汗)。
絶対音感は全くないので、音程の狂いにさほど敏感ではないはずなのですが、音が狂うことに対する恐怖心が人一倍強いため、ぴったりの位置に動かさなければ、との焦りが強くて、必要以上に力が入ってしまうようです。
「慣れるまでは大変だけど、慣れればどうってことない技術だから、気楽に構えなさい~」
と励まされました。
そして、中国人の好きな言葉の一つ「没問題~」と何度も言われました。(訳せば、大丈夫、大丈夫という意味です)
「とりあえず、今の時点では、自分で思っているほど悲惨な状態ではないし、何とかなっているから、このまま練習していけば、大丈夫、大丈夫~」ということなのです。
さすが、先生、励ますのがお上手というか、生徒にやればできると思わせるところがすごいわ。
余談ですが「大丈夫~」は、ビジネスで契約の交渉時などに中国側にこう言われても、簡単に信用すべきではない言葉です。
悪意で言っている場合はもちろんのこと、悪意がなくても基本的に中国の人は楽観的ですからね。
何が起こっても何とかなるさ~という、良い意味で前向きな人が多いです。
往々にして日本人は、悲観的で細かすぎるので、あまり細かいこと気にする前に「大丈夫、大丈夫」とおおらかに練習していれば、いつか本当に「大丈夫」になっていたりするのかもしれません…
ははは…
さて、最後に気になっていることの一つ、演奏する姿勢について尋ねてみました。
今日、先生は「ちょっと貸して」とお手本を見せてくれるときの姿勢が足を組んだ姿勢だったので
「先生は、だいたいいつもそういう姿勢でお弾きになるのですか?」と聞いてみました。
先生はちょっと恥ずかしそうに、「あ、ごめん、ごめん、今日はちょっと気楽にしすぎてた。正しい姿勢はこうあるべき」と脚を組まない姿勢を見せてくださいました。
実際には舞台ではいろいろなパターンがあるし、先生や兄弟弟子を見ていても個人差はあるとおっしゃっていました。
「膝をくっつけるのは、力が入ってよくないから、膝の間は普通、開いちゃうし、だから舞台で座って演奏する時は女の子は普通、長いスカートをはくかズボンよね」とおっしゃっていました。
いつも思っていたのですが、日常生活でも中国の女の子はよく大股開けて座ってたりします。
日本の女の子は多分、子どものころから、はしたないと叱られることが多いせいか、膝をくっつけがちですよね(若い子はどうか知らないけど)
そして、日本人は多分、舞台でチャイナドレス着るの好きですよね。
(わたくしは普段着に木綿や麻のチャイナドレスをよく着ています)
でも、これ着ると大股開けて座れないから、二胡を置く向きが若干変わるはずです。
滑りやすくなる感じもしますね。
ついでに言うと、柳琴を持つときも、チャイナドレスだと持てませんよ(^^;
それから、太もものスリットがかなり気になるし…
だから、NHKの教材でチェンミンさんの足元が日本人女性っぽい感じがするのをみたとき、弾きにくくないかと思ってしまいました。
慣れの問題なのかもしれないけど。
わたくしは、家で二胡を練習しているときは、短いスカートをはいていても、結構、股開いてます(^^;
人前、特に男性、例えば龍海先生にレッスンしてもらっている時なんかは、なが~いスカートを穿いてました。
中国のオケの制服とか、大抵は上だけチャイナカラーの服で、下はロングスカートよね。
男性は大股開けて豪快に弾けるから羨ましいなぁ。
Posted in 二胡 by , 2010年7月22日 8:30 AM コメントは受け付けていません。