Category: 二胡

二胡LESSON68

あいかわらず、ドミソ、ミソド ソドミ~という練習を繰り返してしております。
で、相変わらず、音程が狂うのですわ。
まぁ、半音狂うとまではいかないのですが、楽器経験者なら狂ったとはっきり自覚できるでしょうという感じで、自分で分かっているときは直すのですが、直すのに1秒かかれば他人に分かっちゃいますし~
何か別のこと(例えば弓の方)に神経がいっていると、音程狂ったことに気付いていないときもあるし(汗)

ポジション移動した時の音のアクセントがきつくて自然ではないので、そこをまるでポジションなんて移動しなかったかのように自然につなげて弾くことを目指すように言われました。

さて、最近私はナナ先生の自宅に行ってレッスン受けてますので(今まで紹介者である友人が開いているピアノ教室で習っていました)、二胡をかたずけている間に、次の子のレッスンをちょっと聴くことができました。
小学生?中学生くらいかな?
私、素人の初心者の他人の音を生で聴く機会ってないんですよね。
普段はコンサートか音楽科の学生が練習している音しか聴けない。
感想は、「皆、最初は上手くないんだね」(って当たり前のことですが…)

まぁ、彼女の10年後と私の10年後は差が出ちゃうのは、こればっかりは、相手は人生の上り坂でこっちは下り坂なんだから、しょうがないでしょうけど…

次回の課題は、「良宵」です。
これは1年前に習った曲だし、時々思い出したように部分的に遊びい弾いている作品ですが、
ナナ先生曰く、徹底的に音階練習した後(つまり現段階)で弾くと、当初弾いていた頃とはまた違う発見があると思うよとのことです。

二胡LESSON67

「やっぱり練習不足だと思うよ」

とは、よく先生がレッスンの最後に言うセリフのような気がします。
別に私に限ったことではなく、私のレッスンの前の生徒さんも言われていたりしますね。
う~ん、これを専門に勉強している人に言わせれば、一日1時間や2時間は「練習」のうちには入らないんでしょうね~
でも、私には今は一日一時間くらいが限界…今は朝から晩まで三弦三昧なのでこうなってしまうのだけど。
ナナ先生には「あなた真面目なタイプだから、二胡に身が入っているときの進歩は凄く速いけど、この頃は別のことに集中してるから、なかなか二胡が前に進まないのよね。気持をもう少し調整してね」とズバリ指摘されてしまいました。

相変わらず、ドミソ、ミソド ソドミ~」を繰り返す訓練なのですが、特に高音から低音に下がっていくときに音程が合いにくいのよね(^^;
「あなたは自分で音程外れるたびに、落ち込む性質なのよね。音外しているのに自信満々でどんどん先へ弾いていく子も大勢いるから、それはそれで長所ともいえるわけだけど」と変わった励ましの言葉をいただきました。

【余談】
さて、最近、先生のお友達があるテレビドラマで主役をされて人気が出てきたそうで
「う~ん、この間までフツ―の子だったのに、この世界、明日は誰が人気者になるのか分からないものよね」と感心していらした。
確かに、音楽や演劇、舞踏なんかをやってる子は、大学に入った時点で完成品同然なわけで(場合によっては十代で職業演奏家や女優だったりするわけで…)、技術はあるのが当たり前、後は、美貌や財力、人脈や運が作用して、いつ社会的に認められちゃうか分らないってだけのことだもんねぇ…

ところで、ナナ先生は昨日まで、オケに借り出されていたそうで、今帰ってきたところだと言っていました。額にいっぱいの吹き出物があるので
「お疲れなのでしょーか」と聞いてみたところ
「コンサートってメイクさんがメイクしてくれるでしょ、そのあとはいつもこうなるの…」と泣き笑い。
う~ん、肌に合っていないのか、舞台メイクは厚化粧過ぎるのか?

さて、もう、くどいくらい言及している音程問題ですが…
結局、ナナ先生いわく
「二胡という楽器の性質上、どうしようもないことなのよねぇ」ということらしいです。
ナナ先生に言わせるとオケの中でも、最初から最後まできちんと合ってる人って案外少ないのよとのこと。
どんなに練習しても合わない時もあるし、プロだって合ってない時が多々あるわけで…(素人に比べりゃその回数と誤差が少ないだけ)
しかも、もっと言えば
「音楽って抽象的なのよね。人の目に見えないしね、感覚的なものだし。だから、大きな枠の中で音程が合っていて、それで表現が邪魔されなきゃいいわけよ」ということらしいです。
プロの領域でも、結局、死ぬまで音程問題に悩まされるわけですね。
素人の私が、多少狂って嘆いている暇があったら、もっと練習しろよってことですね、ハイ。

二胡LESSON66

二胡の練習はしばらくの間、ちょっとペースを落とすことにしました。
理由は時間がないから。
時間はそこにあるものではなく、自分でつくるものだけど、一日は24時間しかないし…
私は一人しかいないし、腕は二本しかないし、指は10本しかないしねぇ…
足も使えばいいのか?

「私が千手観音だったら、いろいろできるのにな~」と友人に言ってみたら、
「いくら手がいっぱいあっても指令を出す脳が1個じゃ無理だよ」とつっこまれたので、
「ヤマタノオロチみたいに頭もいっぱいあればいいんだね」と突っ込み返したけど、
「頭と手がいっぱいのあんたがいろんな楽器を一度に弾いてたらキモい…」と呆れられてしまった。

相変わらず、音程がひどく狂っている。
いつになったら分かるんだろう…
完全5度のドとソ(開放弦)も、ナナ先生に「微妙にドが低い」とか言われても、正直私には分からないんだよね~
チューナー見てもだいたい合ってるわけだしね(こういうところが、三味線やバイオリンだと他の弦と上手くハモるので、どんぴしゃりに合わせられる点、悩まなくてもいい)

前の松脂がなくなったので、別の松脂に換えてみたら
「なんか、ちょっとザワつかないかなぁ、やっぱ前のに換えたほうがいいよ」と言われたけど、
正直、私には音色の違いが分からない…
ようするに鈍感なんだよね。
あと10年も修行すれば分かるようになるのか、もうこれは、どうしようもないのか…
ほんと、嫌になってくる。
私がこういうジメジメした性格なのをナナ先生は分かっているので、あわてて励ましてくれたけど(笑)。

子どものころから、音楽やってた人が超羨ましいし、妬ましい…
う~ん、精神的によくないね。
楽しくできないんだよな、性格的に。
もちろん演奏家や教師は舞台の下では楽しくやってないだろうし、素人の私が真剣になる必要もないし、何十年も苦労してきた人を妬ましがってもしかたないのだけど。

二胡LESSON65

え~冬休みに津軽三味線ばかり弾いていたので、二胡の練習がおろそかになっておりました。
よく、一日練習しないと自分に分かり、二日練習しないと先生に分かり、三日練習しないと聴衆に分かるといいますよね。
ナナ先生には言わなくてもばれちゃうだろうと思い、レッスン前に先生が「最近どう?」と聞いてきた時に、正直に練習不足ですと自己申告してしまいました。
う…なんて不真面目な生徒だろう(冷汗)

ナナ先生、そんなに怒らなかったけれども、
「忙しくて練習できない時は、少しの時間でもやりくりして、基礎練習だけはしなさいね」ときつーく釘をさされました。
基礎練習というのは、「長弓」「音階」ですよね。
ただ弓を引いたり押したりするだけの「長弓」は通常ツマンナイと感じるものですが、結局、これに始ってこれに終わるのですよね…
二胡を習う時に初めて習うのもこれだけど、ある程度弾けるようになって先生やってる人でも、練習の始りはこれからで、しかもかなり長い時間、これをし続けるといいますものね。
実際、これを見せてもらうと、その人がどのくらい上手いか想像つくし…

今回の課題は苦手なアルペジオ。ドミソドミソド~とかレファラレファラレ~という旋律がたどたどしくて綺麗にいかないのよね。だいたい音程はあってるけど(あくまで大体であって、弦楽器奏者が聴けばズレてるでしょうけど…)

【余談】
友人から、友人の友人が行ったという中央音大の楊雪先生のコンサートの目録パンフとCD(非売品)を頂きました。
そのパンフには、中央音大のそうそうたる先生方が楊先生に送ったお祝いの言葉が印刷されているのですが、さすがに教養高い中国人はお祝いや励ましの言葉も漢詩みたいなわけで…

印象深かったのは「琴随人意 功在弦内弦外」と書いてあったこと。いろんな訳し方が出来ると思いますが、
「琴(楽器の総称なのでここでは二胡の意)は志にともない、技は弦の内側と外側にある」
という感じかな?
個人的にもっとかみ砕けば多分こんな感じ?
「あなたが奏でる二胡の音はあなた自身の志(願望、想い?)の表れであって、技術の習得は弦の上で行う以外にも、弦(二胡や音楽)以外からも得なくちゃいけないよ」
まぁ、これを書いたご本人に聞いてみないと正確には訳出できませんが、器楽の先生方がよくいうセリフなどから私が推測してみた次第です。
違ってたらごめんなさ~い!

二胡LESSON64

師走…忙しくて二胡レッスンメモを書く暇がなかったのであります。
今年最後のレッスンからもう数日経過してしまっている…

ナナ先生もわたくしも教室まで片道1時間半くらいかかるのですが、ナナ先生はもうすぐ試験なので、この大事な時期に往復3時間も無駄に出来ないという事情もあって、今回1回だけは教室にいかず直接、先生の家で教えてもらっっていいかと教室に許可をとりました。
教室っていっても、ほとんどの生徒がピアノを習いに来ている子どもで、事実上、単に仲介してもらったとうようなところなんですけども。

今回、実際にナナ先生の下宿先に行ったわけではなく、ナナ先生の母校に行きました。
どこの大学でもそうだとおもうのですが、原則、外部者を琴房に入れちゃいけないわけだけども、そこは、まぁ、テキトーにごまかして、某大学(過去の投稿見ればどこか分かるか…)のレッスン室で教えていただきました。
レッスン室ではよそのレッスン室の音はあまり聞こえないのですが、一旦廊下に出ると、廊下にいる人間にはレッスン室の音はものすごく聴こえるんですよね。
恥ずかしいよなぁ、とんでもない音が廊下に響いているのって(副科の楽器でも皆こんなに下手じゃないよな、きっと)。
音大だから当然なんだけど、いっぱいレッスン室あるのね~
わたくしが今いる大学は「音楽科」もあるっていう芸術系の大学なので、こんなにたくさんの琴房はないんだよなぁ。
楽器の音が聴こえるというよりは、毎朝、グランドから歌声と発声練習が聴こえてくるわけで…

課題は相変わらずの練習曲と「光明行」、そして「燭影揺紅」であります。
ナナ先生に「燭影揺紅は光明行よりも、アナタ向きかもね。ゆったり綺麗な曲だし、のちのち、あなたの十八番にしたらいいと思う」と言われました。
そお?
むふふ、ナナ先生、その気にさせるのが上手いなぁ。そう言われると、何だかモーレツに練習したくなってきた。

帰り際、「こんなこと言っても、どうしようもないのかもしれないけど、薬指の独立性がイマイチで、どう訓練しても小指に力が入ってしまって…」と言ってみたら、「薬指の力が足りないのは、わりと皆そうだし、薬指だけで無理して抑えようとせず、手のひらも上手く使えばいいわけよ」とナナ先生。
そして、ナナ先生に腕を掴まれ(?)薬指と手のひらの力でうにうに押されました。
やっぱ、可愛い顔して、中身はすげー力だな(^^;
いろいろ指の独立性の運動をしてはみるものの、速く動かないんだよねぇ(くすん)。

二胡LESSON63

音階練習

相変わらず音程が安定しないので、今回は細かくチェックされました。
わたくしには音程を気にし過ぎる嫌いがあるので、音程が狂っていても「多少」の狂い程度ならナナ先生は普段は何も言わないのですが、今回はちょっと厳しく注意されました。

分かっちゃいるのですが、なかなか…
ポイントはポジション移動した時の頭の音に気をつければ全体的にわりと安定する。
つまり、D調で外弦であれば、5671のDの音と高音12345のAの音を絶対に外さないことですね。
音が上がっていくときはわりとあっているのですが、音が下がっていくときは、自然法則に逆らって腕などを上に引き上げるわけですから、おのずと上がりきらなくて、音程が高めになってしまう。
まぁ、これは初級者にありがちな現象なわけですが…
指と指の間隔も、音を上げていくときに、だんだん狭くしていくのは簡単ですが、音が下がっていくときに、指の間隔を拡げていくのはなんだかちょっと不自然でうまくいかないわけで…

ところで、ナナ先生は基本的にレッスン中「お話」が占める割合がとても多いです。

「どの楽器の習得でも同じことだけど、みんな体力とか練習時間とかが大事だと思いこんでいるけど、実際は頭を使うべきなのよね」

「とにかく、子どもに猛練習させりゃいいとか思っている保護者も少なくないし…」

「よく、ニ胡をマスターするのに最低何年ぐらい必要かってみんな聞くけど、ナンセンスだわ。頭を使って練習すれば、7年も8年もいらないんだから」

「才能がないとダメなんじゃないかとか言うけど、そういうことが問題じゃないのよね。三、四歳からやってる人は手や頭が二胡を弾くために有利に成長するから、便利には違いないけど、成長していく過程で、結局は調整していかなくてはならないわけで、それは大人になってから勉強した人には分からない苦労ってものもあるのよ」

というようなお話をしてくださいました。

ところで、確かに普通の人は「才能がない」ことを諦める言い訳に使います(笑)。
ナナ先生のすごいところは、「どんな人間にも上手くなれる可能性はある」ことを本気で信じさせてくれるところなんですよね。
ものすごい説得力というか迫力があって…
多分、先生ご自身も本当にそう信じているんだと思うのですが、教師としてそうみせているだけだとしたら、ものすごい演技力だと思う。
大人は下手に褒めると「先生は励ますために無理して褒めてくれてるんだよね」とか考えちゃうわけですけど、ナナ先生は励ましてもくれるし、ものすごく細かいことを注意もしてくださる。
ナナ先生が宗教家じゃなくて良かったと思う(^^;
いろいろな器楽の先生がいるけれど、大抵は「希望はある」と口では言いながら「やっぱ無理かな」っていうのが顔に出ちゃうんだよね。

ところである事例を引き合いに出して、「人を感動させる力というのは、最低限の技術は必要だけど、技術以外の“心”の距離が問題」ということを話してくださいました。
事例というのは、中央音大の周海宏先生(音楽教育、音楽美学、音楽心理学がご専門で元はピアノ、作曲がご専門の先生です。著書を読むと面白いですよね)の講義の話。

あの有名なチェロのヨーヨーマの演奏と学生の演奏(同じフレーズ)を皆に聞かせます。
「これヨーヨーマの演奏」(皆、ほぉ~とため息)
「これ、うちの学生ね」(皆、ちょっと、くすっと笑う)
その後、演奏者の名前を出さずに別のフレーズを皆に聞かせて、今の2つの演奏のどっちがよかったというアンケートをとったところ、学生の演奏の方が勝ってしまったのだそうな。多分、学生の演奏の方が「心」の距離が近かったのだろうというようなことだったようです。
結果を聞いた学生は唖然としたそうですね。だって、巨匠の演奏はすごいはずだという思い込みがあるものね。
そんなわけで、実際に心を動かされる要素というのは技術だけじゃない、ということだそうです。
確かに、どんなに早く指が動いても「へぇ、すごいね~」というだけで、「心」がなければ「すっごくよかった~」という言葉は出てこないような気がする。

「そういうわけで、あなたの場合、“心”をまず前にもってきて、音程とかリズムは無視しちゃいけないけど、後ろに回しちゃってもいいと思う。自信持って弾かなきゃ」
というお言葉をいただきました。

先生はそろそろ、院試の準備に突入するため、今度はいつレッスンしてくれるか分らない~先生の合格をお祈りする今日この頃でありました。

二胡LESSON62

中央音楽学院海内外考級曲目1-6級
110頁 総合練習

楽曲
「光明行」

相変わらず、新しい曲にはいかず、徹底的にこの二つを極めよう、そういうことでございます。
全く二胡を知らない人がわたくしを見たら、「まぁ、お上手ね」と思うかもしれませんが、ちょっとかじったことのある人が見たら、「なってないわね」という感じであります。

内弦と外弦を速い速度で交互に変える時なんて、もうひどいものです。
ゆっくりのときは、そうでもないんだけど。
特に外弦に換えるとき、弓の竿がガクッと落っこちていく感じ…
「親指をもう少し左に寄せてみると、上手くコントロールがきくかもしれないよ」とのナナ先生の助言を受けて、弓の持ち方を少し調整しました。
「コントロールすることと力を抜くことは矛盾しているように感じるかもしれないけど、全くコントロールしていなかったら、あなたみたいにガクッと弓が転んでいくだけだから、親指と中指をもう少し意識しないと…」とナナ先生。
まぁ、今までは確かになすがままに、換弦していたから、コンマ何秒かのズレが生じていたわけで、それの改善スタートです。
人の手なんて千差万別、手の大きさから指の長さまで、そりゃ様々で、ある大御所の手の恰好をそのまま真似たからといって、誰でも上手く弓を操れるとは限りませんが、基本形があって、その基本形をもとに、ある程度、自分のコントロールが効きやすい微妙な調整をしていかないといけないわけです。
ナナ先生も「ある程度、これだけは守りなさいっていう規則はあるけど、感覚的なものは自分でつかむしかないのよね」と冷めた表情…
まぁ、そりゃそうだ、指の感覚は、言って分かるものでもなく、練習過程で自分で感じ取るよりほかにないんだもんね。

「換弦したことを感じさせないように、換弦する」これが最近の課題です。
開放弦で、なめらかに換弦できるようになったら、左手を加えて弾いてみる。
もし、左手が入った途端に滑らかでなくなったら、また開放弦での換弦を繰り返して、感覚を戻して、また左手をたす、その繰り返しです。

「光明行」
9小節目の333のアクセントは澄み切った音が出ないし…
音の立ち上がりは速く弓を引いてすぐに弓の速度を落とすと音がくっきりと出るそうですが、相変わらず、音程狂うので、おもいっきり弓が引けなかったりして(^^;

18小節目232121231 の十六分音符は、どうも惰性で指が転がるので、薬指が入ると、微妙に均一な十六分音符でなくなるのよね。こういう場合は、もう、ゆっくり一音ずつ弾いて、だんだん速度を上げていくしかないわけで…

29小節目 26 は音程がどうしても低くなるので、思い切って高い音にもっていこうとすると、今度は半音高くなる…なんでほどほどに高くならないのかねぇ

109、110小節 これも十六分音符で、弾けることは弾けるのだけれども、やっぱり、どうも均一な十六分音符ではないのよね。

右手にせよ左手にせよ、頭では、コンマ何秒か均一でないことがわかるだけに、頭のイメージ通りに動かない指が憎たらしくてしょうがない…

【余談】
ナナ先生から、胡桃とか木の実をいっぱいもらった。
先生の外地の生徒が先生へのお土産として持って上京してきたらしい。
外地の子どもが北京の音大附属を受けるための準備とか、外地の先生が勉強のためにとか、北京の先生を訪ねてくるわけだけど、そういう話を聞くと、北京に住んでいて、毎週レッスン受けられて、ほんと、恵まれてるな~としみじみ思うのでありました。
ちなみに、地方にもよると思いますが、レベルの格差も激しいらしく、ナナ先生が「これくらいフツーに出来て当たり前」と思うことをいろいろ書きこんであげたものを、生徒が田舎で地元の先生に見せたら「これ、全部できたら、君はランキング10番以内で合格間違いなしだと思う」と言われたとか。

二胡LESSON61

本日は何故か調子がいい(^^)
音程、相変わらず狂っているけど、狂っているのが分かっているならいいやって感じ。
(割り切りすぎもよくないんだろうけど、私の場合は病の域に達しているので、こういう気分になれるのは稀)

音程が狂うのはやっぱりポジション移動を繰り返すと、虎口が元の位置まできちんともどってきていない、という根本的な問題。
直すのはやっぱり練習するしかないという基本的な問題。
手っ取り早い解決方法があるはずもなく…

それから、家では苦手な部分(だいたい二小節区切り)を繰り返して練習するわけだけども、その二小節がスムーズに弾けるようになったはいいけど、その二小節に入る前の1小節とうまく連結されていないという問題が。
「先生が練習にずっと付き合うわけにはいかず、9割は自分で練習する時間よね。その自分の練習がきちんとできてないと、効果はゼロ。どう練習したらいいか分から人実際多いよね。どう練習したらいいか教えるから、とにかくそういう風に練習してみて」
というナナ先生。
例えば、十六分音符で、3つのポジション移動、又は第一ポジションから中間のポジションを通り越していきなり高いポジションに移るような音符の連続で、それをすべて一弓で弾かなければならないような場合。

まず「分弓」、遅い速度で弾く。
それで音程、リズムに狂いがなくなったら、二音ずつ連弓にする。スピードも徐々に上げて見る
それができたら、4音ずつ連弓。
最後にすべて連弓。
その小節が綺麗に弾けるようになったら、前と後の小節とのつながりを意識して滑らかに弾く。

よく、舞台上の1分は舞台下の10年と言うけど、そのとおりだと思います。
一曲だいたい5分としたら50年かけないと一曲弾けないじゃん(笑)

今のわたくしは、十六分音符が続くところなどは、慣性で弾いてしまっているため、実は音符の一つずつが均一ではないのですよね。
とくに薬指から中指、薬指から小指に移るときに、指がどんくさいために、若干遅く、その他の指の順序の時が標準のスピードで走るから、結果として同じ十六分音符ではなくなってしまうのでした。
実は今、三弦でも十六分音符を連続して長く弾く練習をしているのですが、そのせいもあって、頭の中はいつも「タタタタ タタタタ タタタタ タタタタ・・・・」
打楽器奏者の方なんかは人間メトロノームとかって言う感じなんでしょうね。
気が狂いそうです。
よく思うのですが、器楽の先生をしている人は多分、日頃からリズムの狂いと音程の狂いをものすごく精密に聴き分けておられるわけで、疲れないのでしょうか?

二胡LESSON60

11月13日レッスン61回目なのですが、先週の分をアップしていないので連続投稿(^^;
もともとものすごい駆け足でここまで来て、いわゆる子どもが5,6年かけて基礎を固めるようなことをしていないわけで、ここに至っていろいろ問題があるわけです。
それと子どもと違って知識だけはやたらあるので、落ち込みも激しい。
自分がいかに音程狂いまくっているか分かるので辛い辛い。

あいかわらず、先週と同じことをしています。
ただ、今回はナナ先生と話している時間の方が長かったかも。

すいません…って感じ。

二胡LESSON59

相変わらずです。

ははは~もう、一週間がすごくはやくすぎて、全然ついていけない。
先週はナナ先生にすごく(?)叱られた。
「私があなたの練習に付き合うだけでレッスンが終わっちゃったら、お互いに時間の浪費でしょう?」って(^^;
そんなわけで、今週はすごく頑張ったつもりなんだけど、やっぱり、つっかえてしまい、
「それは、やっぱり練習不足でしょう」と言われる始末。
確かに、練習が足りないんだよね。
しかし、三弦と二胡を真面目に練習するには時間が足りない。
多分、ぼーっと4時間練習するより、集中して1時間やればいいんだと思う(^^;

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