Category: 音楽あれこれ

死板

中国語で「快板」といえば、要するにAllegroでして、速く演奏しなければなりません。
Moderateは中板、Lentoは慢板、Adagioは柔板といいます。
なんで速度をあらわす言葉が「板」なのかといいますと、わたくしが聞いた話では、民族音楽って板を鳴らして拍子をとるでしょ、だからなんだとか。
(本当かどうかは皆さん自分で調べてちょうだい)

じゃあ、「死板」はどういう意味なんでしょ?
わたくしが音楽のお稽古の先生によく言われる言葉のひとつです。
辞書を引くと意味は次の通りです。

(1)活気がない.生気がない.
(2)融通がきかない.一本調子である.
小学館日中・中日辞典 第2版

どの楽器のどの先生にも言われてきたことなので、これがわたくしの演奏の特徴、つーか欠点なのでしょう。
淡々と譜面に書かれた音符だけを再生してるわけやね。

実は今まで言われ続けてきたにもかかわらず、この間までちゃんと辞書を引いて調べたことがなくて、なんとなく「元気ない」「つまらない」という意味なんだろうなぁと思っていました。だいたい想像していたとおりの意味だったわけですが、あまりにも同じことを言われつづけるので、ここらでちゃんと聞いてみた方がいいかなと思って、潔先生に思いきって質問してみました。
「『siban』ってちなみにどういう漢字ですか?実はこの中国語の意味をよく理解していないんです。具体的にどういう概念なのか、どうしたらいいのか、別の言い回しで表現してもらえませんか」

先生、う~んと考えた末、
「生きる死ぬの『死si』と竹板(竹のカスタネット)の『板ban』よ。水が一滴、上から落ちてくるとするでしょ、下につくと同時に上へ跳ね上がる感じ。こういう感じで吹いてみたら死板にはならない。」

わはは。演奏家の例えは面白いね。
「死板」の反対語は何だろう?
「精彩」かなぁ?

柳琴LESSON14

相変わらずポジション移動の大特訓です。
「これがスムーズに速くできるようになれば、曲なんて教えなくても簡単に弾けるんだよね」と龍海先生。
まるで笛子の雪先生が「息が上手くコントロール出来りゃ、曲なんて教えなくても勝手に独りで吹けるんだよね」っていうのと同じ。
まぁ、一理あるでしょう。
ある程度、譜面が読めて、ある程度楽理を知っていて、ある程度音楽を聴いている人間だったら、基礎が完成すれば、曲は自分独りでも何とか演奏できるでしょうね。
(別にこれで飯食おうっていうんじゃないし…)

基礎練習
五音階と七音階をとにかくひたすら叩きました。
そして、先生からの注意事項。
「お前、第二ポジションに移動するときはまぁまぁなんだけど、第三ポジションに移る時、思いっきり琴が動くよ。琴が思いっきりゆれるから、正しい位置に指がこないのよ、分かる?」
おぉ~そうだったのか…
そう言われれば、第一ポジションだけで弾いているときは何とも感じないのだけど、第二、第三で弾いているときは、琴を上手く抱えられないんだよね(典型的な初学者)

それから、
「お前、手が大きいし、指も長いんだから、親指、もっと後ろに置いてもいいと思う」とのこと。
そうだよね。言われてみれば、子どもは手が小さいから、そうなってしまうのだろうけど、手が大きくて指がながいわたくしが彼らを手本にしちゃいけないわね。
でもさ、柳琴を弾く男性や、でかい女は少ないと思う…ので参考になりそうな人が思いつかない…


新疆民謡「手拉手」
ゆっくり弾いてみました。
「まぁだいたいOK」だと言われ、後は出来る限り速く弾け!原曲はすげー速いんだ!とのご命令が下りました。

ちなみに、これはMIDIデータを自分で作成しておりますので、ご参考にアップしましょう。
伴奏はわたくしが勝手に入れたので、原曲とずいぶんイメージが違っていたらすいません(^^;
(ワタクシ、原曲知らんのよ)
民謡って書いてあったから著作権法には触れないと思うのだけど…

手拉手
簡譜
MIDI

そして、やっと新しいことを教えてもらえました。
次はC調行こうってことで、ハ長調の音階を叩きました。
でもト調の五音階と七音階は「永遠に弾け」とのことです。
そらそうだ。どこまで上手くなってもこういうものは、三度のご飯を食べるように毎日やるものなのでしょう…

帰り道、龍海先生に質問しました。
わたくし:「著作権って音楽やってる学生は、どの程度意識しているんだろう。興味ないかな?」
龍海先生:「今の中国ではそうい意識は低いと思うけど、興味はあるんじゃないかな。それって法律に関係あるんでしょ?」

ということなので、音大や普通の小中高で「著作権法」の講義ができたら面白いのになぁと妄想したのでありました。
だってさ、この法律はレコード会社や出版社のためだけに存在するんじゃないよ。
日本だと1億人クリエーターの時代って言われているわけで、自分の権利をl守ると同時に、他人の権利も尊重して、皆にとって便利なしくみができればいいのにね。
中国だって、今は13億人クリエーターとは言い難いけど、とんでもないことになっているわけで…

柳琴Lesson12

相変わらず、ポジション移動の練習。
ポジションを異動する時、やはり音に間が空いてしまう…

先生も言うべきことは言ったから、「後はとにかく練習しなさいよ」とのこと(^^;
そうだよね、練習するしかないんだわさ。
16分音符が5音階を刻んでいくような、そういう典型的な練習曲です。

お決まりの小曲合奏。
「1分銭」の変奏曲。
この原曲は、子どもが道でお金1分を拾って、それをお巡りさんに届け出て、いいことしたね、っていう歌です。
「これの原曲をネットで聴いたよ、やはり最初と最後はかなり曲に手が加えられているんだね」とわたくしが言ったところ、龍海先生は「そうそう、そうなんだよね」と言ったかと思うと、その場で全部、歌ってくださいました(^^;
先生も実は童謡好き???
本当に20代から50代まで幅広く知られている歌でして、1分でお菓子等が買えた時代(社会主義革命時代?)から歌われているんですよね。
いまどき1分では何も買えません(元の下の単位が角で、角の下が分です。)
龍海先生いわく「このご時世、1分のお金も道に落ちてねぇよなぁ」

締め括りは「さくら さくら」
龍海先生から「もっと大きく手を動かせない?」と要求され「いや、これ以上、手を挙げると弦にひっかけちゃいそうで怖い」とワタクシ。
いや、挙げるところは挙げて、その次にちゃんとした位置に戻せばいいんだよとのこと。
うーん、難しい。

そして、相変わらず「美」を追求する龍海先生…
思うに、龍海先生、この曲の最後の数小節のメロディを自分はしょっちゅう忘れるし、わたくし自身も本来、童謡のような調子のよい曲が好きなので、「さくら さくら」は別に何度も弾きたいと思うような曲ではないのに、必ず、最後にわたくしにこれを弾かせるんだな。
今日は、隣にいた店主が、板で拍子をとってくれたので、日本古曲が中国チックに聴こえました。

そして、龍海先生は、ダウン奏法時の表現に加えて、アップの時にも、ここで、この位置まで手を挙げると「綺麗」に見えるというようなことを教えてくださいました。
ううむ・・・難しいよ。

「この曲の歌詞はさくらが満開だという景色以外はあまり意味はないんだよね?」とお尋ねになるので「まぁ、そうです」と答えたら、「うーん、じゃあ、多少、首を楽器の方へ傾けると綺麗かもね」だって。

うーん、音楽を習っているのか、演劇を習っているのか、よーわからん(^^;
いずれにしても、全体的にいかに表現するかっていう、技巧には直接関係ない話を少ししてくださいました。
先生の手は男性なのでまぁ、そこそこ大きいですが、別にすごく大きいというわけでもなく、指も長くないし、形や色も全然綺麗じゃないけど(すみません、本当のことなので)、指の形や長さに恵まれているわたくしよりも、演奏中だけは綺麗に「見える」んですよ、不思議だねぇ。

上手く弾ければ、手の恰好なんてどうでもいいじゃん、って思う人も大勢いるのだろうけど(もちろん、技術的な意味で変なのは絶対にダメですけど)、龍海先生はそれじゃ許してくれないんだろうなぁ。
「人を楽しませてなんぼ」「人に感動してもらってなんぼ」でしょう、という視点からは、見た目も考えなさいってことなんですよね。
笛子の先生第一号の松先生(若い男性)も同じことを言っていたので、これは現代の音楽やる人の共通の認識なのかなぁ…
2ちゃんねるで、演奏中の見た目の悪いアーティストの話題があったのですが、演奏すごくても演奏中の見た目の恰好悪い人って結構いるんですね…
皆、ぼろくそ言ってますね…巨匠ならしょうがなく許されるけど、そうでないなら、ちったぁ、考えろよってことみたいですね。

まぁ、柳琴を人前で弾けるようになるまでには、相当時間がかかるので、ゆっくり研究してみたいと思います

【独りごと】
そういえば、わたくしは足を組んで琵琶の構えに近い姿勢でないと、柳琴をうまくかかえられないんだけど、この組む足も人によって違うよね。
柳琴や阮はそもそも足を組む人は少ない感じがするし、組むにしてもやはり右足を上にする人の方が多いのかなぁ。
やはり、身体のでかい女に柳琴や月琴のような可愛らしい楽器は向かない感じがする…

帰り際に、龍海先生が「お前のそのスカート、何族の衣装なの?」とお尋ねになったので「何族かは知らないけど雲南省だよ」と言ったら「ふーん」って。
そういえば、バスを降りたときに道を聞かれて、説明してあげたんだけど、わたくしの言葉が訛っているせいで「中国人、じゃないよね?」みたいに不思議な顔をされたのだと思っていましたが、スカートのせいもあったのか。
外人だか、何族だか分からなかったのかぁ???
あぁ、こんどの課題曲は新疆の曲なので、今度は新疆風のスカートにしてみようかな~~~

笛子LESSON21

日曜日は、朝、練習時から、「音がおかしい」状態でした。
何がよくないのか、精神状態なのか、健康状態なのか、とにかく、息苦しくこんなに悪趣味な音、よく出せるなという感じで、自分で自分の音にヘドが出そうなくらい嫌気がしました(ここまで言わんでもって思うでしょ、でも思ってしまうのです。)

こういう状態をひきずってレッスンに行くのはよくないなぁと思ったので、一生懸命、気分転換しましたが、やはりレッスン時、先生に「何か、今日はものすごく音が悪いけど、体調が悪いのか」と聞かれました。

まぁ、そんなわけで、基礎練習ボロボロ。
先生には、「まぁ、頭ではどうすればいいか分かっているみたいだし、コツはつかんではいるみたいなので、後はそれを運用できるレベルに引き上げるには練習するしかないと思うよ。人より不器用なら人の倍練習するしかないわけで…」と言われました。
とにかく、人より肺活量ないうえに、初級者なので息のコントロールができず、ただでさえ少ない息をあっさり使い切ってしまうのが早過ぎて、高音が4拍ももたないことがしばしば。これはどう考えても、半年も専門的なレッスンをまともに受けてきた人間の平均値をはるかに下回ることのようで、管楽器演奏には致命傷。
いつになったら、よくなるのだろう。一生無理かもしれない(くすん)
速く深く息をたっぷり吸うことができない…
腹式呼吸が分からないのかという問題でもなく(それだけの練習はいつもしているし、理論的な知識もいろいろ詰め込みましたし、先生のお腹を触らせてもらって実際の感覚はよく分かっているつもりですし、自分でも高音が綺麗に出せた瞬間はありますがいつも継続して再現することができないのです。)なにせ、お腹の「不随意筋」を鍛えているのですから、基礎が全くない人間は今日明日、すぐに良くなるものでもない…この点、若い頃、ブラスバンドとかやって鍛えた人にとっては全く問題にならないのでしょうね。ちなみにわたくしは通常の腹筋は普通の人並みにちゃんとあるよ、問題はお腹の内側の自分の意志では動かせない不随意筋。

「青春舞曲」は高音ミが汚いし(1回目に到っては音が全然、出なかった)、スタッカートの力強さが足りないし、かなり苦しい状況下で嫌々吹きました。まぁ、一通り出来るということで、パス。(好きな曲が思った通りに吹けないのは悲しいですね)

「掀起你的蓋頭來」は、相変わらず、滑音が滑っていない…それ以外は、別にどうということもないので、滑音を別に練習しましょうということに。

「金蛇狂舞」これは大好きな曲なので、完璧にこなせるまで、付き合ってくれと先生に頼みました。これから、数か月、続けることになるかもしれません。
教科書に載っている譜面はシンプルなものなので、先生がいろいろ技巧を付け加えてくださいまして、好きな曲を練習しながら、基礎練も兼ねましょうということに。

それから、新しい練習フレーズが加わって、レッスン終了。
しかし、このフレーズ、短いくせにめっちゃ難しい。
まず、譜面がわたくしにとっては複雑すぎて、譜面どおりに歌えない…
レッスン時には歌えても、家に帰ったらきっと忘れると思ったので、先生のお手本演奏を録音させていただきました。

【独り言】
世の中のフルートや篠笛、ケーナ等の愛好者って、よほどお腹できちんと息が支えられるすごい人か、自分の音が汚くても耐えきれる、ものすごく神経が図太い人なんだと思う。練習曲を吹く時、先生が「あたしも譜面見たいから、隣に座るね」と言ってピアノの長い椅子に二人で腰掛けたのだけど、わたくしは思わず、「そんなに近くに座ったら、先生、絶対に気分悪くなりますよ、私の音、自分で聴いていても気分が悪くなるほど嫌だし、他人の音ならなおさらだと思う」と言ったら、先生は「関係ないわ、あたしなんて15年も自分の嫌な音を間近で聴き続けて鍛えられているから、安心しなさいよ」と言い、「笛子なんて、みな、こういうツマラナイ道を長く歩き続けないといけないものなのじゃないかしら」とのたまうではありませんか。へぇ…先生でも自分の音に嫌気がさしつつ、そんな音を聴きながらここまで来たって?本当かなぁ。
もっとも、この手の楽器は「音色の追求」が最も求められる楽器だと言われているので、どこまで上手くなっても、プロでもなかなか自分の音に納得がいかないみたいだし、かなしい楽器でもある…

桃太郎

職場で「桃太郎」が流行っている…
(広めたのは童謡好きのわたくしと同僚…)

ももたろさん、ももたろさん~
しかし、鬼はこれといって悪いことをしたわけでもなさそうなのに、ただ鬼だって言うだけで、叩かれるのは気の毒だなと思いません?
ちなみに、全部歌うと結構残酷なので、三番くらいまでしか紹介されないみたいですね。
あ、そうそう、もともとの歌詞では、きび団子を「や~りましょう、やりましょう」と歌うみたいですが、中国の女の子には「あ~げましょう、あげましょう」と可愛らしい日本語で歌ってほしかったので、歌詞をわざと変えています。

そんなわけで、楽譜のおすそわけです。
桃太郎

愚鈍と不器用の二重苦

柳琴レッスン8回目であります。

今日は小学生のお嬢ちゃんのお琴のレッスンとぶつかってしまい、更に店の外では店主のご友人(?)が自分の笛子のレッスンを初めて、加えて店主が打楽器野練習始めちゃったんで、店内にはいろんな音が混ざって聴こえてきて、自分のメロディーを維持するのが大変でした。
もっとも、わたくしは集中力はあるほうなのですが、右耳で別の楽曲の琴の音を聞きながら、左耳で龍海先生の二胡の主旋律を聴くって言う、聖徳太子よりはマシですが、かなり過酷な状況でレッスンしました。

龍海先生が、「換把」つまりポジション移動を教えてくださいました。
要するに、今までは弦を跨いで(過線)隣の線に移って高い音を出していたのに、今度は弦をかえずに手を下へ移動して高音を出す技であります。
難しい…つーか、わたくしはもともと、新しいことを飲み込むのがとても遅い人間なのです。
一歩一歩考えないと、分かんないんです。
自分で言うのも悲しいですが、愚鈍なんですよ。

前述の通り、本日は人がいっぱいで、加えてお琴の先生の彼氏が先生を迎えに来て待っている間、わたくしのレッスンを傍で見ているので、余計に緊張…
最後は、指と頭がこんがらがっているわたくしに、龍海先生がまるで3歳児を相手にするかのように説明して、最後は口で言っても分かんないわたくしの指を「この指がここまで下がるの!」って言って軽く指に触れて教えてくれている傍から(いや、別に先生のセクハラじゃないよ、こうまでしないと本当に分からなくなってしまったんですよ)、お琴の先生の彼氏も、「いや、そうじゃねぇ」って横で声援(?)してくれるので、恥ずかしいったらありゃしないよう(^^;
きっとお琴の生徒のお嬢ちゃんも、「おばちゃん、すごい頭悪い…不器用すぎ」って思ったかも。

で、味気ない技巧練習はやめて、適当な曲を弾こうってことになってやったのが「一分銭」
前回言ったとおり、これは中国人なら、年配の人から若い子まで誰でも知っている童謡らしいのです。
二胡と柳琴で奏でる「一分銭」
ついでに店主が歌いながら前を横切って行きました(^^;

現在、わたくしのレパートリーは、
「きらきら星」
「さくらさくら」
「一分銭」
以上。
いつになったら古典が弾けるようになるんでしょうね。

著作権法におけるクリエーターとパフォーマー

柳琴をわたくしに教えてくれている龍海先生が変わったことを少し教えてくださいました。
弦楽器を弾く場合、隣の弦に触れたりしないために手首の動きにはきちんとした軌道があるわけですが、舞台ではそれを逸脱して、多少大げさに手を振り上げろとおっしゃるのです。
それくらい、大げさな動きをして演じないと、お客さんからは舞台で何もしていないようにしか映らない、綺麗に見えないから、というのがその理由です。
もちろん、トレモロ部分でそんな大げさな動きはできませんが、スローテンポの旋律におけるダウン奏法時には大げさな動きをしても、弦を外すなんてことはないとおっしゃる。
踊るときのように優雅に振り上げて手を綺麗に見せろ、というのが龍海先生の要求です(^^;
(きらきら星しか弾けない初級者に、舞台技術まで語ってくれるなんて…ビックリ)

だけど、確かに琵琶奏者等のコンサートDVDをいろいろ見ていると、そういう動きがあるのですよね(はっきり言って演奏そのものには不要な無駄な動きですが、とても綺麗に見えます)。

子どもの頃や若い頃に教えていただいた先生方は、淡々と演奏技術と楽譜の読み方だけ教えてくださっただけなので、ロック歌手じゃあるまいし、伝統的な民族音楽をやる演奏家が頭の中でそんなことまで計算しつくしているとは思わず、初級レベルの下手くそな奴に対しても「一人で練習する時でも、客の前で弾いている気持ちで弾け」とおっしゃったことに正直ビックリしました。
まぁ、小学校の先生になるために音大に行った方と演奏だけで飯が食えるかどうかは別として演奏家になりたくて(又はそういう人を育てたくて)音大に行った方の違いなのかもしれませんが…

そして、演奏技術に関することのほか、いつも言われるのは次のような言葉です。
柳琴の龍海先生は「頭の中にただ音符があるだけ、空っぽの状態で弾くだけでは、人に何も伝わらないよ。無いものは伝わらないでしょう?ちゃんとお客さんを感動させなさい、表現しなさい!まずは私に何か伝えなさい」とおっしゃり、笛子の雪先生も、「演奏技術なんて練習すりゃどんな不器用なバカでも向上するものなの、じゃあ、お客さんは何を見に、何を聴きにくるかって?あなたの表現よ!」とおっしゃったことがあります。
(ええと、おっしゃるとおりわたくしは、何も考えずに弾いています…だって手を動かすだけで精いっぱい…そこから先の解釈にいけるように練習しますぅ…。)

あの人気マンガ(テレビドラマ、映画化もされた)の「のだめカンタービレ」を見ていると、演奏家というのは、曲をきちんと分析して、それを表現して、お客さんを如何に感動させるか、ということに非常に注意を払っていることが分かります。

そこで、ふと演奏者の気持ちと著作権法の考え方、というのにずれがあるのでは?と思い始めました。

実演家(演奏家とか俳優さんですね)というのは、日本や中国の著作権法では作品の伝達者だと考えられています。つまり作品の創作者ではなく、他人の著作に解釈を加えるだけなので創作度は低く「実演」は「著作物」ではないのです。もちろん著作権に隣接する権利として保護を受けますが…まぁ、創作物だとは考えられていませんね。

個人的には、「他人の作品に解釈を加えるだけ」といっても、演奏にはものすごく個性がでると思います。プロの演奏技術レベルが高い一定の領域に達しているっていうのは当たり前の話として、そこから先は解釈の部分でかなり創作していると思うのです。

わたくしは翻訳を飯のタネにしていますが、契約書等の商業翻訳は創作しているとは言えませんが(フォーマットがほぼありますし、自由な表現をしてよいものではありませんし、別の解釈の余地はありません)、同じ法律分野でも法律の概説書の翻訳ですと、読者に分かりやすいように、かなり創意工夫をしなければなりません。学術的な見解が訳語の選択にも影響を及ぼします。翻訳は原作の縛りを受けますが、「二次的著作物」として保護されるのはご存じのとおりです。

「翻訳」と「実演」は同じようなことをしているのに、「なぜ、実演(演奏)は著作物じゃないの?」というのが、わたくしの素朴な疑問であります。

国によっては、例えば台湾著作権法によりますと、「実演」は「実演著作物」と称することはできないものの、「独立の著作物として保護される」と説明されます。
法律論を抜きにして感情論から見ると、こちらの立法構造の方が、わたくしには納得がいきます。

クリエーターの立場からは自分の作品をこう解釈してほしいとか、最初からこの人のイメージで創作した作品というものが存在すると思います。
そういう場合、勝手な解釈をされたら、とっても気分悪いかもしれませんね。
だったら、実演を許諾しなければいいのです。
そして実演を許諾した以上、原作の意味を著しく損なわない限りいろいろな解釈があっていいと思うのです。

そういう意味では、著作権保護期間が切れてしまったクラッシックは誰でも自由に利用できる曲ですし、クリエーターの気持ちを傷つけることもないから、むしろ自由に解釈していいんじゃない?と思うのですが、現実には慣習的な縛りを受けて、クラシックを自由に解釈し放題とはいかないみたいですが…
「のだめ」に出てくる峰君がベートーベンのバイオリンソナタ「春」を「光る青春のヨロコビとイナズマ」と解釈して演奏するのは、やっぱ、正統派じゃないんだろうなぁ。

ちなみに、両先生方は「私が模範演奏するときは、私の解釈でやっていることだから、真似しなくていいし、あなたに押しつけることはしない」とおっしゃっています。
ひぇ~訳の分かんない練習曲でも先生が弾くとものすごい名曲に聴こえるから不思議だ。

真似したくたって、できねぇよ(^^;

一億クリエータ又はパフォーマー?

フルートを吹く人たちのブログを読んでいて、はじめて知りました。
音声ブログなんてあるんだ~

ファイルアップ画面では、著作権処理に関していろいろチェック項目があったりして、ふーん、という感じ。
わたくしのファイルは、曲目は著作権切れ、演奏はわたくし本人なので、問題ありません。
著作権切れてない楽曲などを歌う場合などはそれ用のカラオケがあるみたいですね。

世の中には、趣味でああしたい、こうしたいという要望はあるけど、著作権処理できずに、アップできないようという問題が結構あるんじゃないかと思っていたのだけど、こういうニーズに応えるサービスってあるんだね。
わたくしって、そんなことも知らずに、時代に遅れている人だったんだ。。。

寧夏で買った塤による「兎と亀」の演奏(演奏と言えるものではないが)をテストでアップしてみました。
続いて、下手くそな柳琴の音もアップしてみました。
あくまでも、ド素人による簡単な曲の演奏ですから、音のサンプルってことで、許してくださいませ。

以下が音声ブログのケロログさんで作ってみた音ブログであります。
http://www.voiceblog.jp/youli/

あぁ、本当に一億クリエータ又はパフォーマーの時代なんだなぁ。

「弾」かない楽器もあるのでは?

日本語っていい加減だと思いませんか?

時々、不思議に思うのですが、日本語だとたいていの楽器について「XXを弾く」と言いますよね?
でも「弾」というのは弾く(はじく)行為ですから、わたくしなどは、バイオリンを「弾く」とかいう表現はかなり気持ち悪く感じます。

その点、中国語はどういう行為をするのかが非常に明確で分かりやすい。

バイオリンや二胡は「拉」
弓を引っ張る行為です。ちなみに、よくドアにも「拉」「推」と書いてありますが、この場合、「引く」「押す」の意味です。二胡の奏法には構造的に押さえる弓使いがあるので「推」とうのもありますね。バイオリンには「推」はないと思う…

ピアノは「弾」
ピアノは弦をハンマーで打つ行為ですが、大げさに弾くことと打つことは似ているような気がするのでワタクシ的には納得できます。

ギターや琵琶、琴などの弦楽器は「弾」
弾く(はじく)行為です。弦楽器の奏法で「弾」といえば「ダウン」を意味します。「アップ」は「挑」(すくい上げる)です。「トレモロ」は「輪」(アップとダウンを繰り返すからなのか?)

フルート、笛子、蕭は「吹」
息を吹きこむからですね。

歌は日本語だと「歌う」ですが、中国語だと「歌」より「唱」という動詞を用いるのが普通です。だから「歌を歌う」を中国語に訳せば「唱歌」。「唱」という動詞がとる目的語は「歌」だけにとどまらず、「唱劇」と言うのもありです。つまり、京劇みたいに歌って踊って演ずるものは「唱劇」ですね。

何に癒されるか

しばらく書いていないので死んでいるかとおもわれていたりして。
あながち間違いではないのだけど。

で、先週の総まとめ。
要するに週初めに熱を出して寝込んでしまいました。
新型インフルエンザはもう経験済みなので、そうでないことは確かで、単に何だかわからないけど熱が出ました。
いや~むしろ38度台の熱の方が39度台の熱より、意識がしっかりしている分辛いですね(^^;

趣味の方はといえば、結局、毎日、笛子吹いて、雪先生にも長期休暇を撤回し、面倒見てもらってます。
管楽器の上達を半ばあきらめているわたくしが浮気した柳琴ですが、相変わらず、楽器屋に教えてもらいに行ってます。
すごく下手で、弦を抑える指も弾く指もおぼつかないのに、ちょっと早く弾けただけで「うまいぞ、うまいぞ、よくやった!」と楽器屋のおっちゃん(つーか先生と言わなきゃいけませんね)が褒めてくれるので恥ずかしいです。

新しいことを教えてくれたとき、すぐに飲み込めると「かしこいねぇ」とも言ってくれるので、先生、ほんとにいい人ですね。
子どもが初めて歩いた時に(傍から見たら何てことないのに)親が大喜びするじゃないですか。
多分、それに似ているのが、年配の先生の学生に対する態度。

きっと、わたくし、褒められることに飢えていて、無条件に誰かに褒めてもらいたくて、全く経験のない新しい楽器なんてさわってみたりしてるんだろうなぁ。
世間では「男は閾(しきい)を跨(また)げば七人の敵あり」とか言うそうですが、別に男性に限らず、世間を渡るのは相当賢いか、相当バカでないとやっていけないよねぇ。(ワタクシは相当バカだからまだ生きているけど)
仕事をするってことは、その仕事でミスは許されないよね。
100%できて、当たり前。
120%を求められる世の中。
だから、無条件に誰かに褒めてもらいたいのだと思う。

わたくしが、19の時に初めて20でやめたバイオリンの先生が、こんな世の中だから音楽は癒しになるよ、やめちゃうなんてもったいないなぁと言いました。
その時は、「音楽を聴くことは癒しになる」とか「演奏する楽しみを持つことは精神的癒しになる」という意味なんだろうなと思っていたけど、ど下手でも褒めてもらえる喜びってのが癒しになるとは気付かなかったなぁ(^^;
(もちろん、プロ目指す人にはその手の癒しは永遠にないけど)
だいたい、昼間仕事して夜大学に行ってたら、真夜中しか練習できないので、止めざるを得なかったのだけど、昼休みにでも練習し続ければよかったかなとも思う。
(実家でバイオリンの弓がボロボロになっていました~なんかあれ、調整したら本当に楽器として使い物になるのかな?ごめんよ、バイオリン君)

初心者の頃と言うのは、最初は何だって簡単だから、誰でも褒めてもらえるよね。
語学だって、最初は「こんにちは」が言えるだけで、「日本語、お上手ですね」ってわたくしも他人を褒めてあげるもの。
本気でやっている人には、変な言い回ししただけで、変だよって本当のこと言ってあげるけど。

わざわざ下手な柳琴を毎晩弾くのにはそういう癒し効果があるのです(^^;
何でもないことができただけで、無条件に先生が褒めてくれる。
た~の~し~い~デス。

きらきら星しか弾けないのにね。
ご近所は、またそれかよ、と思っているに違いない…
(*しかしながら、「きらきら星」というのは、簡単なだけに本当は本気できちんと演奏したらものすごく難しい曲だと思います。「きらきら星」に始まり「きらきら星」を極めて、その人自身の「音」が見えるものだとも思います…)

もっとも「このド下手くそ~いい加減にしろ!」とご近所や家族に怒られるような環境にいる人には「癒し」どころじゃないので、この手の癒しは使えませんなぁ。

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