著作権法におけるクリエーターとパフォーマー
柳琴をわたくしに教えてくれている龍海先生が変わったことを少し教えてくださいました。
弦楽器を弾く場合、隣の弦に触れたりしないために手首の動きにはきちんとした軌道があるわけですが、舞台ではそれを逸脱して、多少大げさに手を振り上げろとおっしゃるのです。
それくらい、大げさな動きをして演じないと、お客さんからは舞台で何もしていないようにしか映らない、綺麗に見えないから、というのがその理由です。
もちろん、トレモロ部分でそんな大げさな動きはできませんが、スローテンポの旋律におけるダウン奏法時には大げさな動きをしても、弦を外すなんてことはないとおっしゃる。
踊るときのように優雅に振り上げて手を綺麗に見せろ、というのが龍海先生の要求です(^^;
(きらきら星しか弾けない初級者に、舞台技術まで語ってくれるなんて…ビックリ)
だけど、確かに琵琶奏者等のコンサートDVDをいろいろ見ていると、そういう動きがあるのですよね(はっきり言って演奏そのものには不要な無駄な動きですが、とても綺麗に見えます)。
子どもの頃や若い頃に教えていただいた先生方は、淡々と演奏技術と楽譜の読み方だけ教えてくださっただけなので、ロック歌手じゃあるまいし、伝統的な民族音楽をやる演奏家が頭の中でそんなことまで計算しつくしているとは思わず、初級レベルの下手くそな奴に対しても「一人で練習する時でも、客の前で弾いている気持ちで弾け」とおっしゃったことに正直ビックリしました。
まぁ、小学校の先生になるために音大に行った方と演奏だけで飯が食えるかどうかは別として演奏家になりたくて(又はそういう人を育てたくて)音大に行った方の違いなのかもしれませんが…
そして、演奏技術に関することのほか、いつも言われるのは次のような言葉です。
柳琴の龍海先生は「頭の中にただ音符があるだけ、空っぽの状態で弾くだけでは、人に何も伝わらないよ。無いものは伝わらないでしょう?ちゃんとお客さんを感動させなさい、表現しなさい!まずは私に何か伝えなさい」とおっしゃり、笛子の雪先生も、「演奏技術なんて練習すりゃどんな不器用なバカでも向上するものなの、じゃあ、お客さんは何を見に、何を聴きにくるかって?あなたの表現よ!」とおっしゃったことがあります。
(ええと、おっしゃるとおりわたくしは、何も考えずに弾いています…だって手を動かすだけで精いっぱい…そこから先の解釈にいけるように練習しますぅ…。)
あの人気マンガ(テレビドラマ、映画化もされた)の「のだめカンタービレ」を見ていると、演奏家というのは、曲をきちんと分析して、それを表現して、お客さんを如何に感動させるか、ということに非常に注意を払っていることが分かります。
そこで、ふと演奏者の気持ちと著作権法の考え方、というのにずれがあるのでは?と思い始めました。
実演家(演奏家とか俳優さんですね)というのは、日本や中国の著作権法では作品の伝達者だと考えられています。つまり作品の創作者ではなく、他人の著作に解釈を加えるだけなので創作度は低く「実演」は「著作物」ではないのです。もちろん著作権に隣接する権利として保護を受けますが…まぁ、創作物だとは考えられていませんね。
個人的には、「他人の作品に解釈を加えるだけ」といっても、演奏にはものすごく個性がでると思います。プロの演奏技術レベルが高い一定の領域に達しているっていうのは当たり前の話として、そこから先は解釈の部分でかなり創作していると思うのです。
わたくしは翻訳を飯のタネにしていますが、契約書等の商業翻訳は創作しているとは言えませんが(フォーマットがほぼありますし、自由な表現をしてよいものではありませんし、別の解釈の余地はありません)、同じ法律分野でも法律の概説書の翻訳ですと、読者に分かりやすいように、かなり創意工夫をしなければなりません。学術的な見解が訳語の選択にも影響を及ぼします。翻訳は原作の縛りを受けますが、「二次的著作物」として保護されるのはご存じのとおりです。
「翻訳」と「実演」は同じようなことをしているのに、「なぜ、実演(演奏)は著作物じゃないの?」というのが、わたくしの素朴な疑問であります。
国によっては、例えば台湾著作権法によりますと、「実演」は「実演著作物」と称することはできないものの、「独立の著作物として保護される」と説明されます。
法律論を抜きにして感情論から見ると、こちらの立法構造の方が、わたくしには納得がいきます。
クリエーターの立場からは自分の作品をこう解釈してほしいとか、最初からこの人のイメージで創作した作品というものが存在すると思います。
そういう場合、勝手な解釈をされたら、とっても気分悪いかもしれませんね。
だったら、実演を許諾しなければいいのです。
そして実演を許諾した以上、原作の意味を著しく損なわない限りいろいろな解釈があっていいと思うのです。
そういう意味では、著作権保護期間が切れてしまったクラッシックは誰でも自由に利用できる曲ですし、クリエーターの気持ちを傷つけることもないから、むしろ自由に解釈していいんじゃない?と思うのですが、現実には慣習的な縛りを受けて、クラシックを自由に解釈し放題とはいかないみたいですが…
「のだめ」に出てくる峰君がベートーベンのバイオリンソナタ「春」を「光る青春のヨロコビとイナズマ」と解釈して演奏するのは、やっぱ、正統派じゃないんだろうなぁ。
ちなみに、両先生方は「私が模範演奏するときは、私の解釈でやっていることだから、真似しなくていいし、あなたに押しつけることはしない」とおっしゃっています。
ひぇ~訳の分かんない練習曲でも先生が弾くとものすごい名曲に聴こえるから不思議だ。
真似したくたって、できねぇよ(^^;