柳琴Lesson12
相変わらず、ポジション移動の練習。
ポジションを異動する時、やはり音に間が空いてしまう…
先生も言うべきことは言ったから、「後はとにかく練習しなさいよ」とのこと(^^;
そうだよね、練習するしかないんだわさ。
16分音符が5音階を刻んでいくような、そういう典型的な練習曲です。
お決まりの小曲合奏。
「1分銭」の変奏曲。
この原曲は、子どもが道でお金1分を拾って、それをお巡りさんに届け出て、いいことしたね、っていう歌です。
「これの原曲をネットで聴いたよ、やはり最初と最後はかなり曲に手が加えられているんだね」とわたくしが言ったところ、龍海先生は「そうそう、そうなんだよね」と言ったかと思うと、その場で全部、歌ってくださいました(^^;
先生も実は童謡好き???
本当に20代から50代まで幅広く知られている歌でして、1分でお菓子等が買えた時代(社会主義革命時代?)から歌われているんですよね。
いまどき1分では何も買えません(元の下の単位が角で、角の下が分です。)
龍海先生いわく「このご時世、1分のお金も道に落ちてねぇよなぁ」
締め括りは「さくら さくら」
龍海先生から「もっと大きく手を動かせない?」と要求され「いや、これ以上、手を挙げると弦にひっかけちゃいそうで怖い」とワタクシ。
いや、挙げるところは挙げて、その次にちゃんとした位置に戻せばいいんだよとのこと。
うーん、難しい。
そして、相変わらず「美」を追求する龍海先生…
思うに、龍海先生、この曲の最後の数小節のメロディを自分はしょっちゅう忘れるし、わたくし自身も本来、童謡のような調子のよい曲が好きなので、「さくら さくら」は別に何度も弾きたいと思うような曲ではないのに、必ず、最後にわたくしにこれを弾かせるんだな。
今日は、隣にいた店主が、板で拍子をとってくれたので、日本古曲が中国チックに聴こえました。
そして、龍海先生は、ダウン奏法時の表現に加えて、アップの時にも、ここで、この位置まで手を挙げると「綺麗」に見えるというようなことを教えてくださいました。
ううむ・・・難しいよ。
「この曲の歌詞はさくらが満開だという景色以外はあまり意味はないんだよね?」とお尋ねになるので「まぁ、そうです」と答えたら、「うーん、じゃあ、多少、首を楽器の方へ傾けると綺麗かもね」だって。
うーん、音楽を習っているのか、演劇を習っているのか、よーわからん(^^;
いずれにしても、全体的にいかに表現するかっていう、技巧には直接関係ない話を少ししてくださいました。
先生の手は男性なのでまぁ、そこそこ大きいですが、別にすごく大きいというわけでもなく、指も長くないし、形や色も全然綺麗じゃないけど(すみません、本当のことなので)、指の形や長さに恵まれているわたくしよりも、演奏中だけは綺麗に「見える」んですよ、不思議だねぇ。
上手く弾ければ、手の恰好なんてどうでもいいじゃん、って思う人も大勢いるのだろうけど(もちろん、技術的な意味で変なのは絶対にダメですけど)、龍海先生はそれじゃ許してくれないんだろうなぁ。
「人を楽しませてなんぼ」「人に感動してもらってなんぼ」でしょう、という視点からは、見た目も考えなさいってことなんですよね。
笛子の先生第一号の松先生(若い男性)も同じことを言っていたので、これは現代の音楽やる人の共通の認識なのかなぁ…
2ちゃんねるで、演奏中の見た目の悪いアーティストの話題があったのですが、演奏すごくても演奏中の見た目の恰好悪い人って結構いるんですね…
皆、ぼろくそ言ってますね…巨匠ならしょうがなく許されるけど、そうでないなら、ちったぁ、考えろよってことみたいですね。
まぁ、柳琴を人前で弾けるようになるまでには、相当時間がかかるので、ゆっくり研究してみたいと思います
【独りごと】
そういえば、わたくしは足を組んで琵琶の構えに近い姿勢でないと、柳琴をうまくかかえられないんだけど、この組む足も人によって違うよね。
柳琴や阮はそもそも足を組む人は少ない感じがするし、組むにしてもやはり右足を上にする人の方が多いのかなぁ。
やはり、身体のでかい女に柳琴や月琴のような可愛らしい楽器は向かない感じがする…
帰り際に、龍海先生が「お前のそのスカート、何族の衣装なの?」とお尋ねになったので「何族かは知らないけど雲南省だよ」と言ったら「ふーん」って。
そういえば、バスを降りたときに道を聞かれて、説明してあげたんだけど、わたくしの言葉が訛っているせいで「中国人、じゃないよね?」みたいに不思議な顔をされたのだと思っていましたが、スカートのせいもあったのか。
外人だか、何族だか分からなかったのかぁ???
あぁ、こんどの課題曲は新疆の曲なので、今度は新疆風のスカートにしてみようかな~~~