二胡LESSON57
練習曲「中央音楽学院海内外考級曲目1~6級」より
5級部分3、「総合練習」110頁。
やっぱり、練習不足で、すらすら~とは弾けないのですよね。
しかし、ナナ先生がいうには、
「音程、合ってるのに、どうして自信持って思いっきり弾かないの?」
「この練習曲、相当難しいから、母校で誰か捕まえて、その場ですぐに弾けって言ったら、パーフェクトに弾ける学生なんていやしないから、超ゆっくりでしか弾けないからって、あまり落ち込む必要ないからね」
ははは…そうはいっても、本当に合っているかどうか自信がないのですよ。
こればっかりは、どうしようもない。
多分、だいたい合っているだろう、と思って弾かざるを得ない。
そう思っている限り、思いっきり弾けるわけもなく…
実際、いわゆる専門的音楽教育を受けてきた人が聴いたら、ずれているに決まっているしね。
最初に調弦するとき、現に普通のチューナーで合わせたDとAの音だと、ナナ先生はほんのちょっと外弦を上げてみてとか、内弦を上げてみてとか言うんだもの。
その「ちょっと」がわたくしには現実として差が分からないのですよ(^^;
ただ、自分自身が微調整ネジをほんのほんのわずかに回しているため、きっと音は高くなったに違いないと認識できるだけで、耳は全く差が分からない。
そう、言ってみたら、ナナ先生は「私も音大入ったばかりのころは分からなかったわよ。多分、音大のソルフェージュの授業や合奏の機会があるたびに、人の音をたくさん聴いているうちに、前より耳が敏感になったにすぎないから、気にし過ぎはよくないかも」とおっしゃる。
う~ん、慰めだろうなぁ。
4、5歳からこういう楽器をやっている人は間違いなく、ものすごく耳がいいのだから、分かんない人の気持ちがあまり分かるとは思えない。
「あなたに比べたら、比べ物にならないくらいひどく音程が狂ってても、小学生とかなんかすごく自信満々で弾いてるけどね~」
ともおっしゃる。
そりゃ、子どもだからでしょうね(^^;
ついでにナナ先生も大学時代、ソルフェージュの授業で、みんなで自信満々に歌ってたら、最後に先生がピアノの音を鳴らした途端、半音も狂っていたことに気付き、愕然としたとおっしゃってたけど。
はぁ、まぁ、音大生でもそうなんだから気にするなって慰めてくれているのだろうけど、きっとそのソルフェージュの課題、半音とかいっぱいでとっても難しかったのでは???と思うのでした。
ちなみに、わたくしの場合、練習中は、チューナーつけっぱなしですよ。
ずっと見ているわけではないけど、要所要所で必ずちらっと見る。
自分が不得意なポジション移動、指使いの場面では必ず見て、チェックする。
自分が狂いやすいところは一応、分かっているつもりなのだけど、ぼけっとしていて、その狂いを見落とすと、絶対音感がないので、そこから微妙に音が相対的にずれはじめたりする(^^;
そして、開放弦で「背筋が凍る」のでありました。
楽曲
良宵
久しぶりに「良宵」を弾いて見てよと言われ、トライ。
いつも弾いているのに、人前だと弾けないものですね。
いつもより自信なさげに、がらがら崩れおちるような演奏になりました(--;
注意点は「情感」をこめて弾いてということ。
これもかなり難しい注文だったりするんだよね。
ドへたくそな自分が、情感こめて弾いている姿を自分が見たら(聴いたら)、さぞや滑稽に違いなく…
そしてなによりも、自分の技術が自分の想像する理想の音からかけ離れ過ぎているために、一生懸命であればあるほど、みじめになる。
今時の言葉で言えば、他人が見たらイタイ、という感じでしょうか。
大人って、そういうところが、クリアできなくて大変だなと思う。
子どもだったら、場合によっては理想そのものが低いだろうし(よい料理を食べたことがなければ、たいしたことない物を食べても最高って思うだろうし)、家族に褒められて育ってきた子どもだったら、「よかったよ」と言われれば、素直に達成感があるだろうし。
「自信を持て」という言葉は、実は子どもの頃から習い事の先生に再三言われてきたセリフでして、この歳になってもまだ言われ続けるとは、本当に情けない。
来週は国慶節休みのためお休み~
再来週も、北京にいないので、多分、お休み~
長い休暇中、ちゃんと練習しないとな~