千斤の位置

千斤の位置について、これでいいのかなとずっと悩んできました。
というのは、通説によりますと、自分の手の長さに合わせますよね(琴筒に肘を当てて手を伸ばして自分の小指の第一関節(あるいは中指の付け根)までとか言われています)。
でも、あまり低くし過ぎると弦の長さが短くなりすぎていい音がしないとか言われていますね。
その点、わたくしは手も大きくて腕も指も長いので、心配無用。
最初の2回のレッスンは先生と同じ位置にあわせていました。
しかし、先生の方がわたくしより腕が短いので、実はわたくしの手に合わせるともっと高い位置に千斤がきてもいいはずだと気付き、千斤を駒から42センチまで上げました(本当はきっちり手に合わせれば43センチくらいかもしれませんが、そうすると小指がきついので42にしておいたというのが本音です)。

そのまま、普通に何も考えずに弾いていたのですが、楽器そのものの大体の構造が決まっている以上(竿の長さとか筒の大きさとか、皮の厚さ等です)、適切な位置(よく鳴る位置)は決まっているはずだから、手の長さに合わせるなんて不合理だという考え方が職人さんの中にあることに気付きました。
そうなってくると、長すぎも多分、よくないわけですよ。

じゃあ、製作所は何て言っているのだろうと思い、製作所サイトを見てみると、40センチくらいが一番いい音がすると書いてありました。
作った人間がそう言っているのだから、そうなのだろうなと思い、40センチまで下げようと思いましたが、42センチに慣れているため、急に大きく距離を買えると音程が不安定になると思い、41センチまでしか下げませんでした。
そして、やっぱり、音程をとるのが難しいと感じたので元に戻しました。

先日、なにげに買った楽譜の前書を眺めていましたら、阿炳の二胡は普通の二胡と特に変わりのないものだったそうですが、駒から千斤の距離は44~46センチだったと書いてありました(普通よりかなり長いと紹介されていました)。

で、わたくしの行きついた結論は、
「なんだ、上手い人が弾けばうまく自分で調整してしまうので、結局、何だっていいんじゃん」

千斤について根掘り葉掘り聞くわたくしに対して、先生は、「これ以上、上げてもあまり意味ないよ」とおっしゃる。
違うんだってば。何でそういう勘違いするのかな~世の中には千斤を自分の手の長さより上げたい人がよほど多いのか?
「ち~が~うっんです!私は上げたいんじゃなくて、これが一番弾きやすくて満足していますが、高いのもよくないという人がいるので、下げた方がいいのか悩んでたんです!」

バイオリンとかみたいに、何百年もそうだった楽器ではない分、いろいろな情報があって、ほんと面倒くさいなぁと思うのでありました。
(皆、自分の信じているものが一番正しいと思っているし…)

4 Responses to “千斤の位置”

  1. くるみ より:

    阿炳の演奏を録音したCD等ありますが、
    この方は その場で出された二胡をそのまま使って演奏されていたそうです。
    楽器には拘らない方の様で。

    千斤の位置は自分で動かしてみて音が良くて弾き易い場所であれば良いんじゃないでしょうか。
    これも日本ではジャーさんの言われたのが主流になってる様です。
    説明付きの教本を出されたのが早かったので そうなっているのかもしれませんが。
    でも まあジャーさんは「臨機応変に」と仰るそうですから
    弦の自分が使う場所が良い音がする所でOKだと思いますよ。
    皮や音濾 駒の材質や高さ ついでに竿の太さで音や弾き具合が変わりますから。
    游鯉さんが何か良い法則を見つけられたら 日本じゃ「お家元」になれますよ~。

    前のを蒸し返しますが、音楽はイメージが先です。
    CD等を聞いてイメージを作り それを練習で実現します。
    (練習では「こんな風に」では無く 「この指をこの位の力で この位置に この角度で…」の様に具体的に)
    ので、実際に出てくる自分の音は二の次です、初心者ですもん。
    イメージがあって弾いているものは 音色が良く無くても 音程が多少外れてても
    先生には伝わりますから 演じる様に真似してみられては?
    運弓等は時間が経てば動く様になりますよ、
    …と私が言っても説得力は無いって外野から言われそうですけど。(笑)

    游鯉さんの二胡の材質は何ですか?
    最初から音の出が良いなんて珍しいです。

  2. 游鯉 より:

    くるみさん、こんにちは~

    そうですね。
    二胡の場合、いろんなことをあまり気にし過ぎると何も弾けなくなっちゃいますよね…(^^;

    わたくしの二胡の材質は「紫檀」です。
    しかしながら、紫檀といっても、「紫檀の木」というものが存在するわけではなく、中国語の「紫檀」に分類されてしまう木材にはいろいろなものが含まれるようですね。
    以前、いろいろ調べたり、楽器屋さんや先生にお話を伺いましたが、木の種類や原産地の判断は素人には難しい。
    判断方法もいろいろ伺いましたが、木のくずなどを水にいれて数時間放置する等の方法は、二胡の一部を削るわけにもいかず、試していません(^^;
    (ちょっと裏を一部を削ってみたことはありますが…)

    ですから、自分の二胡を紫檀だと日本人の専門家に言ったら、笑われるかもねとは思っております。
    日本だと多分、インド産の本紫檀の一級品くらいしか、紫檀だって言っちゃいけないんでしょうね、多分。
    また悪意で紫檀でないものを紫檀として誤魔化す商人もいれば、善意でランクの落ちるものをそれなりの値段で売る商人もいるわけで…後者について、わたくしは別に悪いことだとは思いませんし。

    わたくしは、とりあえず、「いい音がすりゃ、何だっていい」と思っております。

    さて、イメージの件ですが、アドバイスありがとうございます。
    「具体的に」というところ、参考にさせていただきます。

    一度だけ、「先生はこんな風にイメージしているのではなかろうか」というものを想像し(ずっと一対一で教えてもらっていれば、先生の好きそうなものって何となくわかりますよね)、教材に載っていた楽譜ではなく、別の楽器の楽譜で強弱記号などを確認して(自分の楽譜には一切、強弱記号がなかった)、かなり大げさに演じてみたところ、あっけなく「今の表現、よかったよ」と言われたことがあります。

    そのとき、自分には全然、綺麗に聴こえなかったので(写真で言うなら、数年前のデジカメで撮ったために画素数が少な過ぎて満足できないって感じ?)、正直に「私は全然、納得できていない」と言いましたら、「そう?まだ言いたいことが全部言えなかったみたいな感じなの?ふ~ん、そうなんだ」と言われました。

    確かに自分が納得できようができまいが(初級レベルなんだから、技術的に納得いくはずがないわけで)、できるかぎり努力してみるしかないのかな。
    そのあと、どーっと落ち込むに違いないんだけど、これを積み重ねていくしかないのでしょうか。

    正直、こういうことは、趣味でやってる初級者には要求されないものだとずっと思ってまして(^^;、意外だったのです。

    ある意味、他人にはわたくしが本当に表現したいものが見える筈もないので(どうしても聴き手の状態にも左右されますよね?)、本当に出ている物理的な音と自分の心の中のイメージに大きな差があっても、自分で思うほどは滑稽ではないのでしょうか。

  3. くるみ より:

    柳琴の教本に付属しているVCDが来ました~。
    子供用の楽譜なのでVCDで演奏してるのも幼稚園から小学生くらいの子供たち。
    小さくても大人の曲想で弾くんですね、この調子で大人になるんだから
    さぞやバリッと演奏する様になるんだろうなぁ。

    あーそれは先生の好みなんじゃなく
    音楽は強弱を大盛りでしないと聞いている人には伝わらないんです。
    私なんか中学の時のピアノ先生に
    「私が この上もなく大げさに曲想を表現したら 少ーしは強弱がつくのよね」
    と言われました。
    そして「あなたのレッスンの時は声を出すから喉が渇くわ」
    と レッスンの後には高確率で お茶を飲みにいかれたりして。(^_^;)

    先生は游鯉さんが強弱をつけようとしている事に対して「良かったよ」と
    仰ったんじゃないかと。
    それをもっと続けると 強弱の出し方の種類や もっと細く一音の処理の仕方等
    教えて下さる様にならないかしらん?
    という訳で、游鯉さんの先生は
    趣味の人にでも きちんと音楽を教えようとされる信頼できる先生と思われます。

    それと、楽器は よく練習している人ほど
    「演奏中に考えている事」は音によって先生にもろバレになります。
    文化が違う人ですから 全くその通りには理解できなくても
    游鯉さんが思っている事は先生 感ずいてらっしゃるんじゃないかなー。

    紫檀はシャンシャンした響きの良い音ですよね。
    とは言っても、本当に色々な紫檀があるので よく分かりません。
    緑檀は削って水に入れたりして調べるそうですが、楽器になったら勇気が出ません。
    って、削って見られたんですね!? 何か分かりました?
    私は血紫檀の駒が好きなんですが こちらではなかなか無くて
    先生が何処ぞから仕入れてきてくれるのが頼みの綱です。

  4. 游鯉 より:

    くるみさん

    いつもコメントありがとうございます。

    くるみさんはピアノ又は何か別の楽器を教える立場にいらっしゃるのではないかと察しております(違っていたら、すみません)。
    くるみさんとの会話を通じて、自分の心の底にあった問題点がだんだん分かってきました。

    先生がわたくしにしてほしいことは、大体、察しがつきます。
    (柳琴に関しては、先生ご自身あまり上手ではないので(素人よりは当然上手いですが。)お手本は見せてくださいませんが、二胡はお上手なので、言葉以外にもやってみせてくださいますので、どう処理しているのかよく分かります)

    そして、わたくしがそれをするのに抵抗があるのは、「ど素人が所詮、一生懸命やっても、限界あるんだから、やって、どんどん落ち込むくらいなら、最初からやることを放棄して、とりあえず譜面にある音符を間違えることなく淡々と弾ければいいじゃんか」という投げやりな気持ち。
    素人なので、譜面にある音符をさらうだけでもとりあえず一苦労なわけです。

    現にやってみて、先生は一生懸命なわたくしを褒めてくれたけど(くるみさんのおっしゃるとおり、やろうとした姿勢は伝わったから、褒めたということでしょう)、自分的には欲求不満だけが延々、残るわけで…
    (「先生、こんなわたくしのどんくさい演奏を褒めてくださるなんて、教育者としてホントいい人ね」みたいに思うわけです。)

    普通、そういう下手な人はさっさと習うことをやめてしまうものですが、ここからがわたくしの困ったところで、やっぱりやめないわけです。

    そして今のところ、先生は何と言っているかと言うと、「今は練習の過程なんだからできなくても当然なわけで、理想は追求すべきでしょう」と。

    よくよく考えてみれば、今、向上を放棄して淡々と弾き続けて、嫌な気持ちを味うことを避けても、将来、技術的にマシになったところで、とりあえず音符をスムーズにさらうことができたとしても、やっぱり「ツマンナイ」演奏しかできないでしょうから、最初の聴衆である自分自身がやっぱり聴いていられずに、超絶に嫌になるでしょうね。

    そう考えれば、今、とっても嫌な気分でどうしようもなくても、音楽をやめる気がないなら、放棄すべきではないということが、分かりました。

    追伸
    わたくしの二胡の音そのものですが、例えるなら「おしゃべりで明るい愉快な男の子」です。
    私が弾くと「あ~彼?いい人なんだけどね~」と女子から言われて彼氏にはなれないタイプの音。
    先生が弾くと「お前、失恋なんてどうってことないよ、何なら俺と付き合う?」と女子を上手になぐさめてちゃっかり彼氏に収まるようなタイプの音。

    こんな例えで、すみません(^^;
    日本人のイメージする二胡の音とは違うんじゃないかな(^^;

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