柳琴LESSON47
いちおう、今回を区切りにして、しばらくレッスンお休みです。
最大の理由は時間がないから。
あれもこれもやって、結局、どれもモノにならないそういう事態はよろしくないだろうと思い、休むことにしました。
ゆう先生に教えていただいた期間は本当にすごく短かったのだけれど、ある意味、たった数回で、練習の仕方の基本が分かったかもというのはすごい進歩だと思っています。
多分、最初の入門時に彼女に教えてもらっていたら、今頃、簡単な独奏曲はきちんと弾けたでしょうね。
最初が肝心なんだなということがすごくよく分かった経験でした。
ニ胡の場合は、ど下手はど下手でも、弓使いが「まるきりなっちゃいない」ということはなく、音程狂っててもいちおう、「狂っている」自覚があります。
練習方法を間違っているわけではないので、練習時間さえかけてあれば技術そのものはそのうちよくなると思います。
(芸術性は時間の問題ではないところがあるので、何年かかっても、面白くない演奏しかできない可能性もありますが…)
でも、練習方法そのものが間違っている場合、何時間、練習したって、何年練習したって、ダメなものはダメなのよね。
いや、回り道しちゃったな~
でも別に最初の先生を怨んでいるわけではないですよ。
音楽の楽しさや合奏の楽しさ、楽典知識やその他のことをいっぱい教えてくださったので、とっても役に立っているし。
ただ、柳琴の技術の習得に関しては、それを専門としてこなかった人に一番最初に教えてもらわなかったことは大失敗だったなと思います。
この日、大学はもう冬休みに入っていて、楼を管理しているおばちゃんが出かけちゃったみたいで、結局、廊下で練習しました。
さむいよ~
しばらく、柳琴はお休みということもあって、先生は話す機会のなかった特殊な技巧等を簡単にお手本をみせてくださいました。
そして、どうして弾く人によって曲の感じが変わるのか、「死んでいる演奏」と「活きている演奏」のどこが違うのかという話になりました。
先生ってどの先生もすごいですよね。
下手くそな人のモノマネ、とか悪いお手本も得意ですよね(笑)
実は、わたくし、最近、ますます自分の演奏が嫌いなのです。
練習しているときは、練習だと思って自分の音を聴いてますから、好きも嫌いもないのですが、自分の音を録音して、一聴衆として聴いて見ると、「なんて面白くねー弾き方するんだろう」って思うのです。
もちろん、基本が完成していなくて、安定していないとか、根本的にミスるとか、知っている技巧が少なすぎて、華やかに見せられないという問題を抜きにしても、面白くないんですよね…
それ以前の問題として、わたくしの演奏を形容するなら「箱を開けたら、空っぽだった」そういう感じ。
ゆう先生がおっしゃるには、実際、生死はほんのわずかな差しかないのだそうで、ちょっと工夫するだけで心地よく聴こえるものなだそうですが。
確かに、リズムと旋律が全く同じものを弾いても、弾く人によって全然違ってくるのは、各人のいわゆる「処理」が違うからなのです。
音を、旋律を、リズムを楽譜から外れない範囲でどう処理するか、そこが生死の境なのでしょうね。
こういう高度な話は今のわたくしには関係のないことなんですが…
まず、楽譜通りにきちんと弾けなければ、処理もなにもあったものではないので(笑)
でも、基本的に中国の先生がそうなのか、わたくしが出会った先生の特徴なのかどうか分かりませんが、わたくしのようなレベルの低い人にも最初からこう言う話をしてくださるのがすごいなぁと思ったりもするのです。
ナナ先生もそうですが、「弾き方がわかれば、それでいいや」「通して弾ければいい」というのではなく、「音楽とは何ぞや」を理解してほしい、そういうことなんだと思います。
わたくしも理解したいのですが、そういう境地に行きつけるまでには、初歩の初歩の入り口にもまだ達していない有様でして…
来年の目標は(中国では旧暦で祝うので、2月3日がお正月です~)、本気で音楽と向き合うこと。