柳琴LESSON20

C調を習い始めてから、たまにG調と混乱して間違います。
あぁ、大バカ者。

「手拉手」
本当に思うように弾けない。ゆっくりなら弾けるけど、原曲のスピードには全然及ばない。まぁ嫌いだからあまり練習していないので自業自得といえば、自業自得。

「春天里」
ゆっくりなら弾けるけど、速く弾けない。

「草原上昇起不落的太陽」
全部、輪で弾こうと思うと、音の粒がそろわない。
世にも美しいはずのメロディが、わたくしの手にかかるとホントに悲惨。
汚くて聴いていられない。
あまりにも気持ち悪い自分の演奏に気分が悪くなって、ぐったりしながら弾いていると龍海先生は「練習するしかないんだよね」とつぶやきました。
その通りなのです…
教えられることは教えてくださっているわけなので、この先は練習するしかないのですわ。ここで才能がないとか適当に言い訳してやめてしまうこともできますが、まぁ、才能のあるなしは本当のところ、もっと上のレベルになって初めて差が出るものなので、この段階の「できない」は単なる練習不足。出来なければ、人の倍、あるいは3倍、練習すればできるようになるはずなんです。
手が速く動かないのは、子どもじゃないんだから、有る程度、限界があるにきまっているので、自分に全く期待していませんが、多分、現時点の「できない」は限界だと言えるレベルじゃないから、先生も「もっと速く弾け」って言うのだと思っています。
柳琴って速いトレモロ奏法を駆使して、初めてそれっぽいというか楽曲らしくなるので、それをやらずして、ベンベンとゆっくり弾いているだけじゃ、うちの母じゃないけど世間的には「たいしたことないのに、いつまでやってんの?」とバカにされるだけなのですよね。

「ジングルベル」
無意識に足でリズムをとってしまったら、先生にポンと膝を叩かれて、無言で「足でリズムとるな、みっともない」と睨まれました(^^;
でも、先生の顔を見たら、リズムにあわせて自然にビミョウに顔が揺れているということに気付き、「おお、メトロノーム代わりになるなぁ」と思いました。
(先生自身は自分の癖に気付いているのだろうか?)

龍海先生の特訓メニュー
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上記のフレーズを1~4弦で、とにかく連続して、出来るだけ早く弾け!
暇があったら、ドレドレってやってろ、とのことです(^^;

先週、「自分は子どもの頃から不器用で、何を習っても先生に呆れられていたダメダメだったんです」といじけてしまったら、「今までたくさんの人、いろんなレベルの人に教えてきたけど、もっと不器用な人もいるし、そこまでひどいことはないから、安心しろ。いじけている暇があったら練習しなさい!」と慰められました。
先生が嘘を言っているわけではなければ、わたくしは成人の学習者にしては速いスピードで進んでいる方らしいですが、大人で仕事を持っている人間にしては熱心に時間を見つけて練習しているからにすぎないのでしょう。
しかしながら、何かに「のめりこめる」ということも才能のうちなら、そういう能力は人一倍あるのではないかと思っています。
大人が簡単な曲をゆっくりベンベンやっているだけだから、傍から見たらかなり恥ずかしい演奏なんだよね。
本人は楽しいからまだ救われるけど。

春節のため、次のレッスンまで2週間も空くので、とにかくいっぱい曲を弾きなさい(なるべく速く)と言われました。

【独り言】
中国人の特徴なのか、民族音楽の特徴なのか、
「譜面どおりに弾ければいいってもんじゃない」と言われて、あぁ、やっぱりと思いました。昔から民間に伝わっている曲等は、主旋律は決まっているけど、適当に変奏しながら繰り返し弾くということをよくやりますよね。
もちろん、譜面どおりに弾けることを大前提として、習ったことを全部総動員して、如何に美しく弾くか、表現するか、考えなさいと言われました。
なんつーか、あぁいうふうに弾きたいというお手本があるといいのになと思う今日この頃です。
通常、弟子は師匠に似るものらしいですが、わたくしは笛にしろ、柳琴にしろ、師匠には似ても似つかない音を出します(;_;)
雪先生の音は、力強く澄んでいるし、龍海先生の音は楽しくて優雅です。
わたくしの音は弱くて自信がなく混迷している音なのです。
だから、自分で自分の演奏に吐き気がすることがよくあります(理想が高過ぎるのでしょう)。
本来、こういう人間は聴くことを専門にして、自分では演奏しない方が精神衛生上よいのかもしれませんが、適当に弦をポーンと弾く(ピアノを適当に1音、ポーンと打つ)と音がしばらく振動していますが、これ、かなり気持ちがいいので、やめずにここまで来たのだと思います。
柳琴を弾きながらうたたねしたこともあるし…

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