本日の三弦レッスンは、またもやSちゃんと一緒。
うちの大学の先生がわりとアバウトなのか、中国人がわりとアバウトなのか知らないけど、結構、突然、先生の都合(といっても先生自身も朝、いきなり会議通知があったということもしばしばなので、先生のせいでもない)で、授業の時間が変わってしまう。
そんなわけでSちゃんは、私のレッスン時間にやってきた。
多分、今日こそはちゃんとレッスンしてもらいたいと思って、先生を捕まえるのに必死だということだろう(^^;
本来、彼女は別の授業があったはずなのにすっぽかしてきたらしい。
「S、お前授業どうしたの?」と先生にきかれて、
「代返頼んできた」とけろっとしている。
私は別にレッスンの順番が彼女が先になろうが、私が先になろうが気にしないので(本来、私のレッスンの後がSちゃんのレッスンなのだ)、彼女のレッスンも聴いていた。
Sちゃんは夏のコンクールで「十八板」を弾くらしく(「十八番」じゃないよ)、おさらいしてもらっていた。
この間まで、Sちゃんがテキトーに弾くところしか見てなかったので、Sちゃんの本当の実力がよく分からなかったのだけど(もしかしてSちゃん初見とか楽譜見て弾くの苦手っぽい?)、覚えている曲を本気で弾いている彼女は、やっぱそれなりに素敵だった(それなりに、というのは、某音大の院生とかもっとすごい演奏を聴いたことがあるので、やっぱそれなりにということである…)。
「十八板」って何級くらいなんだろうと思って後で調べたら、5級だった。
え、そんなに低いのというのが意外。
5級って私が今弾いている「和番」と同じじゃん。
何か考級の基準、ホント分かんないよね。
私、「十八板」なんて速すぎて弾けないよ(^^;
ちなみにSちゃんは「十八板」が好きではないらしい。
メロディーラインがあまりよく分からないのだそうだ。
しかし、外国人である私に言わせれば、ものすごく中国の民間音楽っぽい色彩がにじみ出ているような曲だと思うし、三弦っぽさが活きていると思うのだけど…
Sちゃんに言わせると「何か、ダサい…」らしい。
じゃあ、なんで選曲したのと聞くと、「先生がお前、これよく知ってる曲だから、いけるだろう」ということで選んだらしい。
実は別の派の「十八板」を聴くと、ちょっと速めで洗練された感じなんですよね。
「あ~こういう風に弾きたい」とSちゃん。
「じゃあ、先生にそれとなく言ったら?」と言ってみたら
「『そんなこと言う前に、このバージョンをきちんと弾けるようにしてから言え』と叱られそう」だとSちゃん。
なんか、学生の本音を聞いていると、自分が専攻している楽器なのに、実は三弦の曲あまり好きじゃないらしいんだよね。ぶっちゃけ、かなり幼い子どものころから弾いてたという子は稀で(そこいくと二胡等は3、4歳から弾いている人も少なくない)、ほとんどが琵琶や他の楽器から転向しているんですよね(多分、マイナーな分、自分の意思ではなく周囲の意向や大学受験の競争率を考慮したという理由もあると思われる…)。逆に三弦弾いていても飯が食えないから、他の楽器に転向する人も多い。そんなわけでなのか、三弦の曲大好き、って子を見たことがない…おおむねお先真っ暗だと思っている…
「XXの方が自分を表現しやすい」と言っている子もいる(XXには自分がかつてやっていた楽器を放り込んでください)。
う~ん、三弦の先生も楽じゃないよね。
好きじゃない楽器で好きじゃない曲なんだけど、上手くなってもらわないといけない…そういう先生だって、小学生から弾いているのに大学生になるまでは全然好きじゃなかったらしく、学生の気持ちはよくわかるのだそうな…
そこいくと、私は三弦好きだし、曲だって中国らしくていいと思うけど、何せ年寄りだからもう、関節とか固まっているから、どんなに苦労して練習しても、子どものように上達しないわけよ、ほんと世の中、不公平に出来てるよね。
私の情熱とSちゃんの腕があったら、この世のものとは思えない曲を弾いてみせるのに。
Posted in 三弦 by 游鯉, 2012年4月5日 11:30 PM コメントは受け付けていません。
「やっぱり練習不足だと思うよ」
とは、よく先生がレッスンの最後に言うセリフのような気がします。
別に私に限ったことではなく、私のレッスンの前の生徒さんも言われていたりしますね。
う~ん、これを専門に勉強している人に言わせれば、一日1時間や2時間は「練習」のうちには入らないんでしょうね~
でも、私には今は一日一時間くらいが限界…今は朝から晩まで三弦三昧なのでこうなってしまうのだけど。
ナナ先生には「あなた真面目なタイプだから、二胡に身が入っているときの進歩は凄く速いけど、この頃は別のことに集中してるから、なかなか二胡が前に進まないのよね。気持をもう少し調整してね」とズバリ指摘されてしまいました。
相変わらず、ドミソ、ミソド ソドミ~」を繰り返す訓練なのですが、特に高音から低音に下がっていくときに音程が合いにくいのよね(^^;
「あなたは自分で音程外れるたびに、落ち込む性質なのよね。音外しているのに自信満々でどんどん先へ弾いていく子も大勢いるから、それはそれで長所ともいえるわけだけど」と変わった励ましの言葉をいただきました。
【余談】
さて、最近、先生のお友達があるテレビドラマで主役をされて人気が出てきたそうで
「う~ん、この間までフツ―の子だったのに、この世界、明日は誰が人気者になるのか分からないものよね」と感心していらした。
確かに、音楽や演劇、舞踏なんかをやってる子は、大学に入った時点で完成品同然なわけで(場合によっては十代で職業演奏家や女優だったりするわけで…)、技術はあるのが当たり前、後は、美貌や財力、人脈や運が作用して、いつ社会的に認められちゃうか分らないってだけのことだもんねぇ…
ところで、ナナ先生は昨日まで、オケに借り出されていたそうで、今帰ってきたところだと言っていました。額にいっぱいの吹き出物があるので
「お疲れなのでしょーか」と聞いてみたところ
「コンサートってメイクさんがメイクしてくれるでしょ、そのあとはいつもこうなるの…」と泣き笑い。
う~ん、肌に合っていないのか、舞台メイクは厚化粧過ぎるのか?
さて、もう、くどいくらい言及している音程問題ですが…
結局、ナナ先生いわく
「二胡という楽器の性質上、どうしようもないことなのよねぇ」ということらしいです。
ナナ先生に言わせるとオケの中でも、最初から最後まできちんと合ってる人って案外少ないのよとのこと。
どんなに練習しても合わない時もあるし、プロだって合ってない時が多々あるわけで…(素人に比べりゃその回数と誤差が少ないだけ)
しかも、もっと言えば
「音楽って抽象的なのよね。人の目に見えないしね、感覚的なものだし。だから、大きな枠の中で音程が合っていて、それで表現が邪魔されなきゃいいわけよ」ということらしいです。
プロの領域でも、結局、死ぬまで音程問題に悩まされるわけですね。
素人の私が、多少狂って嘆いている暇があったら、もっと練習しろよってことですね、ハイ。
Posted in 二胡 by 游鯉, 2012年4月2日 8:33 AM コメントは受け付けていません。
実は私はリズム音痴だった…
大昔、初めて二胡を教えてくれた龍海先生が私に「お前、リズム感いいよね、生まれつきかもね」と言われたことがあるけど…
やっぱ、あれは、単に褒めて伸ばしてあげよう、ということだったんだなぁということが判明(^^;
だって、三弦の先生にはしょっちゅう、注意されるンだもの、リズム。
普通にアップ、ダウンを繰り返すだけのタンタンタン…という基礎練習ですら、
「ダウンが微妙に速いし、キツイから、まるで片足引きずったような足音みたいな足音になるんでしょう!」と叱られるし…
課題曲の「和番」はゆっくりした曲なので、夢中になって弾くと、リズムが乱れてしまう(つまりところどころ速くなるらしい)、
「こういうやたら遅い曲は、八分音符か十六分音符を一拍として心でカウントしながら練習しなさい!」と叱られるし…
(でも、ぶっちゃけ、いわゆる大先生の音源でも、この曲はそんなに規則正しくは弾いていないのだけども…全体として調和がとれているからOKなんだろうなぁ)
この曲の滑音には二種類あって、いわゆるのんびりずるずる滑る線のような音と、速く滑らせて、最初の点と最後の点がはっきり聴こえる音なのだけども、区別せずに、なりゆきで弾いちゃうし。
「余韻を聴かせてなんぼのところなのに、そんなに急いで元の位置に指が戻ったら余韻が鳴らないでしょう」と叱られたかと思えば
「そこは、速く滑って最初の音と最後の音の二点をはっきり意識しないといけないのに、なんでまったり滑るの!」と叱られ…
「そんなにゆっくりビブラートかかったら、音の高低がはっきり聴こえ過ぎて気持ち悪い!」と叱られるし…
ははは…ビブラートが遅いのは、リズム音痴と言うより、手首がそんなに速くしならないから、速く細かいビブラートがかけたくてもかからないだけなんだけどね(T_T)
手首つかまれて、ここを軸にして力抜いてフラフラしてごらんと言われ、そのとおりにしてみるのだけど、力が抜けきらないので、「まだ力入りすぎ~」と叱られ…
「これ以上、力抜いたら、床に倒れます…」と笑い泣きするしかない…
(力抜くところが違ってるんだろうね…)
先生、悪気はないのだけども、音が「不舒服」とか「難受」ってよく言うのよね~
直訳すれば「気分悪い」「耐えがたい」「辛い」って感じの意味だけど(^^;
別に本当に悪気はないので(そらそうだ)最後は、
「いや~短期間でよくここまで出来たよね、オレは嬉しい~」と言ってはくれるんだけどね。
Posted in 音楽あれこれ by 游鯉, 2012年3月27日 11:47 PM コメントは受け付けていません。
レイトスターターの目標…
つくづく、大人になってから学び始めた習い事は、一体全体、どこを目標にしたらよいのか分からないと思う…
器楽の場合、基本的に、技術的なことは運動能力や体力の問題があるので、どこが自分の限界なのか…???
どんなことだって、プロになるのでなければ、やり始めに年齢が遅すぎることはないわけだけども、中年が突然、陸上選手のように走れるようになるわけないのと同じで、楽器も無理なわけよ。
でも、趣味として何年か後にはかなり上手になる人もいるわけで…
上手にその時、その時の目標を立てて前進していきたいのに、ど~してこうも落ち込んじゃうんだろうな>自分。
ところで、プロでない人が人前で弾く時、プロじゃないんだから無責任にミスするし、下手なわけだけども、聴いている方はお金払って完璧な演奏を求めているわけじゃないから、きっと「楽しい」とか「情熱」みたいなもんに拍手を送るのだと思う(違うのかな)。
私は趣味の人の演奏聴くとき、別に自分がきちんと弾けるわけでもないのに、そのことは棚に上げて「あ、音程狂ったような気がする(自分が精密な音程感があるわけでもないのに人のこと言えないのにね…)」「リズム変だったような気がする」「変な音聴こえた」ってことにやたら気が向いてしまうのね。
ある意味、自分がそうだから、他人も自分に対してそう思うに違いない、だから「あ~嫌だ」となるんだろうね(分かりやすいなぁ)
今は「あ~嫌だ」と思っても、もっと練習していつかもっと綺麗に弾けるようになればいい、これは上手くなるための「過程」って思えばいいだけのことなのかもしれないけどね。
ナナ先生に、素人の演奏聴いた時、そういうことばかり気にならないかと聞いてみたことがあるけど、ナナ先生は「いや、生徒のレッスンで指導する場合じゃなくて、仮にどこかのコンクールで自分が審査員として演奏を聴くのであれば、音程が狂ったってことより、その子がいかに情熱的に自分を表現してるかってことを評価してあげるけど」とかなり前向きな返事が返ってきた(現実の審査員はミスを減点するだろうけどね…)。
ナナ先生はワザと音程を少し外して、真剣に1フレーズ弾いて見せてくれた後で、
「音程、多少狂ってても、私の音楽がそれで、全部ダメになっちゃうわけじゃないでしょう?」とおっしゃる。
確かに、ナナ先生の場合、多少、音程外しても、他の部分がキラキラしているから、「げろげろ~ど下手くそ~」という演奏にはならない。さすがだね…
でも、私だったら、どうだろうか、音程やリズム外したら、他には何も残らないぞ~と思ってしまうのでした。ははは。
そういえば、三弦の先生も
「「和番」は技術的には全然難しくないし、しかもかなり遅い曲なので、誰でも弾けるけど、子どもには無理」だとおっしゃっていた。
そういう意味では、社会経験がある私には簡単で、音大附属中のエリート中学生にはかなり難しい曲といえなくもない。
しかし、素人ながら私が思うに
技術そのものがなければ、筆を使わずに字を書くようなもの、他人に見えないよ。
心にどんなにイメージがあっても、表に「表現」できないんだよね~
これが、演劇とかだと、少なくとも顔や手足は身体障害者でないかぎり、素人でも比較的自由に動かせるので、それなりに「悲しみ」や「怒り」は表現できるわけだけど、
楽器は指とか腕とかが、きちんと回らないと、欲しい音が鳴らないので、結果として「悲劇」が「喜劇」になってしまう(爆)
Posted in 音楽あれこれ by 游鯉, 2012年3月26日 7:44 AM コメントは受け付けていません。
先日、テレビを見ていたら、中国音楽学院の張維良先生(笛子、洞蕭演奏家)と王中山先生(古筝演奏家)、二胡の周先生が出演されていました。
演奏よりも、司会者や出演者の方々となさっている漫才的な話が面白くて、ほんと笑い転げてしまった…
皆、自分がやってる楽器が最終的にはいちばん~だと思っているものね。
歴史の古さはやっぱり、笛なんですよね。
そして、どの国にもあるだろ~という普遍性。
張先生曰く、欧米の学生にも人気があるとか。
筝はアジアだったらどの国にもあるだろ~というポピュラーな楽器。
日本のお琴、韓国のカヤグム、ベトナムの琴(何ていうんだっけ?)などなど。
王中山先生はほんと、楽しい性格のお方で(専門の学生相手のレッスン中はどうか知りませんよ)、筝を弾いていなかったらお笑いタレントさんみたいで…
「誰でもできる簡単な楽器だろ」と突っ込まれると
「そうなんだよね、誰でも5分で弾けるようになるんだよね~」と笑傲江湖の一部分をご披露。
確かに、上から下へ一弦ずつ弾き下ろしてあるいは上げていくだけで、メロディーになっている(笑)
王先生曰く、楽器初心者にとって簡単な三大楽器は
「ピアノ、フルス、次に古筝」ということらしい。
押せば鳴るじゃん、のピアノ、吹けば鳴るじゃんのフルス、弾けば鳴るじゃんの古筝…
もっとも、逆にそこまで大衆的な分、秀でるにはとても大変だろうな~
弦楽器は、全くの初心者だと、弓引けば鳴るじゃんとはいかない(まれに、私もそうだったけど始めから簡単に鳴る人もいる)。
横笛や尺八系の楽器は、コツをつかむまでは音そのものが全く鳴らない(稀に、穴のあいたものなら何でも簡単に鳴らせる人もいるけど…)
「楽器が大きいから持ち運びに不便じゃん」と突っ込まれると
横から周先生が
「そうなんだよ、だからコイツ(王先生)は、何処へ行っても筝を借してくれ~って乞食みたいな生活してんだよな~」とからかう。
「そういえば、ヨーロッパ行ったときだっけ?機内に持ち込めなくて、無理やり手放されて、機内で泣いてたよな」とも言われ…
うん…その気持ちはよく分かる。日本の琵琶や中国の大三弦とかの楽器も、古筝ほどは大きくないけど、バイオリンみたいに完全に手荷物程度という大きさではない楽器は、無理を言って持ちこめる場合もあるけど、普通断られるので、「首が折れたらどうすんだよ、うわ~ん」と泣いた経験のある人も少なくはないんじゃないだろうか。
ちなみに大三弦の場合、うちの先生はアメリカへ行くときに一番後ろの席の後ろにそのまま置いてもらえたそうだ。
シンガポールのコンクールに行った姉弟子は、荷物として放り込まれて、出てきた時には首が折れていたそーな(可哀そうに…)。
何で「古筝選んだんだよ」との質問に王先生は
「一番上の兄が二弦、二番目の兄が三弦やってたから、僕は一弦で行こうと思ったら、当時、楽器が手に入らなくて諦めて、そうしたら親父が多弦やってみろと古筝をもってきた」からなのだそうな。
「でもさ、古筝っていうと、女の子の楽器って言うイメージでしょう、君のイメージとは程遠いじゃん」とからかわれると
「周瑜(中国後漢末期の武将)は古筝が上手かった~」と反撃。
確かにウィキで調べてみると周瑜は「若い頃より音楽に精通しており、演奏を聴いていると、たとえ宴会中酒盃が三度回った後でも僅かな間違いに気付いた。そのため当時の人々は「曲に誤りあれば周郎が振り向く」という歌を作って囃したという。」ということらしい。
私が疑問に思うのは、中国の酔っぱらいには音楽の上手い人が多いのはなぜなんだろう?
そして、とどめに王先生はこうお答えになった。
「ちまたで古筝弾いてる女の子は、男の先生(つまり僕)が教えてんだよ~」
確かに、古筝(お琴)というと中国も日本も女子っぽいイメージ。しかも綺麗な女子ね。
三弦は日本だとどうだろ、遊里の女性(やっぱり綺麗なお姉さん?)、それとも、歌舞伎の三味線方のお兄様、おじ様って感じ?
中国の三弦はね、やっぱ芸人のお爺さんがイメージされちゃうんだよね…
はっきり言って「土」(ダサいとでも訳しておけばいいのかな)
からかわれるたびに、反撃に出る王先生に司会者が
「先生、その熊みたいな手(爪をつけているから)で近寄らないでくださいよ~」と言われていました。
そういえば、王先生って、クマのぷーさんみたいだと思うのは私だけ?
でも、そういう可愛らしい実物像とはかけ離れた演奏中の王先生は、すっごくかっこよくて、私は大好きです(はあと)。
なんで、あんな熊みたいな手であんなに速く弾けるのかなぁ…
Posted in 音楽あれこれ by 游鯉, 2012年3月19日 8:30 AM コメントは受け付けていません。
時々、三弦の先生のことを「鬼~~~」と思うことがあります。
ええ、普段はいいお兄さんなのですが(本当は私より年下なのですが、いつも若い子ばかりと接しているせいか、職業病なのか、お父さんみたいな口調だったりする…)、レッスン内容と注意する時の口調は本当に厳しいのです…
基礎練習を確認ということでリズム練習の弾挑「タンタンタンタン タタタタ タタタタ タンタンタンタン…(タンタンは8分、タは16分音符)」をゆっくり始めると、先生は携帯電話をチェックしはじめる…これ、聴いていないわけではなく、ちゃんと、耳だけは聴いてるんだよね(日本の先生は多分、こういうことはしないと思うけど…私としてはずっと見られている方が怖いのでこれくらいでちょうどいいんだけど)。
で、最初は先生もゆっくり自分の膝を打ってリズムをとってくれているわけだけど、そのうち手が速くなってきて(もちろん、ワザとです)、最後にはとんでもないスピードになっている…(いわゆるPRESTISSIMO?)で、そのまま数分間持続…手がツル~!!!
で限界に達してとうとう指が回らなくなって弦を外したところで、一言、
「いや~こんなに速く弾けるようになっているとは意外だったなぁ~」
「ひぃぃぃ」
逆に左手は全然ダメ。
レミレミレミ(人差し指と薬指)という単純な音をどこまで速く弾けるかってことだけど、そもそも大三弦のG調第一ポジションでいうレミの距離というのは、津軽三味線の6と9のツボの距離より長いんですよ(津軽の69間が8センチぐらい、大三弦のレミ間が9センチ弱ぐらいかも)。理想は薬指を打つときに人差し指を指板から離してはいけません。小柄な人にはかなりきつい距離。私のような超大柄な女性や男性なら問題ないかもしれないけど、基本的に何らかの楽器を子どもの頃からやっていて薬指を使い慣れている人以外は、きちんと押さえてしっかりした音をだした状態で、トリルするっていうのはキツイ。速く弾ける人でもきちんとした音が出せている人は果たして何人いるのか…素人にはいないと思う(笑)。
でも、普段そういうことばかりしているせいか、花梨棹の超安物の津軽三味線の棹の角を薬指でガシッと削ってしまったことがある(^^;
三味線の先生に、「いくら花梨が柔らかいとはいえ、普通、あんまりないよ」と笑われてしまいましたが…
舞台演奏用の大三弦の棹は通常、中国では棺桶の材料になる「楠」という硬い木の上に黒檀がのっかっていますから、素人が打ちそこなって手を滑らせたくらいで角が削れたりしませんわ~
課題曲は引き続き「和番」
先週教えて頂いたところまで弾いてみたら、ものすご~く難しい顔をしながら何と形容していいのか分からないとおっしゃり、やっとこさ、外国人にも分かりやすい例えを見つけてくださった言葉が
「お前のは、何と言うか機械的なんだよなぁ~つまりね、技術的なことを言えば、ビブラートが全然ダメというか、遅すぎて単調なんだよね。この曲、細かく速いビブラートがかけられなかったら、人には聴かせようがないから、今日の夕方までに解決しなさい!」
「ひぃぃぃ~」
そして、私のレッスンの次は大学二年生のSちゃんのレッスンなのですが、私のレッスン終了後、
「次に授業ないんだろ?このまま夕方まで居残って練習していきなさい、Sがもうすぐ来るから、分からないことがあったら彼女に聞くといい」と先生は去っていってしまい…
やってきたSちゃんは「あ~!!先生はいつも忙しいと言ってあまり稽古してくれない」とご機嫌斜め。でもSちゃんは可愛い顔してるから、ふくれっつらもキュートなんだよね。
やっと帰ってきた先生はSちゃんに模範演奏を見せて、アドバイスをした後、また去ってしまい…
Sちゃんは私の方にキッと向き直って
「今の先生の注意、あなたもちゃんと聴いてたよね?先生の言った通りに弾けてなかったら遠慮せずに教えてね」と。
あ~私にそんな大役は務まらないよと思いつつ、
いつもお世話になっているので、一生懸命聴いてみましたが、
せいぜい、1か所くらいしか、明白に先生と違うなぁというところを指摘してあげられなかった…スマン。
ところで、私がうまくビブラートがかけられないのは、「力が抜けない」というありがちな原因でして、「二胡でビブラートかけるとき、そんなに力まないだろう?同じだよ、同じ!」と叱られ、「そんなに棹と手の間が近づきすぎてガチンガチンになっていたら、オレだって辛すぎて弾けないよ!」と呆れられ…
よく聴く昔話の三味線のお師匠さんのように
「下手くそ~」と言って撥で額を殴られたりこそはしませんが、結構いっぱい
「不好!(ダメ)」というセリフが飛んできますね。
日本の先生のように、優しくはない(まぁ、専門の学生を教えるのと趣味の人を教えるのとでは訳が違うので当然と言えば当然だけど)。
自分でも分かってるいるんだろうというポカミスをしたときは、
「バカ者」という視線とともに膝を叩かれたして…
もしかすると、これは日本だとセクハラになっちゃうのかもしれないけど、結構、男女問わず、別の先生もたまにやることなので中国人の癖なのかしら?
あ、そういえば、日本の邦楽の先生は生徒と向き合って座ったり、机を挟んで座ってお稽古するのが普通だから膝を叩きようがないけど、中国の先生は必ずしも真っ正面にいない(いろいろ動きまわったり、隣にいることもあるし、真後ろにいることもある…)というせいもあるのか~
「厳師出高徒」意味…厳しい先生の下から優秀な弟子が出る。
そうなりたい…
Posted in 三弦 by 游鯉, 2012年3月16日 7:50 PM コメントは受け付けていません。
二胡の練習はしばらくの間、ちょっとペースを落とすことにしました。
理由は時間がないから。
時間はそこにあるものではなく、自分でつくるものだけど、一日は24時間しかないし…
私は一人しかいないし、腕は二本しかないし、指は10本しかないしねぇ…
足も使えばいいのか?
「私が千手観音だったら、いろいろできるのにな~」と友人に言ってみたら、
「いくら手がいっぱいあっても指令を出す脳が1個じゃ無理だよ」とつっこまれたので、
「ヤマタノオロチみたいに頭もいっぱいあればいいんだね」と突っ込み返したけど、
「頭と手がいっぱいのあんたがいろんな楽器を一度に弾いてたらキモい…」と呆れられてしまった。
相変わらず、音程がひどく狂っている。
いつになったら分かるんだろう…
完全5度のドとソ(開放弦)も、ナナ先生に「微妙にドが低い」とか言われても、正直私には分からないんだよね~
チューナー見てもだいたい合ってるわけだしね(こういうところが、三味線やバイオリンだと他の弦と上手くハモるので、どんぴしゃりに合わせられる点、悩まなくてもいい)
前の松脂がなくなったので、別の松脂に換えてみたら
「なんか、ちょっとザワつかないかなぁ、やっぱ前のに換えたほうがいいよ」と言われたけど、
正直、私には音色の違いが分からない…
ようするに鈍感なんだよね。
あと10年も修行すれば分かるようになるのか、もうこれは、どうしようもないのか…
ほんと、嫌になってくる。
私がこういうジメジメした性格なのをナナ先生は分かっているので、あわてて励ましてくれたけど(笑)。
子どものころから、音楽やってた人が超羨ましいし、妬ましい…
う~ん、精神的によくないね。
楽しくできないんだよな、性格的に。
もちろん演奏家や教師は舞台の下では楽しくやってないだろうし、素人の私が真剣になる必要もないし、何十年も苦労してきた人を妬ましがってもしかたないのだけど。
Posted in 二胡 by 游鯉, 2012年3月10日 9:45 PM コメントは受け付けていません。
相変わらず三弦の「和番」のお稽古が続きます(^^;
え~これは、「陳杏元和番」というのがフルタイトルです。
河南曲子板頭曲には伝統地方劇の「大西廂」を題材にした「上楼」「下楼」とか、「二度梅」を題材にした「陳杏元和番」「陳杏元落院」とかがあります。
河南「大調曲子」の伴奏楽器には、三弦、筝、琵琶、月琴、胡琴、四胡、揚琴、洞蕭、板等が挙げられるそうですが、筝や琵琶の人がいなくても、三弦と板だけあれば歌うことが可能なのだそうで、それだけ、三弦は重要な楽器だったのですね。
歌舞伎音楽の演出で三味線なかったら幕あけられないでしょっていうのと一緒じゃないかな~
でも、今では、古筝で弾くことがもっとも普及しているみたい。
「陳杏元和番」は古筝のグレード試験では9級になっているみたいですね。
一応、古筝と琵琶の音源も聴いてみました。
やっぱり楽器が違うと技法が異なってくるので、同じ曲でも雰囲気が多少違いますね。
自分が三弦やってるからというのもありますが、個人的にはこの曲はやっぱり三弦がいいです。
で、この曲、ものすごくスローな曲なので、簡単かと思われそうですが、何が難しいかって、ビブラートがすごく難しいのです。
ビブラートが、うまくかからなかったら、死んだも同然。
曲全体が遅いからって、手を速く動かす必要ないかと思いきや、ものすごく速いビブラートかけるところもある…
その点では、古筝はビブラートのかけ方がものすごく難しいらしく、9級に指定されているのだと思います。
それ以外に、三弦は古筝と違って何が大変かって、そりゃ、この楽器もともとフレットがない楽器ですもの。いわゆる滑音(ポルタメント)がどこから滑りはじめていいのか楽譜には書いてないし(だいたい記号はあるけど、例えばシからドまでとかいうふうには正確に言えないので楽譜にも書いていない…基本的にこれは然るべき先生に教えていただいて、耳と手で覚えるしかない)、滑り始めた音は然るべき時間内に、然るべきところできちんと停止しなければならない…。ビブラートかけながら、一定の均等な速さで滑らなくてはならないところもある…
三弦で5級っていうのは、間違いなんじゃないの~?
本日のレッスンでは22小節までやりましたが、楽譜が真っ赤っ赤になりました。だって、先生が弾いているのは楽譜と微妙に違うんですもの(汗)。でも、私の先生が我流で弾いているわけではないんですよね。
そもそも、世間に出まわっている三弦の「和番」の楽譜は、これまで口伝だったものを中国音楽院の蕭剣声先生が整理されたものです。音源は、蕭先生の生徒だった中国音楽院の趙承偉先生のものが手に入り易いと思います。で、私の先生は子どものころからこの二人の先生の生徒だったので、基本的にこの二人の先生がそう教授されたのだと思っていいわけです。まぁ、三味線だって、ちんとんしゃん、って口で教えて、ここはXと書いてあるけど、ちょっと高めの音なんだとか師匠は言ってますものね。和番も、ここは普通に十六分音符で書いてあるけど、付点がついている感じで弾いてとか、ここは滑音の記号ないけど滑って戻ってとか、ここはシャープついてるけど、平均律のシャープの音だと思わないでとか、挙句は普通に単音で書いてあるけど、これどう考えても双弾(和音)だから、書き直しておいてとか、微妙な修正がいっぱいなわけで…。
「今、だいたいミのあたりから滑るって言ったけど、厳密にそうともいえないから真に受けずに、俺の手の動きを見て耳で聞いて覚えてね」ってさ(くすん)。
そういう面倒くさいことが消化されて自然に手が動かなければ、いつまでたっても陳杏元にはなれない…ってことですよね。がんばります!!
Posted in 三弦 by 游鯉, 2012年3月8日 8:10 PM コメントは受け付けていません。
先日、大学院の「芸術学」の講義で芸術の物質化なる話を聞きました。
あるフルート演奏者(名前忘れちゃった~)の師匠の言葉。
「世に出た時、絶対に芸術を商品にするなよ」
中国は文化大革命中、大学受験できなかったわけですが、その時期が過ぎて初めて学生募集を開始した年は音大もものすごい倍率だったそうな。
どの大学にせよ、この年に入学された方はそれ自体、すごいステータスなわけで…
私の前の大学院の研究室(音楽や芸術とは何の関係もない専攻です)の主任先生もこの年に北京大学に入学されていて、超頭の切れる方でした。
で、音楽やってる人の場合、受験できない間、もくもくと練習を続けられていた人もいるわけです。だいたいこういう方の師匠は自分が音大受験を諦めざるを得なかったので、本当に弟子に希望を見出していたりするものなのですね。
自分の持っているものを全部教授してやるから、どんなに上手くなっても、それを金もうけの道具にはしてほしくない、そういうことなのでしょう。
素晴らしい演奏をして、結果としてお金も儲かるというのが理想なのでしょうね。
冒頭のフルート奏者はいろいろあって実技試験受けられなくなりそうになったのだけど、何年も待って受けに来ているのだから、受けさせてやれということになって、その素晴らしい演奏で皆を感動させたそうです。
映画、映像芸術を勉強している私のオトモダチは、第一回目の講義でこう言われたそうな。
「これから世に出てお金儲けして、いい生活したかったら、人生まだ間に合うから、別の大学に行け」
ははは…そうなんだよね。芸術系の大学の場合、一生懸命、精進すればするほど、お金もうけからは縁遠くなるんだよねぇ(笑)
三弦専攻の子も、この間、私に向かって「私にどんな仕事ができると思う?」と深刻な顔でお尋ねになる…
正直、二胡や古筝と違って、カルチャースクールの講師や町のお師匠さんになるとかいう選択肢はない…演奏する場も限られているから超トップクラスの人しか、これ弾いて飯が食えるわけないし、学校の先生にもなれない(そもそもこの専攻がある大学どのくらいあるのさ)
「じゃあ、お姉さんやお兄さん(先輩門下生の意味です)はどうしてるの?」と聞き返してみたら、
「転業した」と言うので
「あ、じゃあ、古筝か琵琶を極めに走っちゃったわけ?(実はテキトーでいいなら古筝、琵琶、阮なども弾ける人が多い)」とさらに聞いたら、
「いや、全く音楽に関係ないことをしている」とのことです(^^;
生きている以上、お腹はすくし、お金儲けしないといけないけど、やりたいことやってたら、お金は儲からない(むしろ、身銭を切らざるを得ないし、一線でご活躍されている先生方だって、本気で理想追求したら利潤が出ない)。
舞台演劇を勉強してきた大学院の同級生は、おそらく祖国に帰ってからいろいろな伝手を利用して、どこかの学校に収まるつもりだと思うけど(そのために、博士学位がいるんだろうな)、そういう人ばかりじゃないものね。
これから、夏に向けて(日本じゃないので卒業は夏です)、思うところ多い学生さんたちなのでした。
Posted in 音楽あれこれ by 游鯉, 2012年3月7日 8:51 AM コメントは受け付けていません。
え~冬休みに津軽三味線ばかり弾いていたので、二胡の練習がおろそかになっておりました。
よく、一日練習しないと自分に分かり、二日練習しないと先生に分かり、三日練習しないと聴衆に分かるといいますよね。
ナナ先生には言わなくてもばれちゃうだろうと思い、レッスン前に先生が「最近どう?」と聞いてきた時に、正直に練習不足ですと自己申告してしまいました。
う…なんて不真面目な生徒だろう(冷汗)
ナナ先生、そんなに怒らなかったけれども、
「忙しくて練習できない時は、少しの時間でもやりくりして、基礎練習だけはしなさいね」ときつーく釘をさされました。
基礎練習というのは、「長弓」「音階」ですよね。
ただ弓を引いたり押したりするだけの「長弓」は通常ツマンナイと感じるものですが、結局、これに始ってこれに終わるのですよね…
二胡を習う時に初めて習うのもこれだけど、ある程度弾けるようになって先生やってる人でも、練習の始りはこれからで、しかもかなり長い時間、これをし続けるといいますものね。
実際、これを見せてもらうと、その人がどのくらい上手いか想像つくし…
今回の課題は苦手なアルペジオ。ドミソドミソド~とかレファラレファラレ~という旋律がたどたどしくて綺麗にいかないのよね。だいたい音程はあってるけど(あくまで大体であって、弦楽器奏者が聴けばズレてるでしょうけど…)
【余談】
友人から、友人の友人が行ったという中央音大の楊雪先生のコンサートの目録パンフとCD(非売品)を頂きました。
そのパンフには、中央音大のそうそうたる先生方が楊先生に送ったお祝いの言葉が印刷されているのですが、さすがに教養高い中国人はお祝いや励ましの言葉も漢詩みたいなわけで…
印象深かったのは「琴随人意 功在弦内弦外」と書いてあったこと。いろんな訳し方が出来ると思いますが、
「琴(楽器の総称なのでここでは二胡の意)は志にともない、技は弦の内側と外側にある」
という感じかな?
個人的にもっとかみ砕けば多分こんな感じ?
「あなたが奏でる二胡の音はあなた自身の志(願望、想い?)の表れであって、技術の習得は弦の上で行う以外にも、弦(二胡や音楽)以外からも得なくちゃいけないよ」
まぁ、これを書いたご本人に聞いてみないと正確には訳出できませんが、器楽の先生方がよくいうセリフなどから私が推測してみた次第です。
違ってたらごめんなさ~い!
Posted in 二胡 by 游鯉, 2012年3月3日 3:58 PM コメントは受け付けていません。